書き下ろしSS

「君を愛することはない」と言った氷の魔術師様の片思い相手が、変装した私だった 2

やさしさに包まれたなら

『感謝は幸福に近づく最も効果的な方法のひとつである』と最近読んだ本に書いてあった。
 天才魔法使いである十二歳の私は、その意見にまったく賛同できない。
 うさんくさいきれい事にしか思えないし、そんなことで幸せになれるならこの世界は幸せな人であふれていると思う。
 そう感じたことを話すと、幽霊さんは『気持ちは分かるけど、でも僕はその作者さんに賛成かな』と言った。
「いい人ぶっちゃって」と言うと、『いやいや、そうじゃなくて本当に』と言う。
 知ってる。
 幽霊さんは、本気でそういう風に思える人だ。
 冷めた目で疑うのが好きな私と違って、そういう生ぬるい言葉を心の底から信じることができる。
 私は幽霊さんのそういうところが嫌いじゃない。
 自分にはないものだからこそ綺麗に見えるし、できるなら理解したいと思う。
 だけど、照れくさすぎてそんな風には言えないから、冷めた顔で挑戦するみたいに言った。
「なら、私を説得してみなさいな」
『いや、説得とかそういう感じではないんだけど』
 幽霊さんはふわりと優しく微笑んでから言う。
『何かに感謝しているときって心が安らぐ感じがするんだよね。自然と心が整うというか。たとえば、僕は空気ってすごく優しい存在だと思ってるんだけど』
「空気が優しい?」
『だってどんなときもずっとそばにいてくれるでしょ? 僕が何をしてもずっと近くにいて、生きるために必要な酸素をくれる。それも、多過ぎもせず少なすぎもしない量を適切に。それってすごいことだと思うんだよ』
「生き物は環境に適応して、そういう風に進化してるんだもの。当たり前のことじゃない」
『それはその通りなんだけどさ。でも、必要なものをすぐに用意してくれる世話焼きなお母さんだと思うとなんだかいつもありがとうって気持ちにならない?』
 私は空気という形のお母さんが、必要な酸素を私に用意してくれている姿を想像した。
 それはなかなか悪くないものであるように思えた。
 実際、空気が適切な量の酸素をくれなければ、私はすぐに体調を崩しちゃったり死んじゃったりするのだ。
 そう考えると空気お母さんはすごくありがたい存在かもしれない。
『あと、心臓くんとかも僕は好きなんだよね。いつも僕らのために休まず働いてくれてる。寝てるときも遊んでるときもずっとだよ。生まれてからずっと働き続けてくれてるの。それってすごいことだと思うんだ』
「心臓は男の子なの?」
『そこは確定ってわけでもないんだけど。そうだね、たとえば面倒見が良くて君のために働いてくれてるお兄さんみたいに思ってみたらどうかな』
 私は心臓というお兄さんが私のために休まず働いてくれている姿を想像した。
 彼がたった一分休んだだけで、私は簡単に死んでしまう。
 裏を返せば、私が今まで生きているのは彼が休むこと無く働き続けた証拠で。
 そう考えると心臓お兄さんはとても尊い存在であるように思えた。
 私という妹のために、文句も言わず自己主張もせず淡々と必要な仕事をこなし続けているのだ。
 すべて、私一人のために。
「無口でクールで妹思いな心臓お兄さん……いいかも」
『見えないところで妹のために、自分の人生すべてを捧げてがんばってくれてるわけだよ』
「終盤で、主人公は実はお兄さんに助けてもらっていたという真実に気づくの。涙無しには読めない感動ロマンス小説のシナリオよ。見えたわ、私は天才小説家の卵だったのかもしれない」
『とても良いシナリオだね。すごいな、創作の才能もあるなんて』
 幽霊さんがそんな風にうれしい反応をしてくれるから、私は意気揚々と心臓お兄さんを元にした兄妹ものの小説を書き始めて。
 三日で飽きて、すぐに書くのをやめた。
 本当は気づいている。
 幽霊さんが褒めてくれたのは、私が新しいことに前向きに挑戦できるようにするためのやさしさで。
 空気と心臓が家族なのは多分、両親を亡くした私が寂しくないように『君は一人じゃない』って伝えようとしてくれていて。
 だから私はたくさんのやさしさに包まれている。
 私のためにずっとがんばってくれている空気お母さんと心臓お兄さん。
 何より、いつだって傍で私のことを見守ってくれる幽霊さんの優しさに。
 ありがとう、と心の中で思う。
 なんだか少しだけ良い気持ちになる。
 たしかに、これは結構幸せと呼べるものかもしれない。
 きれい事だと思ったそれを心の中で認めながら、素直になれない私は「みんなバカばかり」という顔で本に視線を落とした。

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