書き下ろしSS

帝陛下のお世話係~女官暮らしが幸せすぎて後宮から出られません~ 2

贈り物

季節外れの木蓮が白い花を一つだけ咲かせた、蒼蓮(ソウレン)の宮。
銅でできた急須を手にした雹華(ヒョウカ)が、一人調理場にいた。
窓から白い花がぽつんと咲いているのに目を留め、自分がここへ来たのもちょうどこんな頃だったと思い出す。
──女がいつまでも鉄を打っているなど許されぬ。
宮廷御用達の職人が集まる工房が、彼女の生家だった。自分に技を教え込んだはずの父は、いつしか鍛冶場から娘を遠ざけるようになり、ある日盛大に親娘喧嘩をしたのちに彼女は家を飛び出てしまった。
蒼蓮(ソウレン)とは、父や兄と宮廷に出入りしていたときに何度か言葉を交わしたことがあっただけ。当時、皇帝の弟として執政室にいた彼は、数多ある器の中から雹華(ヒョウカ)が作ったものを高く評価してくれていた。
職人として雇ってもらえるなら、愛妾の身分でも何でもいいとさえ思っていた雹華(ヒョウカ)に対し、蒼蓮(ソウレン)が求めたのは偽りの関係だった。
『そなたは見目が良い。私が寵愛し囲っている女人のふりをするのなら、宮を貸してやる』
まだ赤子だった紫釉(シユ)に献上した光で色が変わる毬。そのほか、安全な茶器や飾り細工を作ることを命じた蒼蓮(ソウレン)は、雹華(ヒョウカ)のことを職人として信頼し契約した。
蒼蓮(ソウレン)の宮で細工物を作ること約五年、先帝が亡くなったことで宮廷や後宮の事情はすっかり変化したが、雹華(ヒョウカ)の暮らしは変わらない。
雹華(ヒョウカ)様? こちらですか?」
振り返ると、戸口に凜風(リンファ)の姿があった。
清廉な花のような美しさ、少しだけあどけなさも残るその顔つきはいかにも良家の娘だと思う。
「あら、早かったのね。夜になるものとばかり思っていたわ」
そう言って笑いかければ、彼女もまた微笑んだ。
(かんざし)がないと落ち着かぬのです」
「ふふっ、大丈夫よ。きれいに磨いてあるわ」
「ありがとうございます」
ホッと安堵した表情を見せる凜風(リンファ)。先日、池に落とした(かんざし)雹華(ヒョウカ)が預かっていて、傷ついた飾りの手入れをしてから凜風(リンファ)の手元に戻す予定だった。
「あの池って、見た目より色々な物が沈んでいたのね。(かんざし)を拾うつもりで水を抜いたのに、誰かの靴や扇なんかも上がったそうじゃないの」
持ち主がわかる物はほとんどなかったが、かつて後宮で女たちの争いが繰り広げられていた時代に意図的に投げ込まれたであろう物も多数見つかった。
職人としては、物を粗末に扱うのは許せないと雹華(ヒョウカ)は呆れる。
「これまでにも池の水は何度も抜いていたそうですが、完全に抜き切るわけではなかったそうで、落ちている物をすべて回収したのは初めてだったとか。私の(かんざし)も、流れていかずに見つかって本当によかったです」
雹華(ヒョウカ)凜風(リンファ)を連れて、自身の部屋へと向かう。
引き出しに入れてあった木箱を取り出すと、中を確認してからそれを凜風(リンファ)の手に握らせた。
「……事情は聞いたわ。職人としては大事にしてもらって嬉しいけれど、くれぐれも無茶はしないでね?」
夜の池に入るなど、していいことではない。
暗にそう告げる雹華(ヒョウカ)に対し、凜風(リンファ)は困ったように眉尻を下げて笑った。
「気を付けます」
「本当に?  蒼蓮(ソウレン)様も心配していたわよ。あなたは目が離せないって」
「まぁ……、そのようなことを?」
恥ずかしそうに目を伏せた凜風(リンファ)を見て、雹華(ヒョウカ)は姉のような心地で笑う。
蒼蓮(ソウレン)様がくれた(かんざし)だから特別なんだろうけれど、これから何本でも作ってあげるから自分のことを大事にしてね」
その言葉に、凜風(リンファ)は小さく頷いた。けれど、すぐにまじめな顔つきで訴えかける。
「あの」
「ん?」
「確かにこの(かんざし)は、蒼蓮(ソウレン)様から頂戴した大切なものです。なれど、私は本当にこの(かんざし)が気に入っていて……。雹華(ヒョウカ)様が作ってくださったこの(かんざし)だから素晴らしいと、ずっと身につけたいと思ったのです」
純粋な目でそう言われ、雹華(ヒョウカ)は目を丸くする。
これまで自由に、好きなだけモノづくりに励んできて、それは彼女にとって幸せな日々だった。
ただし、こんな風に面と向かって気に入っていると言われることはなく、久しぶりに温かな気持ちがこみ上げるのに気づいた。
(柳家の姫ならいい物なんていくらでも手に入るし、私の作った物より素晴らしい装飾品だって散々手にしてきたはずなのに)
(かんざし)をその場でつけ、嬉しそうな顔をする凜風(リンファ)を見て、雹華(ヒョウカ)は思わずその細い肩をぎゅっと抱き締める。
雹華(ヒョウカ)様!?」
「あ~、かわいい~! 本当にかわいいわ凜風(リンファ)様! 私のところに嫁いでこない? 大事にするから」
「え? ふふっ、それは楽しいお誘いですね」
二人で笑い合っていると、廊下の方から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
長い髪を一つに結び、武官の装束を纏った蒼蓮(ソウレン)が腕組みをして睨んでいる。
「そなたらは何をしておるのだ。凜風(リンファ)にそのように触れていいのは私だけだ」
その美しい顔は不満げで、本心でそう言っているのが見て取れる。
雹華(ヒョウカ)はわざと煽るように凜風(リンファ)の体に腕を回し、親密な様子を見せつけることにした。
「いいでしょう? 女同士ですもの、蒼蓮(ソウレン)様には入ってこられない世界があるんですよ?」
露骨に眉を顰める蒼蓮(ソウレン)を見て、さらに雹華(ヒョウカ)はご機嫌になる。
凜風(リンファ)、早くこちらへ来い」
「えっ、そのようにおっしゃられましても……」
困り顔の凜風(リンファ)はどうしたものかと迷っていた。
動こうにも、女性同士とはいえ雹華(ヒョウカ)の腕の力はふりほどけるようなものではない。
雹華(ヒョウカ)は嬉々として提案する。
「そうだわ。今度は私から凜風(リンファ)様に贈り物をさせてちょうだい! うんと可愛らしい茶器や髪飾り、それに二胡を入れる(ごう)も作りたいわ」
「おい、物で凜風(リンファ)は釣れぬぞ」
「欲しいです。二胡(ごう)
勝ち誇ったように蒼蓮(ソウレン)を見る雹華(ヒョウカ)。その顔は「私の方が凜風(リンファ)様のことをわかっているみたいですね?」と言っているかのようだ。
二人の睨み合いはしばらく続き、困り果てた凜風(リンファ)がどうにか蒼蓮(ソウレン)を宥めてその場は収まるのだった。

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