書き下ろしSS
王国の最終兵器、劣等生として騎士学院へ 1
子犬の命名
放課後、俺はルルリア、ヘレーナ、ギランと共に、学院の敷地内にある雑貨屋を訪れていた。生徒向けの日用品や簡単な筆記具などを置いている場所だが、今回来たのは買い物のためではない。
「アオッ、ワンッ」
「わ、わわ、暴れないでくださいまし!」
ヘレーナが雑貨屋の店先で、必死に子犬を抱き上げている。
「ルルリア、子犬の持ち方ってこれで合っていますわよね? ね?」
「大丈夫です、ヘレーナさん! 落ち着いて……落とさないでくださいね? その子、怪我しちゃいますよ!」
ヘレーナとルルリアが、二人して大騒ぎしている。
この子犬は学院の敷地内に迷い込んできたのだ。現在、この雑貨屋の店番をしているエレナ婆さんが、この子犬を飼っている。
この子犬に会うために四人で雑貨屋を訪れるのが最近の日課となりつつあった。
「女共は、よくあんな犬っころなんざに熱心になれるな。獣なんざ、ちょっと小さい魔物みたいなもんじゃねえか」
ギランがルルリアとヘレーナを眺めながら、溜め息交じりにそう口にした。
「なあアイン、あんな犬眺めてるより、とっとと今日の訓練に行こうぜ」
「一度、食べ物をあげてみたい。食堂で干し肉を少しもらってきてな」
あの子犬、妙に俺を恐れているのだ。野生の勘が働くのか、呪法で強化されたマナを感知して怖がっているのかもしれない。そのため抱いたり撫でたりするのは諦めていたが、一度くらい干し肉をあげてみたい。
「……アイン、お前よ、意外とミーハーなところあるよな」
「そうか?」
店内から、飼い主のエレナ婆さんが姿を現す。
「あんまり今はお菓子はあげないでちょうだい。さっきも別の生徒から散々もらったところでね」
「そ、そうなのか……」
俺は意気揚々と手に準備していた干し肉の欠片を、すごすごと荷物へ戻す。この学院生活、気合を入れたときに限って空回りしていることが多い気がする。
「そこまで落ち込まなくてもいいじゃねぇかアイン……。え、餌くらい、いつでもやれるって、な?」
ギランから励まされてしまった。エレナ婆さんも、気まずげな笑みを湛えて俺を見ている。
「そういえばエレナさん、この子犬ちゃん、名前ってまだつけていないんですか?」
ルルリアがエレナ婆さんへと尋ねる。
「少し考えたんだけど、なんだかしっくりこなくってね」
「じゃあ、じゃあ、私達でこの子の名前を決めていいですか!」
「いい名前を考えてくれるんなら採用するよ」
ルルリアの提案に、エレナ婆さんの了承が降りた。
「あら、それいいわね、ルルリア! 面白そうじゃない! この私が、この子に相応しい、凛々しくて格好いい名前を考え出してみせますわよっ!」
「クゥン……」
ヘレーナの様子に、子犬が不安げな鳴き声を上げた。
それからしばらく、四人で子犬の名前を考える時間となった。
「ヘブルナ! ヘブルナはどうかしら? 私の憧れる、三百年前の伝説の剣豪の名でしてよ! この子にこれ以上相応しい名前はないと思うの!」
ヘレーナが興奮げに語る。
「伝説の剣豪も、まさか三百年後に犬に名付けられてるとは思わねえだろうなァ……」
ギランの呆れたような言葉に、ヘレーナがムッと口許を歪める。
「……やっぱりギランって付けましょうか。ギランがアインの後にいつもべったりくっ付いているの、なんだか従順な子犬みたいですし」
「テメェ、ちょっと自分の意見が否定されたからって、俺への攻撃に出るんじゃねえぞヘレーナァ!」
ヘレーナの陰湿な反撃にギランが牙を剥く。
「う~ん……茶色ですし、ブラウン、というのは?」
「ルルリアのアイディアもいいとは思いますけれど、もう少し捻りが欲しい気もしますわね」
「そうですね……マロン、クルミ、パン……」
「……ルルリアって、意外と食い意地が張っていますわよね」
「ちゃ、茶色くて名前にできそうなものっていったら、自然とこの辺りの食べ物になるだけですよっ! なんでもかんでも茶化さないでください!」
ルルリアが顔を赤くしてヘレーナへと反論する。……しかし、マロンとクルミはまだわかるのだが、パンはこの流れではなかなか出てこないのではなかろうか?
俺も少し考えてみたのだが、なかなか浮かばない。あまり小動物と触れ合うような機会はこれまでなかった。どういった名前を付けるのが自然なものなのか?
「ギランは何か思いつかないか?」
「あ、あァ? いや、俺は別に、犬っころの名前なんざに興味ねえしなァ……。まあ、その、案がねえわけじゃないけどよ……」
「あー出ましたわ! ギランのあの、『俺は興味ないけど』っていう白々しい前置き! 絶対口を挟めるタイミングを窺っていましたわ! いつもいつもそうなんですもん! 本当はこの子に興味津々なクセに!」
ヘレーナが、ギランから遠ざけるように子犬を抱き締める。
「ちょ、ちょっと案を出してやろうとしただけだろうが!」
ギランが口をへの字に曲げて、ヘレーナへとそう叫んだ。
実際、ギランもなんやかんや、この子犬のことを気に掛けている。そうでなければ、連日俺達の付き添いでこの雑貨屋へと足を運んだりはしないだろう。
そして子犬の方も、なぜか一番態度の素っ気ないギランに懐いているのだ。今もあの子犬はヘレーナに抱かれながらも、ちらちらとギランの方へと目を向けている。
ヘレーナもそれに勘づいており、子犬のことでギランに対して嫉妬しているようだった。
「ま、まあ、落ち着いてください、ヘレーナさん。案は多い方がいいですよ。ここまでしっくりくる名前はありませんでしたけれど、ギランさんは自信があるみたいですし……」
ルルリアがヘレーナをそう宥める。ギランはこほんと誤魔化すように咳払いを挟み、それから候補の名前を口にした。
「……フェンリルってどうだ? いや、そこまで自信あるわけじゃねぇんだけどな」
少し照れが出たのか、言い訳臭い言葉を付け足す。
フェンリル。狼の有名な魔物である。七メートル前後の巨体を持ち、王国騎士でも『迷宮で出会ったら逃げろ』とされる|巨鬼級《レベル5》の魔物だ。
「えっと……あんまり似合ってはないかもしれませんね」
ルルリアが気まずげな表情で口にする。
「……ギランのネーミングセンスに期待したのが間違いでしたわ」
ヘレーナも溜め息を零した。
「な、なんでだよ! そこまで悪くねえだろ? なぁ、アイン?」
ギランが助けを求めるように俺を見る。
「そうだな……俺はシンプルに、ブラウンかマロンがいいと思うんだが」
俺は返答に詰まり、咄嗟にそう誤魔化した。
「聞かなかったことにした!? おい、アイン! そういうのが一番傷つくんだぞ! オイ!」
ギランは頭を掻きながら「まあ、流れで案として出してやっただけだし、犬っころの名前なんざどうでもいいんだがよ……」と、ぶつぶつと口にしていた。どうやらそれなりに自信があったらしい。
……だが、フェンリルはこの子犬にあまりに似合っていない。
「アオンッ! アンッ!」
そのとき、子犬が嬉しげに鳴き声を上げた。
「この子、気に入ったみたいさね」
エレナ婆さんが驚いたように口にする。
ルルリアとヘレーナが、茫然と口を開けて子犬を見つめていた。
「ほ、本当にいいのかしら? ギランの奴なんかに気を遣わなくたっていいんですわよ?」
「アオッ! ワンッ!」
ヘレーナの再確認にも、子犬は元気にそう答えた。
まさかのギランの大逆転であった。
その後、他の案を出したのだが子犬は不服気な様子で、フェンリルと呼ぶ度に嬉しそうに返事をするようになってしまった。
「……この子、ギラン贔屓が過ぎますわ」
ヘレーナがくにくにと、子犬の顎の下を触る。子犬は心地よさげに目を細めている。
ギランは興味なさげなふうを装っていたが、満更でもなさそうな様子であった。
……ただ、結局フェンリルでは物々しすぎるということで浸透せず、後日『フェン』という形で落ち着いた。