書き下ろしSS
こだぬきと領主さまの物語 ~女神さまの御座す国~
乙女の夢
領主様のお屋敷には子狸がいます。
まん丸ふわふわな、女の子にもなれる子狸です。
見ていて笑いを誘う、呑気でちょっぴり滑稽な仕草。
大好きな領主様のためならば、いつだって火の中水の中な行動力。
前のめりになって努力するその姿はとても愛らしいのですが……。
今回に限っては、その行動力が領主様を大変困った事態に陥らせることになりました。
さて、一体何をしようとしているのでしょうか?
狩り、でしょうか?
いえいえ、それならば領主様は静かに見守ることでしょう。身体能力を弁えた範疇で、ではありますが。……そろそろ、身体能力の低さ(現実)を伝えるべきかと悩んでいる領主様です。
では、友達100人計画?
まずは100を数えられるようにしている最中ですから、領主様は応援しています。
違います。
子狸がやる気を見せ、領主様が困っている理由。
それはずばり。
膝抱っこ、なのです。
領主様が子狸を? 否、それならば領主様は喜んで膝を貸しますとも。
逆、逆なのです。子狸が、領主様を、膝の上に乗せようとしているのです。
領主様の膝の上が大好きな子狸は、思いついてしまったのです。
領主様にもお膝の上で休んでもらおう! と。
ですから、ソファに座って少女になった狸はスカートの上から膝を叩き、その大きな目をきらきらと期待に輝かせて、無邪気な笑顔で「どんとこーい」と、両手を広げているのです。
「……………………」
領主様は困りました。
大変、困りました。
この小さな婚約者は、大の大人である領主様を、本気で膝抱っこするつもりなのです。
そこにサイズ感を考慮した様子は微塵もありません。
本当に困りました。
言われるがままに、その小さな膝に乗ったりしたら、確実に潰します。
それは想像などではなく、誰もが予想出来る事実です。
けれども、子狸の行動は領主様を想うあまりのものなのです。大好きな領主様にも自分と同じようにお膝の上で休んでもらいたい。そんな単純な気持ちからの行動なのです。
純然たる好意と愛情表現。
とっても微笑ましい思いなのですが、……しかし。
無理なものは無理、なのです。
少しの間、考え込んでいた領主様でしたが、ふ、と一つ息を吐いてから狸娘の膝の上、ではなく、その隣に座りました。
子供の成長は早いと言っても、10歳が11歳になったところで、そうそう大きくはなりません。簡単に腕の中に囲えてしまえる少女はまだまだ小さくて。
領主様はそのとっても大切な婚約者を潰さずに済むよう、彼女の頭を撫でながら説得を試みることにしました。
「ネリ、膝の上に乗せるのは男の特権なんだ」
領主様自身、そんな特権あるのかどうか知りません。が、嘘も方便と申します。
今は子狸を納得させることが最重要。
割り切っている領主様は潔いほどきっぱりと言い切りました。
素直なネリは当然、その言葉を信じました。
がーんとショックを受けた顔をして、しおしお手を下ろします。ないはずの狸の耳がへにょりと垂れたのが見えた気がしたのは領主様の気のせいでしょうか。
目に見えてしょんぼり意気消沈した狸は、けれども、少しして何かを思いついてしまったらしく、勢いよく顔を上げました。
「膝枕は乙女の夢なのです!」
「……………………」
誰だ、そんなことをネリに教えたのは。
領主様は苦々しさに口元が歪みそうになるのを必死に堪えながら、内心で頭を抱えました。
膝枕。
確かに恋人同士の間では甘い空気を醸し出す素晴らしいシチュエーションかもしれません。
しかし、お膝の上に乗っけたり、手ずから物を食べさせたり、頬を合わせて愛情表現をしたり、抱っこしたり……。膝枕なんてめじゃないくらい、らぶらぶな触れ合いを普段から当たり前のように行っているのですから、何も膝枕に拘る必要などないはずです。
普段の行動を改めて振り返り、領主様は最近もらった苦情を思い出しました。
なるほど、どうりで二人の近くはじゃりじゃりの砂糖を嚙み締めたように甘いと言われるはずです。
少しだけ反省をした領主様は、脱線しかけた思考を戻し、眉尻を下げてネリを見ました。
「頭は結構重たいから、大変だぞ?」
きょとんとしたネリが首を傾げ、それから心配そうに返します。
「領主さま、お休みできない?」
「そういう訳ではないが……」
誰かとの触れ合うことがあまり得意ではない領主様ですけれど、子狸に関しては例外です。逆に、領主様の方が子狸と触れ合いに積極的なくらいではないでしょうか。
ですから、ネリがしてくれる膝枕に魅力を感じないわけではないのです。ただ、その後の成り行きが当然のように思い描けてしまったがために、言い淀んでしまっているだけなのです。
しかし、先ほどのしょんぼりを見てしまった領主様は、拒否し続けることが出来ませんでした。
……まあ、短い時間であれば大丈夫でしょう、きっと。
ソファの上でごろ寝して、端っこに座ったネリの膝に頭を預けます。
やる気に満ち溢れた子狸は、こぼれんばかりの嬉しさを花のようにまき散らしながら、領主様の柔らかな髪を撫でました。その手つきが臆病なくらいに遠慮がちなのは、不器用な自覚があるからなのでしょう。
領主様が大丈夫だと伝えるように微笑むと、子狸は安心したように笑いました。
それにしても。
膝枕というのは言われているほど、夢のある場面では無いのではないでしょうか。
好きな相手には一番かわいい顔を相手に見せたいもの。
けれども、膝枕の姿勢は女の子にとってはあまり見せたくない、下からの顔を間近で仰ぎ見られるのです。夢があるのは話の中だけなのかもしれません。
ただ、べろんと伸びたへそ天姿を晒してきた子狸にとって、ふんすと鼻息荒い姿を仰ぎ見られたところで今更ですし、領主様も取り繕った姿よりも間の抜けている姿の方が見慣れていますから、この珍しい体勢を二人はとても楽しんでおりました。
そうして、楽しい時間というのは、気付かぬうちに進んでいくものです。
気が付いた時には、後の祭り。
そう、短時間であれば大丈夫だろう、そう思っていた領主様も。
タイムオーバーには気が付くことが出来なかったのです。
結果。
「ぬおおぉぉぉ……っ」
領主様の隣でうめき声を上げながらソファにへばり付き、小刻みに震える子狸が一匹、いえ、ひとり出来上がりました。
そんな場面に出くわした従者は、思わず。
服の上からネリの膝小僧の辺りを突きました。
つん。
「にょおおぉぉぉ~~~~っ」
うめき声が奇声に変わりました。
「面白いなぁ」
「やめてやれ」
従者を制止し、身体を丸めて脚の痺れに悶える子狸の背中を撫でる領主様は大変申し訳なく思っていた訳ですが。
嬉々としてちょっかいをかける従者はとっても楽しそうですし、子狸は子狸で、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう懲りなさ具合ですから。
後日。
領主様が『膝枕三分ルール』なるものを作ることになったのも、まあ当然の成り行き、なのかもしれません。