書き下ろしSS

がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件 2

愛され淑女への道はどこまでも

 賊の剣を薙ぎ払ったガブリエーレの足元へ、私は身を低くして滑り込んだ。地面すれすれに足を旋回させ足首を蹴り払えば、賊は大きく前のめりにバランスを崩した。賊が伸ばした腕を素早く避け、ガブリエーレがその後頭部に強烈な肘打ちを入れる。ぐ、と小さなうめき声を上げ、賊はその巨体を地面に打ち付けると動かなくなった。
「ガブ! 後ろ!」
 私の声に即座に反応したガブリエーレが、背後に迫っていた賊の剣を打ち返した。重くぶつかる金属音が響き渡ると同時に私は駆け出し、もう一人の賊が振り上げた腕を躱して懐に入り込んだ。賊が驚き、ダガーを握る手がわずかに緩んだ隙に、私は右手のナックルダスターをその手の甲に叩き込む。ダガーと賊の背が同じタイミングで地面に落ちる。私の背負い投げが華麗に決まったのだ。
「マリーア!」
 ガブリエーレの掛け声に私はしゃがみこんだ。頭上をガブリエーレの長い足がかすめ、岩の影から飛び出してきた賊が吹き飛んで行った。
「すごい! 蹴りだけであんなに飛んでいったわ」
「ああ、36の上段横蹴りだ」
 ガブリエーレの言う数字は、我がアンノヴァッツィ武術の全部で80種類ある型のひとつだ。
「教えてすぐにあんな強烈な蹴りを習得するだなんて、才能あるわよ。ガブリエーレならすぐに紺の制服をもらえるわ!」
「俺は赤の騎士服以外、無用だ」
 私たちの暢気な世間話をよそに、レナートの護衛騎士たちが地面に転がっている賊たちを次々と縛り上げてゆく。馬車の扉が開く音がして、ライモンドが姿を見せた。いつも通り姿勢よく、かつ早足でこちらへ近付いて来ると、にっこりと笑顔を見せた。
「いやあ、お見事でした。お二人とも。まずは、いち早く賊に気付き馬を駆って先頭に出たガブさん」
「おう」
 ライモンドに護衛騎士としての行動を称えられ、大きく胸を張るガブリエーレ。その様子にライモンドが満足そうに頷いた。
「そして」と、ライモンドは片手で眼鏡を押さえながら一度地面に視線を落とした。眼鏡が光っていて、その表情は見えない。私がおそるおそる顔を覗き込むと、カッと眉を吊り上げてこちらを睨んだ。
「そして、いち早く馬車から飛び降りて賊との乱闘に参戦したマリーア様!」
「はいっ」
 私はライモンドの横に並び、彼と同じように胸を張って返事をした。
「あなたは何を考えているのですか!」
「えっ?」
「次期王太子妃が率先して賊の前に出て行くだなんて!」
「だって、私は戦えるんだもの。レナートを守るのは当然よ」
 そう強い口調で言ってみたものの、完全に私の腰は引けている。じりじりと詰め寄って来るライモンドの圧に私は思わず目を逸らした。
 本日、私とレナートは馬車で二時間ほどの郊外へ視察へ行っていた。大雨による土砂災害のあった街が復興し、それを祝うささやかな式典に参加したのだ。レナートが市長から被害状況や新設した施設などの報告を受けている間、私は式典の行われていたメインストリートで女性たちと歌って踊って楽しく過ごしていた。その時に、近くの公園に珍しい渡り鳥の群れが来ているという話を聞いたのだ。その渡り鳥は色とりどりの美しい羽を持っているらしい。
 帰りの馬車の中でこの話を伝えると、すぐにレナートは遠回りをしてその公園に寄り道をするように御者に指示をした。
 そして、案の定、途中の山道で賊に襲われてしまったのだ。
「確かにあなたには殿下を守っていただくことを、少しは、期待しております。でも、それは、殿下に直接危害を加えようとするものが近付いてきた時の話です。いの一番に殿下の側を離れてどうするんですか……、しかも武器を持った相手に向かっていくなど。王家の紋の入った馬車を襲う不届きものがこの国にいたことも問題だというのに、まったく!」
 そう一気にまくし立てたライモンドが、はあ、と大きくため息をついた。その後ろから、レナートが騎士に守られながらゆっくりと歩いて来た。
「ミミ、ライモンド。ご苦労だったね」
 ライモンドの横に並んだレナートから声をかけられ、ガブリエーレが嬉しそうに白い歯を見せた。
「ああ、レナートが無事で良かった」
「最後のガブリエーレは36番の蹴り、ではないだろうか」
 レナートがあごに手をあててそう言うと、ガブリエーレは目を見開いて驚いた。
「よくわかったな!」
「ああ。ミミの練習をよく見せてもらっているからな。ミミのあの足払いは、確か4番目だ」
 ちらりとこちらに視線を寄こしたレナートは、私の反応を窺っている。
「ミミと初めて二人で会話した時に見せてもらったんだ、間違えるはずがない」
「初めて二人で……? あっ、そうね! 変顔数え……」
 私があわてて両手で口を押さえると、ガブリエーレが訝し気に私を見下ろした。
「へんが、数え? 今、何て言ったんだ」
「ううん、何でもないわ」
「何か隠しているだろう」
 ガブリエーレに睨まれ、私は背を向けて耳を塞いだ。変顔数え歌のことは、誰にも言うわけにはいかない。言ったら、絶対見せろって言われるもの。
「それで、二人とも」
 レナートの声に振り向いた私とガブリエーレは、そろってぴしりと背筋を伸ばした。
「素晴らしい連携だった。とてもよく息が合っていたように見えたが」
 レナートが弓なりに目を細めてほほ笑み、私とガブリエーレの額に冷や汗が浮かぶ。
「一体いつ、そんな練習をしていたのだろうか」
「待て、レナート。お前、何か勘違いをしていないか」
「私はただ、二人がいつどこでどんな練習をしていたのかを尋ねただけだが」
 そう言って、とびきり美麗な笑顔を見せるレナート。こういう時の彼はたいていすごく機嫌が悪いのだ。ええと、と言葉を選びつつガブリエーレが口を開いた。
「俺がムーロ王国へ修行へ行く暇がないから、マリーアから武術を習うことにしたんだ」
「そうなの。私ってほら、よく考えたら師範の免許持っているから教えてもいいのよ」
「騎士団の朝練の後に少しずつだがアンノヴァッツィ家の武術を習い、接近戦での戦い方を学んでいるだけだ」
「それだけよ!」
「それだけだ!」
 私が胸の前でぐっと拳を握って叫ぶと、奇しくもガブリエーレも同じポーズを取っていた。いっそう仲良し感の出てしまった私たちに、レナートの笑顔がとうとう消えた。
「婚約者と乳兄弟が知らないうちに仲良くなっていて、私はとても、嬉しいよ」
「ほう、それでお二人はいつか連携して戦おうとご一緒に特訓されていたわけですか。なるほど、なるほど。ガブさん、次期王太子妃を前線に出そうと思っていたのですね」
 レナートの隣で静かに眼鏡を上げたライモンドが、冷たくそう言い放った。
「はっ……! い、いや、そういうわけでは……俺はただ、こうすれば手っ取り早く敵を倒せるとマリーアに言われて、それもそうだなって思って」
「ああっ! 見て!」
 私は空を指さして叫んだ。全員が眉をひそめて私に目を向ける。ライモンドの顔を押して無理やり上を向かせると、レナートとガブリエーレもしぶしぶ空を見上げた。
 私の指の先では、抜けるように澄み切った青空に、色とりどりの渡り鳥が飛び渡っていた。きれいな列をなして飛ぶ鳥たちは、私たちが先ほどまでいた街に向かっている。
「きれい。まるで虹のようだわ。きっとあの街の幸先の良いスタートを祝っているみたいね……」
 頬に手をあて、うっとりと私がつぶやくと、レナートが優しい笑顔でそっと頷いた。
「そうだね、ミミ。それはそうと、さっきの話の続きだが」
「ごまかされなかったか!」
「マリーア様、続きは馬車で話しましょう」
 ライモンドにずるずると引きずられ、私は馬車に放り込まれた。
「出発!」
 先頭で馬に乗っているガブリエーレの声が聞こえた。
「くっ、ガブリエーレめ。いつの間にか逃げたわね」
 拗ねたレナートのぼやきとライモンドの冗長な説教は、王城までの長い道中、止まることはなかったのだった。

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