婚約破棄　前夜

さすが大国ルビーニ王国。王立学園近くの小さなカフェにだって、スプーンを入れるのをためらうほど優美でおいしそうなパフェがある。私は目を皿にしてメニューに見入っていた。
「どれもおいしそうで選べないわ……！」
私が頭を抱えながらそう言うと、向かいの席で男爵令嬢のカタリーナが口元に手を添えて品よく笑った。
「では、三人で別々のものを注文して、分け合って食べましょうか」
「そうね、それがいいわ。私も迷っていたの」
カタリーナの提案に手を叩いて賛同したのは、子爵令嬢のオリエッタだ。
「二人とも、ありがとう。私の国ではこんな素敵なパフェなんて無かったから……。とっても楽しみだわ！」
私が両手を挙げて喜ぶと、二人は顔を見合わせて楽しそうに笑っている。注文を終え、メニューを閉じた私は身を乗り出すようにしてオリエッタに尋ねた。
「ねえ、オリエッタは以前このお店に来たことがあるって言っていたでしょう？　もしかして、それは、こっ、婚約者の方といらしたの？」
「え、ええ。そうなの」
オリエッタはぽっと頬を紅く染め、そうこたえた。
「わあ、デート！　憧れる～～。カタリーナも婚約者の方とデートしてるの？」
「ええ。先週末に一緒に美術館に行ったところよ」
「うらやまし～～。私も早く婚約者見つけたいわ！」
立ち上がる勢いで私がそう言うと、カタリーナが首を傾げた。
「ミミはまだ留学してきて二ヶ月でしょう。そうあせらなくてもいいんじゃない？」
「ねえ、ミミはどんな男性がタイプなの？」
頬に手をあて興味津々のオリエッタに問われ、私は腕を組んで頭をひねる。
「うーん、健康な人かしら」
「それだけ！？」
あはは、と声をあげて笑うオリエッタ。
「見た目は？　第二王子のプラチド殿下とよく一緒にいらっしゃるじゃない。あの方はどう？　とても美しい方だと思うけれど」
「確かにそうね。私はアイーダの親戚だし、留学生だからプラチド殿下にはいろいろと気遣っていただいているの。あ、そうだわ。二人は第一王子のレナート殿下にお会いしたことある？　眉目秀麗と噂の王子様、一度近くで見て見たいわ」
二人が揃ってきょとんとした表情をした。
「まだお会いしたことないの？」
「レナート殿下はアイーダ様の婚約者でしょう。ご挨拶くらいあってもいいと思うけれど」
私はテーブルに行儀悪く肘をのせ頬杖をついた。
「私もそう思うんだけど……。レナート殿下ってお忙しいとかで、アイーダもなかなか会えないらしいのよ」

＊＊＊＊＊

私はマリーア。最近では皆、ミミって愛称で呼んでくれてる。遠縁のアイーダを頼って隣国ムーロ王国からこのルビーニ王国へやってきた留学生だ。
アイーダはルビーニ王国第一王子レナートの婚約者。レナートはひとつ年上で、この王立学園を卒業されたら立太子される予定だ。とても優秀な方で、その端正な顔だちは国一番と言われるほど。
一度ご挨拶してそのご尊顔を拝みたいのだけれど、なかなかどうして、お会いすることができていない。
レナートの近くには護衛を兼ねた側仕えの同級生たちが常に張り付いていて、不用意に近付こうとする人たちを蹴散らしている。それでも未来の国王と接点を持ちたい貴族子息たちに囲まれ、いつも彼の周囲は賑やかだった。
「あっ、あの人だかりの中心にいる金髪はレナート殿下じゃない？　アイーダ、ご挨拶に行きましょう」
「ミミ、待って。廊下を走ってはいけないわ……」
私が群がる人々の波に加わった瞬間、レナートはくるりと背を向け足早に去って行ってしまった。アイーダが追い付いた頃には、その背中はすでに遠くなっていた。
「残念、少し遅かったみたい。またレナート殿下のお顔見ることができなかったわ」
「……そう。残念だったわね」
アイーダが困ったように眉を下げ、さみしそうに笑った。

とある日、学園の廊下を歩いていたら階段を上っていくアイーダを見かけた。声をかけようと手を上げたら、階上から駆けおりてきたピンク髪の女の子がアイーダとすれ違った瞬間、なぜか勢いよくジャンプした。
危ない、落ちる！
周囲で上がる悲鳴。全員が彼女に注目した。
私は上げていた手を必死に伸ばし、落ちてきた彼女を地面にぶつかるギリギリで受け止めた。おおお、と感嘆の声が上がる。
「危なかったわね、大丈夫？」
「へ？　へ？　な、なんで？」
ピンク髪の女の子は私を押しのけるようにして起き上がると、あわててどこかへ走って行ってしまった。

「さっきはびっくりしたわね。私以外にもあわてんぼうの女の子が通っているなんて」
「ふふ、そうね。ありがとう、ミミ。助かったわ」
「え？　私は別にアイーダは助けてないけど……」
「きゃあっ」
アイーダと中庭を歩いていたら女の子の悲鳴が聞こえ、私はハッと顔を上げた。バタバタと走り去っていく数人の男子生徒たちと、そこに残された一人の女子生徒。彼女は真っ青な顔でスカートをバサバサとはらい、震えている。私は駆け寄り、声をかけた。
「どうしたの？」
「スカートに青虫がっ……」
「あら、本当だわ」
彼女のスカートには大きな青虫が這っていた。これははらったくらいでは落ちないだろう。私はそっとその青虫を摘まんで持ち上げた。
「ひっ……！」
「この青虫は毒はないから大丈夫よ。それにしても大きな青虫ね。こんな立派なの初めて見たわ」
近くの木に帰してあげようと振り向くと、木の陰に隠れていたピンク髪の女の子と目が合った。あら、さっきの女の子だわ。
「ねえ！　見て！　すごーく立派な青虫なの！」
「きゃーーー！」
私がそのままピンク髪の女の子を追いかけまわしてしまったせいで、なぜかアイーダがピンク髪の女の子に嫌がらせをしたという噂が立ってしまった。しかし、実際に男子生徒に嫌がらせを受けた女の子が、きちんと皆に説明してまわってくれた。ちなみに、この女の子がオリエッタだ。

そのあくる日、体育の授業で一生懸命運動した私はお腹が空いたので食堂へ向かっていた。まだお昼休みには早いこの時間、廊下はひっそりとしていた。鼻歌を歌いながら軽快に階段を下りて行くと、階下に一人の人影が見えた。窓から差す陽の光にキラキラ輝くあの金髪は、間違いない。レナートだ。
王子様も食堂で食事なんてするのかしら。と首を傾げたのも束の間、私は手を打った。食堂のずっと向こうには、王族と高位貴族向けのサロンがある。彼はそこへ向かっているのだろう。今日はいつも隣にいる側仕えどころか、取り巻きたちもいない。
めずらしく一人で歩く彼の姿を見て、私はバタバタと足音を立てて階段を下りた。飛び降りるように廊下に着地すると、レナートはその音に驚いて目を見開いた。が、すぐにぎゅうっと目を閉じ、両手で目を覆ってしまった。
「え……」
進行方向をふさぐように私が立っているためだろうか。レナートは来た道を戻ろうと、くるりとこちらに背を向けた。
「殿下！」
こちらに駆けて来る足音がして、茶髪に眼鏡の青年がレナートを呼んだ。たまにしか学園に来ないレナートの側近だ。レナートを背にかばうように前に立った眼鏡の側近は、とても申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「で、殿下。この方は違う方ですよ……」
レナートにその声は聞こえていないようで、青年の肩に頭を押し付けてこちらを見ないようにしている。
どういうことなの？　ちっぽけな小国から来た留学生なんて、目を合わせるのももったいないってこと？
思わず側近に詰め寄ろうかと思ったが、私はぐっとこらえた。なぜなら、彼がとても疲れた顔をしていたからだ。
ぺこぺこと頭を下げながら、レナートを奥のサロンへ連れて行く彼の背中に、側近って大変ね、と心の中で声をかけた。

＊＊＊＊＊

注文していたパフェが三つ運ばれてきて、私たちは感嘆の声を上げた。人目も気にせずパフェを分け合って食べた。
「ミミは公爵令嬢なのに、こうして私たちみたいな下級貴族とも気さくに仲良くしてくれるような人だもの。きっと良い人が見つかるわ」
「そうよ。ねえ、年下なんてどうかしら。弟に良い人がいないか聞いてみるわね」
「ありがとう、二人とも。あーあ、私ってどうしてこんなにモテないのかしら」
テーブルにつっぷすと、二人が頭を撫でてくれた。顔を上げた私の口に、オリエッタがクリームのついた苺を押し込む。
「ミミ、元気を出して。とりあえず、明日は学園の卒業パーティ。さすがに明日はレナート殿下を近くで見ることができると思うわ。噂通りの本当に美しい方なのよ」
「ええ！　とっても楽しみしてるわ！」
私はがばっと起き上がって再びパフェにスプーンをさした。
パーティに向けて可愛いドレスも用意したし、レナート殿下にお会いできれば取り巻きの一人くらいは声をかけてくれるかもしれないわ。イケメンの近くにはイケメンがいるはずだもの！

私はのん気にもう一つのパフェに手を伸ばした。
この時の私はこれっぽちも想像していなかった。まさかパーティであんなことが起こるだなんて。