書き下ろしSS
家から逃げ出したい私が、うっかり憧れの大魔法使い様を買ってしまったら 3
初めてのお酒
ある日の仕事終わり、わたしはいつものようにクラレンスの家でエルやユーインさん、シャノンさん、ルカとともに夕食をとっていた。
「エルヴィス様、どうですか?」
「この魚、かなり気に入った」
「本当ですか……? ありがとうございます!」
エルに褒められ、クラレンスは恋する乙女のように頬を赤く染めている。
やがて美味しすぎる食事を終え、みんなとの会話を楽しんでいると、シャノンさんが「とっておきなの」と言って赤ワインのボトルを取り出し、テーブルに置いた。
「これ、年代物ですっごくレアなのよ。飲む人―?」
「じゃあ俺、頂いちゃおうかな」
「私も一杯お願いします」
「はいはーい」
ルカとユーインさんが手を上げ、シャノンさんがグラスにワインを注いでいく。
ルビーのような鮮やかな色を眺めていたわたしは、意を決して口を開いた。
「あの、わたしも一杯いいですか?」
「は?」
そう言って小さく手を挙げたところ、隣にいたエルを始め、その場にいた全員が驚いたような視線を向けてくる。とっくに成人してお酒を飲める年齢だというのに、わたしは今まで一度もお酒を飲んだことがなかったからだろう。
「もちろんいいけれど、どうしたの? 急に」
「実は来週、学園時代の友人の誕生日パーティがあるんです。そこで、生まれ年のお酒を出すって言っていて……」
せっかくの素敵な機会だし、ぜひ一緒に頂いてお祝いしたい。とは言え、初めて飲んで加減が分からず、何か粗相をしては困ると思い、少しずつ慣れていこうと思ったのだ。
そう説明したところ、みんな納得してくれたようだった。──エル以外は。
「やめとけ。酒なんて飲んでもいいことねえし」
「あら、エルヴィスったら酒くらいで心配してるの? かーわいい」
「エル様ってほんと過保護だよねえ。愛だなー」
「うるせえ」
茶化すようなシャノンさんとルカを睨むエルに、「一杯だけ」とお願いする。
心配してくれるのは嬉しいけれど、このまま一生飲まないというのもきっと難しいし、エルもいるこの場なら安心だろう。
「……一杯だけだからな」
「はいっ」
なんとかエルの許可が降り、目の前にワイングラスが置かれる。エルはお酒が強い方ではあるものの、あまり好きではないようで滅多に飲まない。
「い、いただきます」
三人と軽くグラスを合わせると、わたしはドキドキしながらグラスに口をつけた。
◇◇◇
ゆっくりと一杯を飲み干した後、だんだんと顔や身体が熱くなってきて、瞼が少しだけ重くなってくるのが分かった。これが「酔う」という感覚なのかもしれない。
「ジゼルさん、もう顔が赤いですね。大丈夫ですか?」
「はい。少しふわふわするくらいで」
体調も悪くないし、むしろ楽しくて、たくさんお喋りしたいような気分になるだけだ。
「それなら、もう一杯いく?」
「やめろ」
「やあね、冗談よ」
エルに対してそう言うと、シャノンさんはわたしの頭を撫でてくれる。そんなシャノンさんに急にお礼を言いたくなったわたしは、彼女の手を取った。
「わたし、シャノンさんのことが大好きです。出会った頃は、こんなに仲良くなれると思っていなかったので、本当に今、うれしくて……綺麗で仕事もできて、優しいシャノンさんは憧れです」
「な、何よ急に……そういうの、泣くからやめてよね」
シャノンさんは顔を赤く染め、照れているようだった。照れ屋さんで可愛いところも大好きだと伝えれば、「知ってるわよ!」と抱きしめてくれる。
「お前ら、どういう酔い方なんだ。とにかく水を飲め」
するとクラレンスが二つ水の入ったグラスを用意してくれて、無性に感動してしまう。
「あ、ありがとう……! わたしね、クラレンスのことも尊敬してるんだ。いつもわたしのことをフォローしてくれて、料理も上手だし、優しくて……」
「やめろバカ、大袈裟だ」
クラレンスにも日頃の感謝を伝えたところ、彼はふいと顔を背けた。その頬はほんのりと赤く、やはり照れているのかもしれない。可愛いと言うと、エルに怒られてしまったけれど。
「ねえジゼル、俺は? 俺は?」
「ルカは女好きだし、仕事もサボりがちだけど、明るくて楽しくて……ええと」
「なんか俺だけ違わない?」
「お前のいいところなんて、付き合いの長い私でもあげるのが難しいわよ」
シャノンさんにそう言われ、ルカは「えーん」と泣き真似をしている。今は上手く頭が働かないため、後日あらためて伝えると約束した。
このまま、いつもお世話になっているみんなに日頃のお礼を伝えたくなったわたしは、向かいにいるユーインさんへ視線を向けた。
「ユーインさんは本当に優しくて、ふざけて意地悪なことを言ったりもするけど、いつだってエルやわたしのためを想ってくれていて……エルにとっても、わたしにとっても、お兄さんのような存在で、とても大切です」
「……ありがとうございます。私にとっても、ジゼルさんは可愛い妹のようですよ」
「や、やだ……なんだか泣けてきたわ。私だってお前たちのこと、好きなんだからね!」
「暑苦しい」
いつしかシャノンさんは泣き出しており、クラレンスとルカに抱きついている。その様子に胸が温かくなるのを感じつつ、わたしは最後にエルに身体を向けたのだけれど。
「俺ら、帰るわ」
「え──」
その瞬間、浮遊感に包まれ、気が付けばエルの部屋のベッドに移動していた。わたしは倒れ込むようにして寝転がっており、エルはすぐ近くに座っている。
「お前、酔いすぎ」
「ご、ごめんなさい」
はしゃぎすぎたせいで怒っているのかと思ったものの、エルは小さく口角を上げると、わたしを見下ろした。
「で? 俺に言うことは?」
「えっ?」
「あいつらは散々褒めちぎっておいて、俺には何もないわけ?」
「あ、あるよ! もちろん」
ベッドに寝転がったまま、わたしは慌てて続ける。
「エルは世界で一番格好よくて、でも可愛いところもたくさんあって、強くてね、意地悪だけど優しくて、わたしの全部だよ」
「……ふうん」
「それにね、エルはいつだってわたし──っ」
そこまで言いかけたところで、エルの顔が近づいてきたかと思うと、唇を塞がれた。
突然のことに戸惑うわたしを見て、エルは「余計に顔赤くなって、タコみてえ」なんて言う。
「な、なんで……」
「したくなったから。むしろそうなると思って、部屋に戻ってきた」
「な、なにそれ……」
「お前が可愛いこと言うからだろ」
「か、かわ……」
恥ずかしくなってきて両手で顔を覆うと、「クソガキ」と笑われてしまう。
「あと、もう二度と酒は飲むなよ。他のやつのこと、あんま誉めんな」
「今日はよかったの?」
「……あいつらは、まあ」
「ふふ、エルもみんなのこと、大好きだもんね」
「うるせえ」
そう言いつつ否定はしないエルに胸が温かくなりながら、もうエルの前で以外はお酒を飲まないと約束したのだった。