書き下ろしSS

落令嬢のお気に召すまま ~婚約破棄されたので宝石鑑定士として独立します~ 1

『クロワッサンとナンパと勘違い』

 水晶広場から少し歩いた場所にあるパン屋には行列ができていた。
 今日は、一つ買うともう一つもらえるというキャンペーンをやっているためだ。
 パンを焼く香ばしい匂いが周囲に漂っている。
 次から次へとお客さんが並んで、列が途切れることはなかった。
 私はクロワッサンを買うべく列に並び、前に並んでいるおさげの可愛らしい女性と世間話をして時間を潰していた。
「一、二、三、四……二十二。まだまだかかりそうですね〜」
 彼女はおさげに紺色のワンピース。素朴な印象を受ける、可愛らしい女性だ。
 年齢はおそらく十五、六くらいだろう。
 並んでいる人数を数えてため息をついていた。
 現在、世間話の途中に彼女が鑑定士になりたいと言ったので、懇切丁寧に小一時間ほど鑑定士の素晴らしさを語り、まずは練習にということで、ポケットに入れていた蛍石をプレゼントしたところだ。
 列は結構進んだけど、かれこれ一時間ほど並んでいる。
「鑑定士は石を愛する気持ちが大切だと思います」
「あ、もう鑑定士のお話は大丈夫ですよ。また今度聞かせてくださいね」
 彼女は私が渡した蛍石を手のひらでもて遊びながら、爽やかな笑顔を作った。
 そうか。うん。それならまた今度にしよう。
『オードリー、話しすぎだよ。ぼくたちのこと好きなのは知ってるけどさ』
 クリスタがおさげの彼女の頭上に浮いて、くすくすと笑っている。
 うーん……そんなに話したつもりはないんだけど……。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はアイラです」
「Dランク鑑定士のオードリー・エヴァンスです。よろしくお願いします、アイラさん」
 私たちは遅めの自己紹介を交わした。
 パン屋に並んでいるだけで、こんな出逢いもあるんだな。
 聞けば、アイラさんは銭湯を営む家の娘さんだそうで、今度ぜひ入りに来てくださいと言ってくれた。たまには銭湯もいいかもしれない。
 私たちが話していると、通行人の一人が急に立ち止まり、こちらに向かってきた。
 割と大きな通りに面しているので人通りが多い。
 その男性は私を見てから、アイラさんに視線を移した。
「すみません。これは何の列かな?」
 いきなり話しかけられたアイラさんがびっくりしている。
 男性は二十代前半くらい。
 長い髪を横に流しており、シャツを第二ボタンまで開けてネックレスが見えるようにしていた。剣を佩いているから、傭兵の方だろうか?
「いきなり話しかけてごめんね。すごい行列だから気になってさ」
「あ……これはクロワッサンを一つ買うと、もう一つもらえるというキャンペーンで行列ができてます」
 アイラさんが気を取り直したのか、ハキハキと答えた。
 銭湯の番頭をしているからか男性にも物怖じしていない。若いのに偉いなぁ。
 私が十六ぐらいのときは婚約したばかりで、ゾルタンにこき使われ始めてかなり弱気になっていた気がするよ。
 次に男性は私を見つめてきた。
「あなたもクロワッサンがほしくて並んでいるの?」
「あ、はい。そうですね。お得ですから」
「へえー。もしよければ俺の分も買ってくれないかな? お礼はするからさ」
 傭兵っぽい男性がウインクをしてくる。
 なぜこのタイミングでウインクをするのかさっぱりわからない。そういう合図があるのだろうか……。
「すみませんが、並んでいる方々に申し訳ないので代理で買うのはちょっと……」
「まあまあ、そんなこと言わないでさ。ね、君もそう思うでしょ?」
 傭兵さんはアイラさんに笑いかける。
「あの……私もそういうのはよくないと思います」
「え〜、二人ともおかたいなぁ。いいじゃないか」
 傭兵さんはおどけたように肩をすくめ、また私を見てくる。
「そうだ。クロワッサンを買い終わったらさ、ワインと一緒に試食をしないか? この先にいいワインを出す店があるんだ。持ち込みもオーケーでね。店主も気が利くおばちゃんだよ」
 傭兵さんがにこやかに言ってくる。
 だが、その目からは何かを狙っているような光が見て取れた。
 なるほど。ピンときた。
 この人、ナンパだ。
 アイラさんが可愛いから、彼女とお近づきになりたいんだ。
「アイラさん。こちらの方は好みですか?」
「え? 好み?」
「男性として見れるかという意味です」
「いえ、あまり……いきなり言われてもわからないです」
 アイラさんは可愛らしい顔を困惑させ、私と傭兵さんを交互に見た。
 私はうなずき、好きな小説の主人公であるご令嬢のような毅然とした態度を意識して、背筋を伸ばした。
「ということです。アイラさんはあなたはタイプではないそうです。ナンパはご遠慮くださいませ。お引取りを」
 よし、これでいい。
 最近、自分の言いたいことを言えるようになってきた。あまり得意ではないけど。
 傭兵さんは数秒ほど固まると、面白い喜劇でも見たように笑い始めた。
「いやいや、この子じゃないよ。俺は君をナンパしてるんだよ」
「…………私ですか?」
「他に誰が?」
「……いや、おかしいでしょう。わざわざ立ち止まって声をかける意味がわかりませんよ。なぜアイラさんではないのですか?」
「美人だからじゃん」
「そうですか……鑑定士だからですね。何かご依頼ですか? 別にお世辞を言わなくても鑑定しますけれど。あ、割引はしませんよ。他の鑑定士の皆様に迷惑がかかるので」
 その後、なぜか鑑定依頼もなく、クロワッサンを買ったあとも傭兵さんにつきまとわれた。
 アイラさんにも困った人ですねと呆れられるし、ちょっと意味がわからない。
 ずっとついてくる傭兵さんに脚が遅くなる精霊魔法をかけて逃げ切り、水晶広場でコーヒーを買ってアイラさんと仲良くベンチに並んで座り、できたてのクロワッサンを食べた。
『おいひい。くろわっはん』
 クリスタにこっそりクロワッサンをあげた。もりもりと食べてご満悦だ。
 色々とアクシデントはあったけど、いい休日になったね。

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