書き下ろしSS
悪役にされた冷徹令嬢は王太子を守りたい~やり直し人生で我慢をやめたら溺愛され始めた様子~
笑顔の練習
まだ目覚めるには少しだけ早い時間。レセリカは悪夢によって
自分が無実の罪で処刑される時の夢だ。
「……っ! はっ、はっ……はぁ……」
魘され始めてから数分後、荒い呼吸と激しい心臓の音と共にレセリカはハッと目覚めた。見覚えのある天井と、ふかふかのベッド。
ゆっくりと起き上がって見つめる自分の腕は、思っていたよりも小さく細い。
震える手を見つめながら深呼吸を繰り返し、レセリカは夢に引きずられていた己の心を落ち着かせた。
(大丈夫……今の私は七歳。処刑されてなんかいないわ)
十五歳のあの時、婚約者である王太子セオフィラスの暗殺の罪を着せられ断罪されたはずのレセリカは、いつの間にか七歳の頃に戻っていた。だが、間違いなくあれは現実に起きたことだという確信がある。
あまりにもショックな記憶だったためか、あるいは七歳に戻ってまだ日が浅いからか。レセリカはこうして当時のことを何度も夢に見てしまう。そして、いつも己が死ぬタイミングで目覚めるのだ。
起きて最初に感じるのは、恐怖。それから、後悔だった。考えれば考えるほど、行動を起こさなかった以前の自分に後悔ばかりが募る。
やり直すこととなった二度目の人生において、レセリカはまだセオフィラスとの接点がない。記憶にある彼はとても優しく紳士的だったが、本当の性格を知るほど親しくはなかった。
もしかしたら表向きの顔とは別で、ひねくれた性格だったりするのかもしれない。憶測で思い込むことは出来ないのでなんとも言えないが、たとえそうだとしても……。
「あんなに惨い最期を迎えていいはずがないわ」
王太子に生まれたというだけで、誰かに命を狙われていてもおかしくはないセオフィラス。人間不信だという噂を聞いているが、それも無理はないと思う。
そのせいでもし本当に性格がひねくれていたとしても、レセリカは彼を責めることなど出来ないだろう。
「ああならないように、助けてさしあげたいけれど……」
前の人生では感情のないお人形、冷徹令嬢などと呼ばれ、人から避けられていた自分に出来ることなどあるのだろうか。
過去のトラウマから、レセリカはどうしても不安を拭いきれなかった。
「……弱気になっていてはダメ。後悔しているからこそ、同じ道を辿らないように気を付けられるのだから」
自分の噂は、なんとなく耳にしていた。けれど、まさか王太子を殺害してもおかしくないと思われるほど自分の評価が酷いとは、断罪に至るまで思ってもいなかったのだ。
もしかしたらセオフィラスもレセリカのそんな噂を聞いて、笑顔の裏で不審に思っていたかもしれない。
立派な王太子妃になるためにと、あらゆることを我慢して黙り続けていたというのに、全てが裏目に出てしまった。
大人しくしすぎたのだ、自分は。
当時はそうすることが正解だと信じていたが、もう同じ過ちは犯すまい。
「変わらなきゃ。怖くても、行動してみないと」
やらずに後悔するより、やってから後悔した方がずっといい。レセリカはそれを強く実感している。
過去の記憶による恐怖を振り払うように、レセリカは自分の頬を軽く両手で叩くと、ベッドから下りて鏡台の前に立った。鏡に映るのはホワイトブロンドが少しだけ乱れた寝起きの少女。淡い紫色の見慣れた目が、こちらを見返している。
「……無機質な、お人形」
これまで、あまり気にしたことはなかった。ベッドフォード家の使用人にも、家族にも、表情について言われたことはない。
だが思い返してみれば、お世話をしてくれた王城の使用人や他の貴族令嬢が、何か言いたそうにしているのを時折見た気がする。
もしかして、少しは笑った方が良いと伝えようとしてくれていたのではないか。
彼女たちは皆、困ったようにしながらも笑顔を浮かべていたと記憶している。当時は、笑いたくないのになぜ無理に笑顔を作るのか不思議でしかなかったが。
「笑顔を見ると、ホッとするわ。だから皆さん、微笑んでいらしたのかしら」
脳裏に浮かぶのは、愛する弟ロミオの笑顔。いつだって自分に向けてくれる彼の笑顔に、レセリカは何度も心を救われていたではないか。
笑顔を浮かべるのは嬉しい時や楽しい時だけではない。自分のためだけではなく、周囲の人の緊張を解すためにも必要なことなのだ。レセリカは二度目の人生でようやくそのことに気付いた。
とはいえ、楽しくもないのにどうやって笑顔を作ればいいのか。レセリカにはそれがわからない。
「おはようございます、レセリカ様」
その時、ダリアの声がドア越しに聞こえてきた。どうやらいつもレセリカを起こしに来る時間となっていたようだ。
鏡の前で返事をすると、ダリアが部屋に入ってくる。一方、鏡台の前に座るレセリカを見たダリアは、僅かに驚いたように目を丸くしていた。
「鏡台の前に座って、どうされたのですか?」
足早にレセリカの下にやってきたダリアは、不思議そうにそんなことを言う。レセリカはこの際だからと相談してみることにした。
「……どうしたら、上手に笑えるのかと思って」
「えっ」
思ってもいなかった答えだったのだろう。ダリアが驚きの声をあげている。
「他の人は、別に楽しくなくても笑顔を浮かべているでしょ? ダリアだって、いつも笑顔だわ。それって周囲の人を安心させられる、素敵なことだと思うの」
呆気に取られているダリアを余所に、レセリカはさらに言葉を続けた。
「私も、みんなのように笑顔を浮かべられたらって思ったの。でも、うまくいかないわ」
どうやら真剣に悩んでいるらしい主人の様子に、ダリアはようやく肩の力を抜いてフッと小さく微笑んだ。そのまま鏡台の前に座るレセリカの髪を整えるべく、櫛を手に取って語りかけた。
「私は、レセリカ様が心から嬉しいとか、楽しいとか、安心された時に、自然と浮かべる笑みが好きですよ」
「え? 私、笑えているの?」
「はい。確かに多くはありませんが、微笑まれることがありますよ。特に、ロミオ様と一緒にいらっしゃる時が多いかもしれません」
「気付かなかったわ……」
いつものように髪を梳かしながら、ダリアがどこか嬉しそうに教えてくれた。
だが、自覚のないレセリカはどこか納得のいっていない様子だ。嬉しい言葉ではあったが、根本的な悩みの解決にはなっていないのだから。
「でも、そういったことではないのですよね? 無理をする必要はないと思いますが、レセリカ様がお望みならこのダリアがお手伝いいたします」
そんなレセリカの不満を汲み取ったらしい優秀な侍女は、クスッと笑いながらさらに続けてくれた。そのことにほっと安心したレセリカは鏡に映るダリアに目を向ける。
「ええ、お願い」
レセリカの頼みを聞いて承知しました、と一つ答えたダリアは、一度櫛を置いてから自分の頬に指をあてた。そのまま口角を上げるようにグイッと引っ張ってみせる。
「表情を作るのにも顔の筋肉を使います。まずは、解していくのはいかがですか?」
「筋肉を……そうね。運動をする時だって、まずはストレッチからだものね」
「そうです。最初は手を使っても良いでしょう。あ、でもあまり強くしてはダメですよ。お顔が赤くなってしまいます」
鏡に向かって、一人の令嬢と侍女が頬をぐにぐにとマッサージをしている。当然、変な顔になることもあるのだが、教えを受けるレセリカは真剣だ。
「……こう?」
「ふふっ。ええ、その調子です」
「ダリア、今笑った? 私ったらそんなに酷い顔になっていたのかしら」
「申し訳ありません。そうではないのです。あまりにも可愛らしかったものですから、つい」
わずかに口を尖らせているレセリカに、クスクス笑いながらダリアが謝罪を口にする。
実際、先ほどの様子も今の拗ねている様子も、ダリアにはとても愛らしく見えていた。一生懸命なところがとにかく可愛らしい。
「あまり笑おうと意識しすぎない方がいいです。余計に強張ってしまいますからね。こうして筋肉を解して心穏やかにお過ごしになっていれば、おのずと自然な微笑みが浮かべられるようになりますよ」
「わかったわ。今はあまり意識しないようにしてみる」
助言を受けて、レセリカは大真面目に頷く。そんな様子に、ダリアはまたしても頬を緩めるのであった。
「姉様! おはようございます。今日もお綺麗ですね!」
朝食に向かう際、途中で会ったロミオが飛び切りの笑顔で挨拶をしてくれる。レセリカにとっては毎日の癒しだ。
「ありがとう、ロミオ。今日も元気ね」
つい先ほどのマッサージの効果だろうか。レセリカが僅かに口角を上げて挨拶を返した。それを間近で見たロミオは、はわわと僅かに震え出す。
「い、今、姉様が笑ってくれました……見ましたか、ダリア!」
「ええ、もちろん」
どうやらレセリカは今、笑顔を浮かべていたらしい。
「……気付かなかったわ」
「ふふふ、朝から良いものを見させてもらいました。今日の僕は世界一幸せ者です!」
「もう、大げさよ」
思ったことを真っ直ぐ伝えてくるロミオに、レセリカはほんのりと頬を染めつつ思う。
(私も、ロミオみたいに素直になれたら良いのだけれど)
本人はそう思っているが、侍女からの助言をそのまま受け入れて実践するレセリカもまた、とても素直である。ベッドフォード家の子どもたちは、二人とも素直で優しいのだ。
こういったレセリカの本当の姿を、多くの者が知ったなら。
二度目の人生で、彼女が「冷徹令嬢」と呼ばれることはなくなるのかもしれない。