書き下ろしSS

約破棄を狙って記憶喪失のフリをしたら、素っ気ない態度だった婚約者が「記憶を失う前の君は、俺にベタ惚れだった」という、とんでもない嘘をつき始めた 1

かわいい婚約者

「すまない、呼ばれた。少し行ってくる」
「はい。わかりました」
とある晩、わたしはフィルと共に大きな夜会に参加していた。最近では、こうして二人で社交の場に出ることも珍しくない。
そんな中、彼は知人に呼ばれてしまったようで。わたしは彼を見送った後、ジェイミーとレックスの元へと向かった。先ほど挨拶回りをしている際、偶然会ったのだ。
「あら、ヴィオラ。フィリップ様は?」
「知り合いに呼ばれてしまって」
「フィリップがヴィオラを置いていくなんて、珍しいね」
珍しい組み合わせだけれど、実はこの二人、結構気が合うようなのだ。意外と辛口なジェイミーと、素で辛口なレックスの会話は想像するだけで恐ろしい。
「レックス様ったらね、来世は私みたいな女性になりたいんですって」
「超楽しそうじゃん。俺がジェイミー嬢だったら、男を手玉に取って人生を楽しむな」
「まあ、まるで私が男性を誑かしているみたいじゃない。いつだって本気ですのに。レックス様こそ、誰よりも楽しそうですわよ」
「……どちらもとても楽しそうよ」
三人でそんな会話をしているうちに、結構な時間が経っていた。けれどいつまで経っても、フィルが戻ってくる気配はない。
「フィル、大丈夫かしら」
「ねえ、フィリップ様って、どなたに呼ばれたの?」
「確か、ギボンズ侯爵様よ」
そう言ったところ、二人は顔を見合わせた。
「フィリップ、大丈夫かねえ」
「ね、心配だわ」
「えっ?」
「ギボンズ様ってさ、飲ませたがりなんだよ。こないだも若い子が潰されてたな」
「そんな……」
最近ようやく積極的に社交の場に出るようになったわたしは、色々な話に疎い。まさかそんな相手だったなんて、と心配になってしまう。
「そもそもフィリップ様ってお酒、強いの?」
「……実は、知らなくて」
この国では、十八歳から飲酒は許可されている。
けれど思い返せばわたしもフィルも、社交の場でお酒を口にすることはほとんど無かった。乾杯の際に口をつけるくらいで、食事に行ってもお互いにジュースを飲むという健全ぷりだった。
やはりわたし達はまだお互いに知らないことが多いと、改めて思い知らされる。
「レックスは知ってる?」
「うん。フィリップは激弱だよ」
「ええっ」
「あらまあ」
わたしとジェイミーの声が、綺麗に重なった。
「レックス、助けに行くわよ」
「嫌だよ。俺、酒は好きじゃないもん」
「誰よりも好きそうな顔してるくせに」
「待ってどういう顔?」
とにかくフィルが心配なわたしは、ジェイミーと共に様子を見にいくことにした。するとレックスは「やっぱり俺も行く、面白い気配がする」なんて言い、結局付いてきている。
「大丈夫よ、ヴィオラ。何かあったら私の肝臓を貸してあげる」
「ありがとう。心強すぎるわ」
「ジェイミー嬢、おもしろすぎない?」
可愛らしい顔に似合わず、ジェイミーはかなりお酒が強いのだ。
ちなみにわたしも、何度か自宅で両親とお酒を飲んだことがあるけれど、あまり酔わなかった記憶がある。間違いなく強い方だとお父様は言っていた。 会場内を探しても彼の姿はなく、聞いて回ったところ別室で飲んでいるとの情報を得た。
「……わお」
そうして訪れたフィル達がいるという部屋の中は、大惨事だった。
「どうして、わたくしのお酒を、隠すのですかあ……!」
「も、もう止めた方が良いのでは……」
部屋の中心では顔を真っ赤にしたナタリア様が、何故か泣きながらマドラーでギボンズ様をぺしぺしと叩き続けている。どうやら、彼女も酔っているらしい。
「いやあ、俺の勘は正しかったな。こんなに面白いことある?」
「楽しんでないで、なんとかして」
あちこちに屍が重なっている中、やがてソファの端に引っかかっているフィルの姿を見つけた。
すぐに駆け寄り、ぐったりとしている彼に声をかけると、フィルは「んー?」と顔を上げた。かなり顔は赤く、目はとろんとしていて、かなり酔っているのが窺える。
「大丈夫ですか? お水はいりますか?」
「かわいい」
「……なんて?」
「かわいい。好きだ。愛してる」
「────」
本当に待ってほしい。これは一体誰だろう。
戸惑っていると、背後からナタリア様の「ちょっと!」という声が聞こえてきた。
「ちょっと、何いちゃついているんですか! はしたない!」
「ええ……」
「ずるいです! わたくしだって……わたくしだって……うう……!」
「いてて、なんで俺が殴られてんの?」
完全にこの場は、混沌を極めている。とにかくナタリア様の介抱はジェイミーに頼み、わたしとレックスでフィルを連れ帰ることにした。

◇◇◇

「じゃ、あとはごゆっくり」
「ありがとう。レックスも気をつけて」
「家に着くまでに面白いことがあったら、ちゃんと報告してね」
「…………」
馬車までフィルを運んでくれたレックスにお礼を言い、わたし達を乗せた馬車は公爵邸に向かって走り出した。わたしの隣に座るフィルはぐったりとしており、様子はおかしいままだ。
「かわいい」
「分かりましたから」
「ヴィオラ、かわいい」
「……っ」
「俺のこと、見て」
おかしい。間違いなくおかしい。こんなの、いつものフィルではない。お酒は人を変えるとは聞いていたけれど、まさかこれほどとは思わなかった。
フィルの整いすぎた顔がぐっと近づき、鼻先が触れ合いそうになる。
「かわいい」
「も、もう、やめてください」
「大好き」
そうして更に顔が近づき、唇が重なりかけて、きつく瞳を閉じた瞬間だった。
ガンッという、鈍い大きな音がして。驚いて目を開ければ、なんとフィルは思い切り壁に頭を打ちつけていた。慌てて声をかけても反応はなく、どうやら眠っているらしい。
「……もう」
ほっとしたような、寂しいような。そんな気持ちを抱きながら、わたしはそっとフィルの身体を倒すと、自身の膝に彼の頭を乗せたのだった。

◇◇◇

「……すまなかった」
「何がです?」
「かなり酔って、君に迷惑をかけたと聞いた」
二日後、やけに大きな花束を持ってフィルは我が家へと謝罪にやって来た。
「そ、それに、君のひ、ひざを借りたと聞いた」
どうやら、御者が報告していたらしい。顔を真っ赤にしてそう言った彼に、笑みがこぼれる。あの日の積極的な姿は、どこにもない。
それから先日の出来事をすべて話したところ、フィルは頭を抱えたまま動かなくなってしまう。
「……わたしはやっぱり、こっちのフィルの方が好きです」
あれはあれでドキドキしてしまったけれど、やはりわたしは照れ屋な彼の方がいい。
そう告げると、わたしはかわいい婚約者の背中にそっと抱きついたのだった。

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