書き下ろしSS
悪役令嬢の矜持2~あなたが臨む絶望に、悪の華から希望を。~
ウェルミィの親友
「ミィ。そこまで苦手なことは克服しようと思うだけ無駄だよ。刺繍枠を使って一刺しで指を突く人を、ボクは初めて見た」
「う、うるさいわねっ!」
針で指を刺したウェルミィは、呆れ顔のヒルデントライをちょっと涙目で睨みつけた。
ウェルミィは、刺繍が壊滅的に苦手なのである。
侯爵家の別邸を訪ねてきた、特徴的な金瞳を持つ彼女は、軽く眉を上げながら自然にウェルミィの手を取った。
すると薄くヒルデントライの手が光り、ひんやりと柔らかい彼女の手のひらから温かい何かが指先に流れ込んで、痛みが増した後にすぐ消える。
「これ……治癒魔術?」
「厳密には治療魔術だね。聖女と呼ばれる人々程強い力ではないけれど、戦場での軽傷程度なら癒せる。一番の違いは、治療魔術は体の治療速度を早めているだけなので、物凄く痛いことだ」
痛みが消える前に増したのはそういう理由らしい。
ウェルミィは指先を小さく突いた程度なのでその程度で済むが、怪我によっては大の大人がのたうち回るそうだ。
「貴族学校では習わなかったわね」
「高位貴族やご令嬢に、痛みを伴う魔術など教える訳が無いだろう」
皮肉そうに片頬を上げてそう告げたヒルデントライは、傷の消えたウェルミィの指先を自分の指先で撫でてから、手を離す。
そういう、キザとも見える所作がいちいち優雅で様になるのが、ヒルデントライという少女なのである。
伯爵令嬢でありながら、公爵令息に熱烈に望まれて婚約者となり、その上、魔導省所属の魔導士部隊で小隊長を勤める女傑である。
そんな彼女は、さりげなく刺繍枠と針をテーブルから取り上げて侍女に渡した。
「……ヒルデは夜会に魔導士服で来る変人な上に、口調も態度も全然ご令嬢っぽくないのに……所作も完璧で刺繍が得意で気遣いも出来るなんて、世の中って理不尽だわ」
「ボクは君のように夜会で人を騙し切る仮面を被ることも出来なければ、あのオルミラージュ侯に一個人で対等と認められるような策略を張り巡らせることも出来ないよ。そんな風に、人間には得意不得意があるんだ」
軽く笑いながら、ヒルデントライは立ち上がった。
立ち姿も女性らしいのにどこか凛々しくて、同年代なのにウェルミィとは何もかもが違う。
そんな彼女と、こんな風に気が合うなんて、出会った時は想像もしていなかった。
「諦めることだよ、ミィ。代わりに教えたコレは、ボクよりもずっと上手いじゃないか」
「……そうね」
テーブルの隅に置かれた紙包みを見て、ウェルミィは少し複雑な気分になる。
「エイデス、気に入ってくれるかしら?」
「大丈夫だろう。オルミラージュ侯が変わったものが好きだと思うが、流石に指を穴だらけにして作った奇怪な模様よりは、こっち気に入ると思うよ」
「……エイデスって、変わったものが好きなの?」
「おやおや、自覚がないのかい? 君のような変わり者が大好きじゃないか、ミィ」
ニッコリと笑ったヒルデントライが、ウェルミィの鼻先をちょん、と突いて来たので、ガブッと噛みつこうとしたら即座に指を引かれた。
「おお、怖い怖い。子猫ちゃんは凶暴だね」
「もう! 一言も二言も余計なのよ! さっさと帰りなさいよ!」
「ふふ、言われずとも、お
「大体変わり者って言うなら、貴女にベタ惚れのシゾルダ様もめちゃくちゃ変わり者じゃないのよ!!」
「違いない。今からボクは、その愛しいシズとデートだ。コレをプレゼントしないといけないしね」
と、これ見よがしに見事な刺繍のハンカチを包んだ自分の紙袋を、わざわざローブの袖から取り出してヒラヒラと振るヒルデントライに、ウェルミィはグルグルと喉を鳴らす。
「覚えてなさいよ!」
「もちろん。物覚えは悪くない方だからね。では、また寄らせて貰うよ」
最後にウィンクして出て行ったヒルデントライを玄関口まで見送り、ウェルミィは両手を腰に当てる。
「もう! 腹立つわね!」
「何がだ?」
「決まってるじゃない! ヒルデよ、ヒルデ! って、え!?」
突然、背後から聞こえた低い声に反射的に答えると、同時に体を抱き上げられた。
見ると、いつの間にかそこにエイデスが立っている。
「ど、どこから帰ってきたの!?」
「少々騒動があったようで、道が混んでいたからな。ちょうど良く先ほど、お前が私の名前を呼んだので、転移して来た」
「ひょいひょい使ってんじゃないわよ! それ、遺失魔術なんでしょう!?」
「持っている力は有効活用する主義だ。お前に少しでも早く会いたくてな。嬉しいだろう?」
「……べ、別に」
「ウェルミィ?」
「み、耳元で囁かないでくれる!?」
逸らした顔を慌てて戻すと、嗜虐的な笑みが見える。
しかしまともに答えるのも癪なので、頬を膨らませて睨みつけてやった。
「まぁ、人目もあることだし許してやろう。イーサ伯爵令嬢が訪ねて来ていたのか?」
チラリと見て見ぬふりをしている侍女や執事たちに目を向けた後、エイデスに問われて頷く。
「そうよ」
「最近頻繁に会っているようだが、お前たちがそこまで仲良くなるとは意外だな」
「私もそう思うわ」
本当に、会えば喧嘩……というか、一方的におちょくられているのだけれど、何故か一緒に居て楽なのである。
「あの事件の後、宝玉の件以外はそれほど接点はなかったと思ったが」
「その後、とある場所で会ったのよ。それから、ちょっと習い事をしてたの」
ウェルミィは少し言葉を濁した。
知り合ったのは、刺繍糸を売る店である。
刺繍をしようと思ったけれど、別邸に商人を呼びつけるとエイデスに悟られてしまうので、レオの婚約者演技を終えて外出許可が出てから、こっそり店に買いに行ったのだ。
そこで偶然、同じように糸を買いにきたヒルデントライと出会い……立ち話をする内に、刺繍が苦手なことを口にしていた。
すると、ヒルデントライから別のものを贈ってはどうかと提案があったのだ。
『ふむ。それ程苦手なら、買ったものではダメなのかい?』
『エイデスは何でも持ってるし買えるもの。貰っても別に嬉しくないでしょう、そんなもの』
『彼は君からの贈り物なら何でも喜ぶと思うけれど、そうだね。では、ボクが教えてあげようか?』
『え?』
『コレでも、刺繍は得意でね』
なら一度、と約束した通りに教えてくれに来たのだけれど、一発で『君の腕前ではお手上げだ』と言われ、別の贈り物を提案された。
そして週に一度、刺繍ではなくそれを習っており、完成したので今日もう一度刺繍に挑戦したのだけれど、あの様だったのだ。
「ねぇ、エイデス」
「何だ?」
ヒルデントライに習い事をしていた居間に戻って、優しくソファに降ろされたウェルミィは、すぐに立ち上がって紙袋を持ち上げた侍女から受け取る。
「これ、あげるわ」
「ほう?」
「贈り物。……一応、手作りよ」
ウェルミィの言葉に、面白そうに片眉を上げたエイデスが紙袋を開くと、出て来たのは少し珍しいものだった。
「これは……切り絵か?」
「ええ。よく知ってたわね」
「一度目にしたことがあるからな」
切り絵は、出したい色を重ねた薄紙をペーパーナイフで切り張りして、それを幾層にも重ねて描きたい絵を浮かび上がらせる……という形の絵画である。
ウェルミィは刺繍は壊滅的だけれど、絵を描いたり図案を作るのは得意なのだ。
図案を見たヒルデントライに提案されて作った、手のひらサイズの切り絵。
本当は刺したかった図案を、切り絵で表現してみたのである。
ハンカチのように普段使いは出来ないけれど、私室にインテリアとして飾っても問題ない程度には出来が良い筈だし、邪魔にならない大きさだと思う。
「見事なものだ」
「……ありがと」
目を細め微笑みを浮かべたエイデスに真正面から褒められて、ちょっと気恥ずかしくてモジモジしてしまう。
絵は、刺繍の定番であるボタンユリを添えた、オルミラージュ侯爵家の家紋。
「花の色は
「……喜んでくれたなら、良かったわ」
手招きされたので近づくと、再び抱きすくめられる。
「……苦しいんだけど?」
「嬉しいだろう? 『貴方は私の運命の人』だと、一輪挿しのボタンユリの意味を知らないわけではあるまい」
「……口にしないでよ」
「素直じゃないな、ウェルミィ。良いだろう、今度私も贈ろう」
少し腕の力が緩み、黒い手袋を嵌めた手で髪を撫でられる。
「―――侯爵家の家紋をあしらった、一輪挿しの