書き下ろしSS

リヴィア嬢は愛されると死ぬ ~ 旦那様、ちょっとこっち見すぎですわ ~

コニーは見た

 ああ、また見てるなと、今日もコニー=アンドリューは思っている。

 コニーはこの屋敷の使用人、兼助手である。
 若く見られがちだが現在32歳。独身。別に背も低くはないし顔もまあ悪くもないつもりだが、仕事に没頭していたらいつの間にかこんな歳になっていた。
 気持ちは20代のころとなんら変わりないというのに、月日が経つのは早いもんだなと思う。
 職場が訳あって常に男所帯で忙しく、『彼女欲しいな』という気持ちすら薄れつつあった昨今、ここにきて急に『奥さん欲しいな』と思うようになっている。
 原因はコニーの主人クラース=オールステット。彼とその奥様オリヴィア様の睦まじい様子を、常に横で見せつけられるようになったからだろう。

 ほんの一月(ひとつき)前、この奥様は主クラースの婚約者としてこの屋敷に迎え入れられた。
『男の天国、女の地獄』と詠われる悪名高き娼館に彼女が身売りをしようとするところを先輩トビアスとともに呼び止め勧誘し、金貨100枚を餌に、主の結婚相手としてこの家に入っていただいた。
 死んでもお金が必要だった彼女、金を払ってでも女性に死んでもらわねばならなかった自分たちの利害がぴったりと噛み合ったからこそ本日、屋敷の中はこうなっている。

「クラース、今日も朝食のあとで髪を梳きましょうね」
「わかった」

 21歳のはずの主クラースが子供のように従順にこくりと頷き、目の前の奥様の笑顔に見入っている。近い近い近い。見すぎ見すぎ見すぎ。
 奥様はその近すぎる視線を臆することなく正面から受け止め微笑みながら、くちゃっと寝ぐせのついた主の髪をほっそりとした白い指でかき分け、くすくすと笑う。

「今日は一段とすごいわ。鳥がすぐにでもおうちにできるのではなくて? どのような寝方をするとこうなるのかしら」
「私にもわからない。何故なら寝ているからね」
「そうね」

 楽しそうに、幸せそうに奥様が笑う。旦那様がそれをすごく見ている。
 幸せな、睦まじい夫婦の朝の一風景のはずなのに、そこにはどこか切なさが、寂しさが漂う。
 理由は簡単。奥様は来る12月に死ぬからだ。
 このオールステット家は呪われている。『オールステットの男が愛した女は12月の満月の夜に死ぬ』という三代に渡る呪いに。そうなった経緯は少し長くなるので省く。
 コニーがこの家に入ったのは11年前なので、その呪いの効果を目の当たりにしたことはない。ただ、記録を読み先輩の話を聞けば、どうやらそれは事実であると思うしかない。ただの偶然にしては、オールステット歴代の主に愛された女たちの死のタイミングが良すぎるのだ。彼女たちは二代に渡り、12月の満月の夜に死んでいる。
 主クラースは、愛する女性を殺したくないという一心で自ら屋敷に閉じこもり、物心ついてから一度も女性というものをその目に映したことはなかった。
 このまま血が絶えては困ると、先輩とコニーが彼女をここに連れてきたのだ。彼に愛されて死んでもらうために。この家にかかった呪いをその死をもって終わらせてもらうために。
 現在経過は上々。どうやら奥様も旦那様を憎からず思ってくれてるようだし、旦那様に至っては彼女を見た二秒後には確実に恋に落ちていた。
 まあ仕方がない。彼女はそんじょそこらのお嬢様ではない。ものすごく可愛らしく、優しく、やわらかい。頭の回転が速く作法まで完璧。女性を見たことのない引きこもりの旦那様に、はなから太刀打ちできる相手ではなかったのだ。

「おまちどうさまです。焼きたてなので気をつけて」

 金髪の料理人がそう言いながら皆の前にパンを置く。こんがり焼かれた黄金色の表面が、いかにも吾輩はさくさくでございと言っている。
 この料理人の料理は美味い。いつだって季節に合わせた材料が、いつだって目新しく料理されて色とりどりに並ぶ。若いころちょっといい店の食べ歩きなんかしたこともあるコニーは、この当たり前のように供される料理たちがどれほどに質の高いものであるか知っている。
 奥様もその価値を御存じなのだろう。目を輝かせて、目の前に並べられていく朝食を感心するように見ている。

「すまんが今日は腸詰はやめておく。ちと胃がな」

 朝なのにパリッとした服を隙なく着こんだ老紳士、先輩のトビアスが料理人の給仕を止めた。

「へえ。さすがのトビアスさんも寄る年波には勝てませんか」
「お前もあっという間だぞコニー。せいぜい今のセリフを、30年後に胃をさすりながら思い出すことだ」

 ツンと言い返されてコニーは笑う。先輩のありがたい教えだ。覚えておくことにしよう。
 料理人が奥様にドレッシングの説明をし、奥様がそれを目を輝かせて聞いている。旦那様がそんな奥様をじっと見つめ、旦那様のその様子を見ながらトビアスとコニーが目を合わせて頷く。
 今日も実に順調。そして賑やか。奥様が来るまでオールステットの朝食など、仕事の話をしたり書を読んだりしながら行う、ただの作業のようなものだった。
 今となっては一日の始まりの、にぎやかであたたかな陽だまりのような時間になっている。昼の休憩も、軽食の休憩時間も同様。以前はきりの悪いところで仕事を離れたくなくていやいや言う旦那様の腕を無理やり引いて休ませていたが、最近では時間になるとパッと嬉しそうな顔で自分から休憩所に向かうようになった。もちろん、大好きな彼女に会えるからだ。
 人間、変われば変わるものだと思いながら、コニーはパンにかじりついた。さくさくで、バターの味が、しすぎない程度にふわりと香る。美味い。

「美味しいですね」
「うん。さくさくする」
「お野菜も新鮮でさくさく。わたくしはこのドレッシングが好きです。トビアス様にはこちらがよろしいのではないでしょうか。さっぱりしていて軽めで、でも奥行きのある滋味深いお味ですわ」
「試してみますかな」
「奥様、食べ盛りの三十代男性にもお勧めをご教授ください」
「はい。では食べ盛りの男性には少し濃い目のお味のこちらをお勧めいたします」

 奥様がコニーを見ながらくすくすと笑う。朝日につややかな栗色の髪が揺れる。今日は編んで下ろすことにしたらしく、編まれた髪の先っちょが動物の尻尾のようになっている。
 猫のように、旦那様がその先っちょを目で追っている。

「可愛い髪だねオリヴィア」
「まあ嬉しい。いつもと違うのに、何も言わなくても気づいてくださるなんて」
 
嬉しそうに頬を染めて奥様が答える。まるでご褒美のような満面の笑みで。

「……可愛い髪の君も可愛い」
「嬉しいわ、あなた」

 奥様は今日もこうして精一杯旦那様を篭絡しようとなさってくれている。もうそんなことしなくても大丈夫です完璧に落ちてますよとコニーは教えたい。
 わいわいと食事を終え、デザートまで腹に詰め込んで、男たちは立ち上がる。

「では、先に仕事場に行っています。旦那様は奥様に髪をやってもらってからごゆっくりお越しください。準備をしておきますので」
「わかった」
「!」

 ゆったりと椅子を引き立ち上がった奥様のお邪魔虫になる形で、タイミング悪く旦那様が立ち上がった。そんだけ見ていていったいどうして立ち上がるのがそのタイミングなんだと思う。奥様の体がぽすんと彼に埋まる。

「……」
「……」

 抱きとめる形になったのち、旦那様の腕がパッと空に浮いた。

「失礼!」
「いいえ。抱きとめてくださって、ありがとうクラース。おかげさまで転ばずにすみました」
「……光栄です」

 頬を染め合う甘やかな、いやその一歩手前のどこかモジモジした甘酸っぱい空気。見ているほうとしては、真綿で首筋をこしょこしょされているかのようにむずがゆく、何かこう、大きな声で叫びたくなる。
 夫婦なんだからもっとこうがっつりとイチャつけばいいものを、奥様旦那様共にどちらも恋愛経験皆無の者同士。いつだって見てるこちらが悶えるほどに何も進まない。
 奥様は頑張ろうとしてくださっているが、何しろ旦那様のほうが頑なに自分の気持ちを認めないものだから、何も進まないのだ。
 やれやれと、奥様を見ている旦那様を見て、コニーはドキリとした。
 生まれて初めて見た『可愛い女の子』を夢中で見つめる少年のようだったクラースの水色の目に、少年とは違う、もう少し大人な男の、優しいものが一瞬よぎったような気がして。
 彼女が転ばなくて嬉しい。好きな人を自分の手で助けられて嬉しいと思う男の気持ちを、人はなんと呼ぶのだろう。

 オールステットの男が愛した女は12月の満月の夜に死ぬ。
 はたして今年の12月、彼女の亡骸を入れた白い棺はこのオールステットの屋敷から運び出されることになるのだろうか。
 当初の目的通りそうであってほしいと願いながら、その日を過ぎて一人減ったオールステットの朝食の風景を思うとなんだか背筋が寒いような気がして、コニーは一瞬季節を忘れた。
 7月。もう夏が近い。結果が出るまであと五月(いつつき)。せめて奥様には日々を笑って、思い残すことなく死んでもらおうと思いながら、コニーは振り向かずに食堂を後にした。

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