書き下ろしSS

談が来ない王妹は、狂犬騎士との結婚を命じられる 2

狂犬騎士の殺意順リストには国王陛下の名前が載っている

 俺の名前はライアン・スペンサー。このディセンティ王国の王宮一のモテ男だ。顔よし頭よし実家は金持ちという三拍子そろったこの俺は、今夜も麗しの花たちから引く手あまた、花から花へと蝶のように飛び回っている───はずだったんだが。
 現在、俺が座っているのはふかふかのソファではなく隊室の硬い椅子で、眼の前にあるのは提出期限をちょっとだけ過ぎた報告書だ。美味い料理や酒もなければ、甘い台詞を交わす素敵な女の子たちも存在しない。隊室に残っているのは人の心を持たない狂犬隊長と、俺よりほんの少し顔が良くて名家の出であるというだけできゃあきゃあいわれている副隊長だ。
 聞いた話によると副隊長は、最近では『アメリア殿下付き近衛隊の最後の良心』なんていわれているらしい。
 しかし、部下の俺にいわせれば、真にイカれた男の補佐役をしているから常識人に見えるだけだ。これは断じて俺の嫉妬じゃない。副隊長もヤバいところがあるんだって、本当に!
 窓から見える空はすっかりと暗く、室内を照らすのは机の上のランプと備え付けられた照明だけだ。俺の勤務時間はとうに終了している。帰りたい。
「仕事にしか興味のないお二人とちがって、俺にはプライベートの予定がたくさんあるんスよ……!」
 進まない報告書で顔を覆って泣き真似をすると、副隊長がハッと鼻で笑った。
「そうか。除隊になるか、物理的に首が落ちるかの二択に戻りたいのか」
「殺意順リストの話はやめてほしいっス」
 ホラ、隊長が人の心がない怪物みたいな眼で俺を見てるでしょ!
 御前試合で賭け事をするという俺の可愛い遊び心がバレて以来、俺は狂犬隊長の『殿下の許可が得られたら即座に首を落とすリスト』、略して『殺意順リスト』に名前が載っているらしい。もうどこからツッコんでいいのかわからん。何もかもダメなやつじゃねえのコレ? 法務官に訴えたら勝てるのでは?
「まあ、俺は勇気とやる気とガッツと根性に溢れたタフな男ですから、殺意順リストに自分の名前が載っていることにも慣れましたけどね」
「何もかも足りない男だろうが…………、慣れた?」
「慣れたっス」
 副隊長が、手にしていた書類を机に置いて、まじまじと俺を見た。
 それからしみじみとした口調でいった。
「短所もときには長所となる、か。酒とギャンブルと女遊びにしか熱心にならない無神経なボウフラ頭にも、屑なりの良さがあったんだな」
「それ褒めてます!?」
 副隊長は無言で首を横に振った。
 隊長は俺たちの会話に興味もなさそうにペンを走らせている。
 俺は注意を引くようにパンパンと報告書の紙を叩いていった。
「いいですか、お二人とも? 俺は齢十歳にして両親と兄貴たちから『この子は天才だ』と褒め称えられたほどに賢い男なんスよ!」
「お前のご家族は聡明な方々ばかりなのに、末っ子であるお前にだけは目が曇ってしまっているという悲しい話か?」
「違うっス。俺は超天才なので、殺意順リストに隠された真実を早々と見抜いたって話ですよ!」
 真実? と副隊長が怪訝そうな顔をし、隊長もまた顔を上げてこちらを見ている。
 副隊長とちがって、隊長の眼には感情らしきものが浮かんでいない。苛立ちもなければ怒りもない。俺から見て、隊長の眼差しというのはいつも一定の温度を保っている。冷たくはないが温かくもなくて、夜よりも真っ暗で底が知れない。怪物の眼だよなぁと俺は内心で思う。
 しかし同時に俺は知っている。隊長は確かにヤバい。酒場にいるごろつきや、路地裏で刃物をちらつかせてイキがる奴らなんかよりよっぽどヤバい。比べ物にならないくらいヤバい。
 でも隊長には、この世でたった一人、くびきともいえる存在がいる。隊長はその人の傍にいるためならなんでもするだろうし、その人からの言葉なら守るだろう。そう、つまりは、だ。
「殿下の許可が得られたら首を落とすリストってことは、言い換えれば許可が下りない限り安全ってことっス。そしてお二人もご存じの通り、俺はギルベルトの一件でも大活躍した有能な部下で、殿下に必要とされてるじゃないですか。俺は殿下にとって手放せない部下。つまり隊長は俺に絶対手出しできないんスよ!」
 残念でしたねえと高笑いしてやりたかったが、俺の本能がそこまではやらないほうが良いと警告を発していたので我慢する。いや、俺の名推理に間違いはないし、ほぼ安全だと思うんだけどね? でもやっぱり、一瞬で俺の首を落とせる男を無駄に煽るのはまずいだろうなってね?
 俺は保身も考えられるハンサムなのだ。決して副隊長がいうようなボウフラ頭ではない。
 そして俺は、本能の警告が正しかったことを瞬時に悟った。
 隊長が珍しく不機嫌そうに、むっすりと唇を結んだからだ。苦々しいという表現がぴったりな顔だ。
 ヒェッと俺の口から短い悲鳴が漏れる。エッ、そんなにヤバかった? 隊長が殿下至上主義なことなんて周知の事実なのに? 思わず自分の言った台詞を思い返してみたけれど、問題点───つまり殿下への害意を示すようなことだ。隊長にとってはそれが唯一絶対的な問題で、わざとじゃなくてもやらかしたら終わりだ。だけどもちろん俺はそんなヘマはしていないわけで───うん、何も見当たらない。
 俺が恐怖と困惑の間を行ったり来たりしていると、忍び笑いのような声が響いた。副隊長だ。口元にこぶしを当てることで隠しているつもりなのかもしれないが、三人しかいない隊室で俺と隊長の注目を集めるには十分すぎる。
 副隊長はとうとう取り繕うことすらやめて、愉快そうに隊長を見た。
 隊長はそれに嫌そうな顔をすることで応える。言葉はない。副隊長は殿下付き近衛隊の中では最古参だし、隊長はその次に長いから、お互いしか知らない過去もいろいろあるんだろう。眼だけで会話ができるのは付き合いが長いからだ。俺は空気の読めるハンサムだからそこは察する。
 だけど、無言のまま終了するのはいただけない。それはあんまりってもんだろう。
「俺への説明は一切なしなんスか? この繊細な心を痛めつけるだけで終わり?」
 副隊長が『繊細なんて単語がお前の中にあったのか?』といわんばかりの顔をした。なんてことだ、俺も眼だけで副隊長と通じ合えてしまえている。全然嬉しくない。
 隊長が説明する様子を一切見せないので、副隊長がしぶしぶといった顔で口を開いた。
「隊長の殺意順リストには陛下の名前も載っているんだが」
「待って!? すげーヤバいことを突然いい出さないでください」
「お前が知りたがったんだろう、諦めろ」
「ヤダー!! 俺は大逆の共犯になる気はないんで!! 帰ります!」
「いっておくがお前は俺の『流刑にしてやりたいリスト』ナンバー1だ」
 俺は椅子から腰を浮かせた体勢のまま固まってしまった。今すぐ部屋を出て行きたい気持ちは満々なのだが、このまま帰ったら明日には僻地への転属辞令が下りているかもしれない。
 俺が半泣きで座り直すと、副隊長はため息混じりにいった。
「まあ、安心しろ。殺意順リストの話は陛下もご存じだ」
「なんで隊長は投獄されてないんスか?」
「悠々と脱獄するからだろう。牢番が可哀想じゃないか」
「無駄だとわかっていても努力するべきっスよ! 投獄する努力を!」
 そこで隊長が、資料に目を落としたまま口を挟んだ。
「ライアン、お前は殺意順リストの中でも下から数えたほうが早い位置にいるが」
「慰めになってないっス! リストから消してくださいよ!」
「殿下の兄君は常に上位にいる。殿堂入りだな」
「わー聞きたくなかった情報をどうも! なんでその情報を足そうと思ったんスか!? いらなすぎるでしょ!?」
 手遅れながらも両手で耳を塞ごうとする俺に、副隊長は深いため息をついていった。
「落ち着け、ライアン。そのことについても陛下はご存じだ」
「すげえ……、今初めて、うちの王様ってめちゃくちゃ度量がデカい方だったんだなって思ったっス」
「お前もたいがい不敬だぞ」
 副隊長は頭痛がするとでもいうように目頭を揉んでいった。
「昔、陛下がまだ王太子殿下だった頃の話だ。隊長が、ああ、その頃はまだ隊長じゃなかったが、とにかくこの男が王太子殿下にいったんだよ」

 ───覚えておけよ、お前は俺の〝首を飛ばしてやりたいリスト〟に名前があるうちの一人だ。お前の首がまだ繋がってるのは、姫様が駄目だというからだ。もし姫様が許すといってくれたら、俺は必ずお前を首なしの惨殺死体にしてやる。

「やっぱりさっき帰っておけばよかったっス」
「まだ続きがある」
「もう何も聞きたくないっス。俺の繊細な精神には耐えきれないっス」
「タフな男という自称を捨てるな。それでな、隊長にあからさまな脅し文句を吐かれた王太子殿下は、怯むことなく隊長を見返して、鼻で笑ったんだ」

 ───それでは貴様は一生、私を殺せんな。アメリアが許しを与えることはなく、私がアメリアを裏切ることもない。せいぜい殺意だけをたぎらせておくがいい。我ら兄妹の絆と信頼は、妹と知り合って日の浅い狂戦士程度に量れるものではないわ。

 俺は何もいえずに沈黙した。たぶん露骨に引いた顔になっていたと思う。隊長も隊長だが、陛下もなんで煽り返しちゃうんです? 一国の王と近衛隊隊長だったら断然王様のほうが偉いが、人の皮を被った呪いの魔剣と普通の人間だったら呪いの魔剣のほうが断然ヤバかろう。
 いや、俺も陛下と似たようなことをいったよね。わかってる。隊長が不機嫌になったのも、副隊長が笑い出したのも、陛下とやり合ったときのことを思い出したからだ。これはそういう説明だろう。
 でも、いわせてもらうなら、俺がいくら『殿下の大事な部下っス』と自称したところで、殿下にとってもっとも信頼のおける近衛騎士が隊長であり、その次が副隊長だろうという事実は揺らがないのだ。俺が有能でも隊長にとって目障りにはならない。俺はちゃんとそこをわきまえている。
 だけど陛下はちがうだろ? 陛下は殿下にとってのたった一人の兄貴で、先代の王や王妃との関係を考えると、唯一信頼できる肉親だといってもいいほどだろう。それに、殿下にとっては忠誠を誓った主君でもある。簡単にいってしまえば、陛下は殿下にとって超大事な人なのだ。陛下は殿下に命令することができる唯一の存在だ。
 隊長は殿下さえ無事なら世界が滅んでも気にしないだろう男だから、国のためなら殿下に厄介な命令を下すこともある陛下が殺意順リストに殿堂入りしているというのは納得の話だ。ギルベルトよりも忌々しい相手だろう。
 問題は、俺はそんな話を知りたくなかったということと、もろもろを承知で煽り返せる陛下がとても怖いということだけだ。
 しかし副隊長は、くつくつと思い出し笑いをしながらいった。
「隊長と陛下の言い争いは、たいていの場合引き分けに終わりますけど、あれは隊長の負けでしたねえ」
 懐かしむ口調で愉快そうにいう副隊長に、隊長がまた嫌そうな顔をする。
 俺は、胸の内でつくづくと思っていた。
 ───やっぱ副隊長も、マトモじゃないよな~!!!
 どこを切っても『ヤバ……』という声しか出てこないような話を、懐かしい思い出のように語れる時点で普通じゃない。副隊長の常識もたいがいネジが飛んでいる。
 俺は、俺だけは染まらずに、近衛隊の良心であろうと誓いながら、目の前の報告書をいかにサボるかということについて思考を巡らせ始めたのだった。

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