書き下ろしSS

あり伯爵様と契約結婚したら、義娘(六歳)の契約母になってしまいました。~契約期間はたったの一年間~ 1

家族全員でのお出かけ

「リーディア、リカルド。今度、家族でお出かけしましょうよ」
 始まりは、妻マリアのその一言だった。

 私はリカルド=リキュール。このエタノール王国で、伯爵位を賜っている。
 私には、家族が二人いる。先日迎えたばかりの愛しい妻マリアと、可愛い六歳の娘リーディアだ。
 妻マリアと娘リーディアは血は繋がっていないが、それはもう仲のいい母娘だ。正直、私が少し焦るくらい仲がいい。今も、娘のリーディアは、居間のソファに座るマリアの横にピッタリと寄り添っている。まあ、私も反対側からマリアに寄り添っているのだが。

 妻マリアの提案に、娘のリーディアは、ぱちくりと目を瞬いた。
「お出かけ?」
「そうよ。もう秋だもの。コスモスを見に行かないと」
「こすもす」
「……リーディア、コスモスは見たことあるわよね?」
「うん。毎年お庭で見てるよ」
「……? リーディアはお出かけ、したくないの?」
「したことない」
「したことない!?」
「!?」
 驚いている妻マリアに、愛娘リーディアも驚いている。
 私は、(あれ?)と首を傾げて、今までのことを振り返っていた。
 リーディアを連れて、出かけたことは……?
「リカルド?」
「いや、あるぞ。あるにはある」
「そ、そうよね」
「三歳の時はよく、公園にも出かけていたし」
「三歳」
「二歳の時は従妹夫婦の家にも遊びに行ったし」
「二歳」
「一歳の時には」
「ちょっと待って。リカルド、四歳から後は?」
 考え込む私に、マリアは唖然としている。
「いや、待ってくれ。誤解だ」
「……」
「本当に誤解だ。忘れていたとかそういうことではないんだ。その、危険だったから」

 リーディアが四歳ぐらいの頃から、私の周りに秋波を纏った女性達が現れるようになり、外に出るのが危険な状況に陥ってしまったのだ。リーディアと一緒に出かけるどころか、私自身も、必要最低限の外出以外は家に籠りがちになっていた。その結果が、マティーニ男爵領に辿り着いたときの状態だった訳で……。
 思い出すように、ポツリポツリとそんな話をしていると、マリアが涙目で震えながら、リーディアと私の手を取った。
「お出かけしましょう! 家族全員での、初めてのお出かけよ!」
 そんな訳で、私達は秋のコスモスを見に、主都キュリアの外れにある丘陵公園へ向かうことになったのだ。


   *****

 お出かけの前日から、リーディアの興奮はとどまることを知らなかった。
「ママ! 明日はお出かけ!」
「そうね。だから今日はもう寝ないとね」
「眠くない!」
「そ、そうねぇ」
 寝台の中でギンギン爛爛に瞳を見開くリーディアの寝かしつけに、マリアは相当苦戦したらしい。
 翌朝も、リーディアを起こしに行くと、ギラギラと瞳を輝かせたリーディアが出迎えてくれて、マリアは「ひぇっ」と変な声を上げてしまったのだとか。

「リーディアお嬢様。髪を整えましょうね」
「アリス、早く! 早く!」
「はい。お待ちくださいねー」
「コスモスが逃げちゃう!」
「逃げないから大丈夫ですよー」
「アリス、早く!」
 どうやらコスモスは、放っておくと脱兎のごとく逃げ出すらしい。
 馬車に乗る前も、リーディアはずっとソワソワと歩き回っていた。
 そして、馬車に乗り込むと、窓に齧りついた。
「ママ! お空!」
「そうねぇ」
「パパ! 木が!」
「そうだなぁ」
「お馬さん! 兵隊さん! レンガ! 原っぱ!」
 外を見ながら目につくもの全ての名前を口に出すリーディアは、もう誰にも止められない。
 こうして、私達はようやく、目的の丘陵公園に辿り着いた。
 視界一面に広がる色とりどりのコスモスが、風に揺れている。
 リーディアの安全を考え、平日に視察という名の花畑の貸し切りをした私達は、護衛達をぞろぞろと引き連れてはいるものの、家族三人でコスモス畑を独占していた。

 そして問題のリーディアだが、色鮮やかなコスモス畑を見た瞬間、その興奮は最高潮に至ったらしい。
「ママ広いいいいいいいいいいいい!」
「こ、こら、リーディア! 急に走り出さないのー!」
 しゅたたたたたたた、と突然子ウサギのように走り出したリーディアに、マリアは慌てて後を追い駆け出す。
 ピンク、赤、白の色とりどりのコスモス畑の中、だんだん遠くなっていくリーディアの声を聞きながら、私が想像以上の素早さに驚いていると、ぐるっと花畑を回ったリーディアが、私に向かってしゅたたたたたたと花畑を走り抜けてきた。「パパぁあああああああああ」と今度は声が近づいてきたので、ああ、ドップラー効果……とぼんやりとその光景を眺めつつ、飛びついてきたリーディアを受け止めて抱き上げる。
 肩で息をしているリーディアに、私は思わず、声を上げて笑った。
「お帰り、リーディア」
「パパ! は、はふ、パパ!」
「うん、ゆっくり息をしようか」
 満面の笑みで息を切らしている娘に、笑いが止まらない。
 そうして笑っていると、遅ればせながら花畑を一回りしてきた妻がよたよたと近づいてきた。
「リ、リーディアったら、もう……」
「マリア、お帰り」
「……ただいま」
 少し拗ねたような顔をしている可愛い妻を、やはり私は笑顔で出迎えた。

 それから、丘陵公園をぐるりと見て回り、ピクニック会場でシートを広げて昼食を摂った。
 ランチボックスを開けると、そこには色とりどりのサンドイッチが美しく並んでいる。
「パパ! ママとね、リーが、中身を決めたの!」
「そうか。リーディアが決めたのはどれなんだ?」
「えーとね、卵!」
「じゃあまずは卵にしようか」
「うん!」
 サンドイッチは、どれも美味しかった。
 なんだか、いつもよりも美味しいような気がする。
 そうしてサンドイッチを味わっていると、リーディアが不思議そうな顔をしていた。
「リーディア?」
「パパ。いつもよりもおいしいの」
「そうだな。パパもそんな気がする」
「素敵な景色を見ながら、家族全員でご飯を食べてるんだもの。いつもより美味しいのは、きっとそのせいだわ」
 マリアの言葉で、私はハタと気がついた。
 リーディアは小さいので、食事は全て子ども部屋で摂っている。
 貴族の子どもは、十歳頃まではそうして子ども部屋で過ごすもので、それ自体はさほど珍しくもない普通のことなのだが、あまりお出かけをしていなかったことで、私とリーディアは、食事を共にする機会を逃してしまっていたようだ。

「ママ! リーは明日からも、パパとママと一緒にご飯食べたい!」
「ママはリーディアが食べてる時に一緒にいるでしょう?」
「違うの。ママも食べるの!」
「そうねぇ」
 ふくふくした頬に卵をつけているリーディアに、マリアは笑いながらハンカチでその頬を拭う。
 貴族の子どもは、子ども部屋を卒業し、テーブルマナーが守れるようになったら、親達と同じテーブルを囲むようになるのだ。リーディアには、まだ少し早いかもしれない。
「リーディアがね、もう少し大きくなったら、一緒に食べましょうね」
「リーはとっても大きいよ」
「ふふ。そうね、だからこうやって遊びに来られたんだものね」
「そうなの!」
 胸を張る小さな娘に、マリアはクスクス笑っている。
「じゃあね、せっかく大きくなったんだから、こういう特別な機会を沢山作らないとね」
「とくべつ……」
「そうよ。せっかくリーディアが大きくなって、一緒にお出かけできるようになったんだから、これからは沢山『特別』を作りましょうね」
『特別』という響きに興奮したリーディアは、案の定「毎日! 毎日特別!」と声を上げる。
 そんなリーディアにマリアは、「毎日だと特別じゃなくなっちゃうのよ。たまーにだから、特別なの」と、『特別』の極意を教えていた。

 私はその光景を見ながら、一年前の自分を思い出していた。毎日、仕事が終わると慌てて家に帰り、私を心配するリーディアや使用人達に、大丈夫だと虚勢を張る日々……。
「リカルド?」
「パパ、どうしたの?」
「いや……何でもない」
「そうなの? 少し目が赤いわ、大丈夫?」
「愛してるよ、マリア」
「!?」
「リーディアも。ずっと待っていてくれて、ありがとう」
 愛を告げた妻は、驚いて顔を真っ赤にしている。
 感謝を告げた娘は、私の言葉にハッとした後、にこーッと笑顔になり、「えへへ」と嬉しそうに声を漏らした。
「そうだな、沢山『特別』を作らないとな」
「……リカルド、どうしたの?」
「マリアは本当に天使だなと思って」
「ええ!?」
 私が締まりのない顔でマリアを見ていると、最終的に私の天使は、「からかってばかりなんだから」と顔を赤くしたままそっぽを向いてしまった。
 しかしその隣でリーディアが「ママは天使さまー!」と声を上げるものだから、私の天使は目を彷徨わせて困っている。

 私はそんな二人を見ているだけで、泣きたくなるような温かい気持ちでいっぱいだった。
 こんなふうに家族で出かけて過ごすなど、去年の自分には想像もできなかったことだ。
 私は、愛しい家族に出会えたこと、二人と一緒に過ごせる幸福を噛みしめながら、毎年この時季に家族全員でここに来るだろう未来を思って、頰を緩めるのだった。

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