書き下ろしSS

役令嬢は溺愛ルートに入りました!? 2

【SIDEジョシュア】サフィア脱走の顛末(6年前)

禿げる。このような生活を送っていたら、私は間違いなく禿げるに違いない。
「師団生活は過酷だ! 上級貴族のお坊ちゃまが耐えられるような場所じゃあねぇよ!!」
魔術師団に入団した際、叩き上げの魔術師から投げつけられた言葉だ。
数年経った今―――遅まきながらやっと、彼の言葉の意味を実感する。
その通りだ。私が耐えられない思いを抱いているのは、全て私が貴族のせいだ。
そして、これまでにも辛いと思うことは何度もあったが、今ほどのものは1度もなかった。
きりきりと痛み始めた胃を押さえつけると、目の前に立つ上官と正面から目を合わせる。
「……サフィア分隊長ですか? 既に眠っていると思われますが」
平静な声を出しながら、私は今どんな表情をしているのだろうと考える。
ああ、真顔で上官に嘘をつく日が来るとは思いもしなかった。
サフィアは部屋にいるはずもない。あいつは昨日から、「ちょっと買い物に行ってくる」と言い置いて、堂々と軍を抜け出したきり戻っていないのだから。
目の前に立つ上官は、私の背後に並ぶ寝室の扉にちらりと視線をやると言葉を続けた。
「そうか。彼の姿を昨日の夕食時から見かけていないとの報告を受けたのでな。いるのであれば、サフィア・ダイアンサスを呼んでこい」
上官の言葉を聞いた私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
―――今、私たちがいる場所は、王都から離れた小さな町の宿屋だ。
隣国との小競り合いが発生したため、隣国と隣接するこの町に多くの魔術師が派遣され、隊毎に割り当てられた宿に宿泊しているところだ。
そして、特段の役務が発生しないことをいいことに、サフィアは待機命令が出ていた宿を抜け出したきり戻っていない。
……くそう、私がこのような状況に陥っているのは、全て貴族であるせいだ。
そうでなければ、同じく上級貴族であるサフィアを預かることはなかったし、勝手に脱走したサフィアを庇うこともないのだから。
たとえ、目の前にいる上官が平民からの叩き上げで、貴族を目の敵にしていることを知っていたとしても、だ。
私はこれ以上サフィアを庇う必要はないと考えながらも、フォローするための言葉を紡ぐ。
「実はサフィアは私が命じた……索敵に出掛けておりまして」
サフィアは少し怠惰で気まぐれなところがあるが、悪い奴ではないのだ。
こんなことで罰せられるのは、彼のためにならない。
「ほう、オレは全員に待機命令を出していたはずだがな。一体どんな理由があって、ジョシュア中隊長はサフィア分隊長に命令を出したのか?」
不愉快そうな上官の声が響く。
……ああ、仕方がない。毒を食らわば皿までだ。
隣国に不穏な動きがあるとの情報が入ったとでも説明すれば、一旦この場は収まるだろう。
勿論口から出まかせのため、後日、誤情報だったと報告し、叱責されることになるだろうが、ここでサフィアが理由なく出奔したと判明するよりはましなはずだ。
そう心を決め、「実は……」と口にしかけたところで、玄関扉が勢いよく開いた。
まさか、と思いながら瞬時に青ざめた顔で戸口を見やると、紙袋を幾つも抱えたサフィアが満面の笑みで立っていた。
「ひ、サフィア……」
掠れた私の声は、朗らかなサフィアの声にかき消された。
「やあ、ジョシュア中隊長、見てくれ! この町は伝統工芸とでも言うべき、素晴らしい布織物の産地のようだぞ。これらの布で妹のドレスを仕立てたら、さぞや見事なものが出来上がるに違いない。……と、失礼。取り込み中だったか」
そこで初めてサフィアは上官に気付いたようで、急いでその場を離れようとしたけれど、上官は弱った獲物を見つけたかのような愉悦に満ちた表情を浮かべた。
……ああ、禿げる。間違いなく私は禿げるぞ。
頭頂部分を押さえ、うめき声を押し殺した私の前で、上官は機嫌のよさそうな声を出した。
「これは、サフィア分隊長、まるで買い物帰りのような様子だな。お前は敵兵の探索に出ていたと聞いていたのだが、なぜそんなに多くの袋を抱えているのだ?」
相手をゆっくりと追い詰めることが好きな上官は、初めの一歩とばかりにサフィアに質問を始めたけれど……、サフィアは「ああ、そうだったな」とあっさり返事をした。
それから、持っていた荷物をテーブルの上に置くと、上官に対する礼を取る。
「大隊長殿、ご報告です! 敵兵の一個小隊が我が国の民に変装し、この町に紛れ込んでおりました。全て捕らえ上げ、中央広場の噴水前に転がしてありますので、回収をお願いします」
「……は?」
ぽかんとして大口を開ける大隊長の隣で、私も間抜け面を晒す。
「サ……サフィア?」
訳が分からず、ただ名前を呼ぶしかできない私に向かって、サフィアは至極従順そうな表情を作ると、まるで別人であるかのようにはきはきと返事をした。
「中隊長殿から受けたご命令通り、敵兵の探索を行っておりましたところ、町の中で我が国とは異なる術式を使用する魔術師の一団に出会いましたので、町の端から端までを回って敵兵を捕えてまいりました。よもや私が取りこぼすことはないでしょうが、捕らえた敵兵全員を町中の一番目立つ場所に転がしておきましたので、残兵がいたとしても、あれを目にしたら戦意を失って逃げ出すことでしょう」
「「…………!!」」
声も出せない私と大隊長に対し、サフィアは純粋そうな表情でテーブルの上の紙袋を見つめた。
「それから、あれらの品物は、私が索敵中であることを敵兵に悟られないよう、買い物客を装うために必要に迫られて購入したものです。業務遂行上必要な行為でしたので、経費で落としてもらってもよいでしょうか? そうは言っても、購入したのは貴族令嬢向けの高級布地ですので、軍では使い道がないでしょうから、私が処分しておきます」
想像もできないサフィアの話の流れに度肝を抜かれ、呆けたように目を見開いている私たちに対し、彼は困ったように眉を下げた。
「おや、返事もいただけないのですか。……そういえば、私が命じられたのは敵兵の探索だけで、捕らえることは含まれていませんでしたね。もしかしたら私は出過ぎた真似をしたため、お二方から不興を買っているのでしょうか?」
「「そんなはずがないだろう!!」」
思わず大隊長と声が揃ってしまう。
その後、大隊長は非常に悔しそうに、「……よい働きだった」とサフィアを褒めた。
それから、「購入物を経費で落とすことを認めるし、処分は任せる」とも付け加えた。
その言葉を聞いたサフィアがミルクを舐めた猫のような表情を浮かべたため、確信する。
……故意だ。
サフィアは扉の外で、私が上官に嘘を吐くのを聞いていたのだ。
だからこそ、私が発してもいない命令についてすらすらと説明できたし、従順そうな態度の裏で大隊長から全てを―――賞賛の言葉と高級布地という実質的な戦利品を奪い取ることができたのだ。
そのことを証するかのように、大隊長が腹立たし気に宿から出て行った後、サフィアは私にむかって朗らかに笑った。
「大隊長の悔しそうな表情を見たか、ジョシュア中隊長! ははは、すっきりしたな」
サフィアの楽しそうな表情を目にした途端、ふっと体から力が抜けるとともに、おかしさが込み上げてきたため、私も声を上げて笑う。
「ああ、日頃から『貴族は、貴族は』と嫌な態度だったからな! すっきりした」
―――それは、私の髪が守られた、ある日の出来事だった。

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