書き下ろしSS

術師団長の契約結婚

リゾート旅行

 サマ島は自然豊かなリゾート地である。
 一年を通して温暖な気候で日中はカラリと晴れ、過ごしやすい。青い空と青い海が広がり、少し内陸に入ると木々が茂り、森林浴も可能である。日常から離れ、休息を求めてやってきた旅行客のために、演奏会や観劇、運動場などの娯楽施設も充実している。
 サマ島へ行くには港町から船で数日かかるため、高度な魔法が使える魔術師は転移魔法で行くことが多い。今回、レイとブリジットも転移魔法で直接行くことにした。しかし帰りは一度港町に寄る予定である。祖母へ婚姻時の礼として焼き菓子を購入しなければならないからだ。
 サマ島へ着いてすぐ、レイは魔法で自分の頭髪を黒に変えた。黒髪に変えたのはグローシャーで踊り子の予約を取りに行ったとき以来である。それをブリジットは不思議そうに眺めた。
「レイ様、なにかあるのですか? なぜ黒髪に?」
「いや、ここは魔術師がいることがあるので、知り合いに会って気付かれたらいやだなあと」
 ここは一般客が大半だが、自然の豊富な環境は魔術師にも人気だ。
 ただ高級な会員制リゾートなので、魔術師がいるとしても若手はいない。いるのは引退して金にも時間にも余裕がある魔術師だ。ちょうど祖母くらいの。
 魔術師は数が多くないので、たいていの人物は顔見知りである。幼い自分を知っているような相手に妻を同伴している状態で会ったらからかわれるのは明白だ。避けたい。
 レイがそう説明すると、ブリジットは「なんだかお忍びっぽくていいですね」とにやりと笑った。
「ところでブリジット殿、その大荷物はなんですか」
 足元に置かれている大きな鞄を指差す。今朝「これを持って行きたい」と彼女が言ったので転移魔法で一緒に持ってきたのだが、とにかく中身が重いのだ。船旅ならきっと持ってこられなかった。
「これは本です」
「本?」
「ええ。三日もゆっくり過ごせるお休みは久しぶりじゃないですか。だから、積んでしまっていた本をまとめて読んでしまおうと思っているのです!」
 やる気満々のブリジットにレイは複雑な気がしないでもなかったが、とりあえず彼女が嬉しそうなのでよしとした。
 人のことは言えない。自分も、研究用に採取容器などをあれこれ持参してきたのだ。

 それから二人は大変なリゾート気分を満喫した。
 ブリジットは海を臨めるテラスでのんびり本を読み、レイは魔法薬用に使えそうな生物を海に採取に行ったり、草花を森に探しに行ったり。
 時折二人で海に行き魚を眺め、森を散歩し、豪勢な食事に舌鼓を打った。
 途中、祖母の知り合いである魔術師を見かけたが、素性がばれることはなかった。レイは髪の色を変えておいてよかったと胸をなでおろした。
 一通り島の散策を終えたレイは、せっかくなので観劇に行こうとブリジットを誘った。他の宿泊客が、楽団の音楽と芝居の内容がよかったと話しているのを耳にしたのだ。
 ブリジットもそれを了承し、二人は夜、島の中心部の劇場で行われている芝居に向かった。
 劇場の入口に貼られている案内によると、演目は有名な復讐劇だった。内容は知っているものの、レイは実際の芝居を観たことはない。
「ブリジット殿は観たことありますか?」
「いえ、ないです。あまり観劇に行くことがなくて。私、結構こういうのに感情移入してしまう方なんですよ」
 それほど広くない劇場は半分ほどの入りだった。客同士の間は空席も見える。舞台と客席の間は少し低くなっており、おそらく楽団の演奏用に設けられている空間だろう。二人は真っ赤なベルベットの座席に並んで腰掛けた。
 劇場内の灯りが落とされ、始まった芝居はなるほど復讐劇であった。
 主人公は魔法が使える身分の高い令嬢で、彼女は婚約者である国の王子から突然、婚約破棄を言い渡される。国を追放された主人公だが、彼女は非常に明るい性格で、新天地で魔法を使って人々を助ける。しかし実は彼女は国の魔力の均衡を保つのに重要な人物で、彼女がいなくなったことで困った王子が帰ってきてくれと泣きつく、というストーリーだった。
 前半は不遇な生活を送る主人公であるが、しかし国を追放されてからの生き生きした様子は朗らかで面白く、時折、声を立てて笑う観客もいる。主人公の元に王子が泣きついてきたシーンでは二人の掛け合いがコミカルで、レイも笑いながら眺めた。
 すると、すぐ隣から鼻をすする音が聞こえた。
 目を向けたレイはぎょっとした。
 ブリジットが泣いていたのだ。驚きのあまり二度見した。
 彼女が泣いているところなど見たことがない。
 ーーいや、ある。契約結婚の頃に王宮に行って踊り、それが散々だったことを悲観して帰ってから涙を流していた。
 それ以来、見ていない。
 というか、なぜ泣いているのだろう。そんなシーンだっただろうか。周りからはくすくすと笑みが漏れているのに、隣では妻が泣いている。
 ブリジットの視線は壇上に釘付けである。特段、具合が悪いといった様子ではない。悲しいというよりは、半ば怒りを含んだ表情で前方を睨んでいた。
 レイはうろたえたものの、懐からハンカチを取り出してそっと隣に差し出した。それに気付いた彼女は小さく頭を下げてハンカチで目元を押さえたので、とりあえずほっとした。

 動揺してもう観劇どころではなくなってしまったレイは、こっそりと会場を見回した。
 やはりこのリゾート地の性質上、年齢層は自分たちよりも高めだ。それから男女の組み合わせがほとんどである。
 そんな中、一人だけで座っている女性が目に入った。自分たちが座っている場所から斜め前。
 食い入るように壇上を見つめており、あまりにも鬼気迫った視線。それが異様で、レイは少し体を起こして目を向けた。
 女性は胸元に下げているネックレスを握りしめ、祈るように両手の指を組んでいる。
 レイが気になったのは、彼女からわずかに魔力の色を感じたからだ。
 魔力を持つ人間は多くはない。そのため稀有な魔力持ちは、基本的には魔術師団が捕捉し、魔力コントロールのための訓練を施すのだ。貴重な人材の保護と魔力の暴走を防ぐ、両方の意味合いがある。
 しかし、それほど魔力の強くない人であれば捕捉しきれないこともある。魔術師団が把握していない魔力持ちも世の中にはいるのだ。
 祈るように前方を見つめる彼女を、レイは知らない。彼女は薄く魔力を纏わせており、その力は微弱ではあるが、実力はどれほどのものか分からない。
 無意識に魔力を纏わせているのか、あるいはなにか狙いがあるのかーー。
 探るような視線を向けていたレイだが、劇場内が突然笑い声に包まれたので、前方に視線を戻した。そろそろエンディングだ。
 隣のブリジットは、泣き止んで笑みを漏らしていた。

 芝居が終わり劇場が明るくなると、ブリジットはレイにハンカチを返した。涙を見られて、若干恥ずかしそうな表情である。
「かなり感情移入をしてしまいました……。やはり役者さんはお芝居が上手ですね」
「上手でしたが……、ブリジット殿はなぜ涙を? 途中、なにか嫌なシーンでもあったんですか?」
「ええと、あの……、主人公が言いがかりをつけられて追放されたのに、王子様がそんなのなかったかのように泣きついてきたシーンがあったじゃないですか」
「ああ、ええ」
 主人公が婚約破棄を言い渡された時。彼女は他の令嬢への嫌がらせや、王子の婚約者の名を使って国の金を散財したなど、身に覚えのない悪事をなすりつけられていた。
 しかし主人公に帰ってきてくれと泣きついた王子は、それを水に流してくれと言ったのだ。
「あれがどうにも悔しくて悔しくて……。冒頭でうちにせめて一言でも告発してくれたら……!」
「ええっ……」
 うちとは、会計監査院のことだ。
 すなわち、ブリジットは劇中の主人公が謂れのない横領を被せられたことに感情移入し、代わりに悔し泣きをしていたということである。
 予想外の理由にレイは困惑した。その様子に気付かず、ブリジットは心底悔しそうに拳を握り締める。
「だってひどくないですか!? 会計監査院がこの世界にあればすぐに監査に入ってやりますよ!」
「おお……」
 なんと答えていいか分からず曖昧に返事する。
 人それぞれ、物事の受け取り方はまちまちである。結婚してだいぶ経つが、まだ妻について知らないことがたくさんあるなとレイは思った。
 その時、例の女性が一人で劇場を出ようとしているところが目に入った。公演中のような様子ではないが、なぜか泣いた後のように瞳は濡れている。彼女は先ほどと変わらず、魔力を帯びていた。
「……ブリジット殿、知り合いを見つけたので、すみませんが先に帰って頂けませんか」
「えっ、私もご挨拶をした方が?」
「いえいえ、近いので大丈夫だとは思いますが、お気を付けて」
 ブリジットが背を向けたのを確認してから、レイは女性の後を追った。
 特になにもなければそれでよい。しかし壇上を見つめていた彼女は真に迫る顔をしていた。
 この後、もしも魔力を使ってよくないことをしようとしているのであれば。念のため、魔術師団長として見て見ぬふりはできない。
 女性は相変わらず一人だ。
 向かうのは宿泊コテージの方ではない。人々の進行方向とは逆の方向を足早に進む。レイもそれを追った。
 どうやら劇場の裏手に回ろうとしているらしい。旅行客はほぼおらず、関係者が忙しそうに働いていた。幸い、裏手は灯りが少ないこともありこの黒髪では普段よりも目立たない。
 劇場の裏口から少し離れたところの路地で女性が立ち止まった。周囲を見回す。誰かを待っているのだろうか。
 レイも建物の陰で足を止め、向こうに気付かれないようかがんだ、その時。
「なにをしているんですか? レイ様」
 耳元で名をささやかれ、レイは飛び上がった。咄嗟に口を手で押さえ、悲鳴を飲み込む。
 振り向くとブリジットが目を丸くして立っていた。
「ごめんなさい、そんなに驚くと思わなくて」
「ブリジット殿……」
 心臓が割れそうに打っている。レイは建物に手をついて、大きく息を吐いた。
「先に戻っていてくださいと言ったじゃないですか」
「そうしようかと思っていたんですけど、夫が女性の後をつけていたので」
「違いますよ……」
「事実じゃないですか。で、なんなのですか?」
 物陰から二人でひょこりと顔を出して女性の様子を確認した。こちらには気付いておらず、背を向けている。
「あの女性、劇場で一人だけで観劇していたのですが、その様子がおかしくて。しかも魔力を帯びているようなので気になったんです」
「テロリストじゃないかと?」
「いやそこまでは……」
「誰か来ました」
 建物の反対側の暗がりから男が一人やってきた。走ってきたのか、息が切れている。
 あの男が彼女の狙いなのかもしれない。レイはトラブルの発生に備えて身構えた。
 男はきょろきょろと辺りを見回す。それから路地にいた女性を見つけると、顔を綻ばせて駆け寄った。彼を見つけた女性も嬉しそうに微笑み、男に手を伸ばす。
 二人はひし、と抱き合った。
「あっ」
「あら」
 よく見ると、男の服装は先ほど観ていた芝居でのひらひらとした衣装だ。主要な役ではないが、舞台でいくつか喋っていた男だった。
 抱き合った二人は体を離すと、おしゃべりを始めた。女性は褒めるように彼の頭を撫で、男はしきりに頷いている。その様子は非常に楽しげで幸せそうで、とても痴情のもつれやテロリストの犯行現場ではなかった。
「杞憂でよかったですね」
 笑いを含む声で、ブリジットがとんとんとレイの肩を叩く。
 どうやら、舞台で無事に役目を果たした恋人を称えているらしい。公演中の彼女の様子は、恋人の仕事ぶりをはらはらしながら見ていたということだろう。
 気構えていたレイは脱力した。
「でもレイ様、彼女、魔力を持っているんですよね? このままで大丈夫ですか?」
「魔力持ちのようですが、そんなに大きな力は持ってないようなので大丈夫です。……帰りましょう」
 魔術師団で捕捉できないくらいの微力なものなのだ。公演中は緊張状態だったので普段よりも魔力が漏れ出していたということだろう。暴走するようなこともなさそうである。
「ああ、気を張っていたら疲れました」
「戻ったらワインを開けましょうよ」
 二人は暗い道をのんびりと戻った。
「レイ様は結構仕事熱心ですよね。こんなところでも魔術師の役割を果たそうとするなんて」
「あなたほどじゃありませんよ。芝居の中の役者を抜き打ち監査でもするような怒りようでした」
「ええ、そうしたいくらいでした」
 公演後の様子を揶揄したレイに、ブリジットは冗談めかして笑った。

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