書き下ろしSS

がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件 4

機転が勝機 ~アイーダ妃殿下の短い一日~

「今頃ミミちゃん何してるのかしら」
 物憂げに頬杖をついた王妃様は、そうつぶやいた後に大きなため息を吐いた。
「やめなさい、行儀の悪い」
 陛下に叱られ、王妃様はぷくうと頬を膨らませた。
 ここは王族専用の食堂。私、アイーダは今、義父母である国王夫妻と夫であるプラチド殿下と朝食を取っている最中である。義理の兄夫婦、王太子レナート殿下とミミは新婚旅行に行ったばかり。旅行に同行できなかった王妃様は少しだけご機嫌ななめだ。
「だって、だって、まるっきり二人きりじゃないのよ。ライモンドもガブリエーレもべったりくっついているんだから、そこにわたくしが加わったって何ら問題はないじゃない」
「何度言ったら分かるんだ。問題しかないし、はっきり言おう。新婚旅行に母親がついてきたら離婚されてもおかしくはないぞ」
「そんな、ミミちゃんに限って……。ああ、今頃二人はどんなトラブルに巻き込まれているのかしら。知りたいわ。できることならこの目で見たかった」
「やめなさい、縁起でもない」
 陛下は熱いミルクティーを一気に飲み干し、早々に部屋を出て行ってしまった。
「は、母上。今日のご予定は?」
 ことさら明るい声で、プラチド殿下が話しかけた。大粒の苺をモグモグしていた王妃様が顔を上げる。
「今日は市井へ視察へ参ります。アイーダちゃん、王族としての勉強です。同行なさい」
 王妃様はそう言うと、私にだけ見えるように右手を挙げ、宙をつまんでひねるように手首を回した。私はそれを見て内心噴き出してしまっていたけれど、いつもの淑女の笑みでごまかして頷いた。

 品の良いマーメイドラインのワンピースにつばの大きな帽子。しっかりとサングラスで顔を隠した王妃様は、王族とは思われることはないだろうけれど、明らかにお忍びでやって来た高位貴族そのものだった。
 レナート殿下は変装が下手だってミミが言っていたけれど、もしかしたら遺伝かもしれないわ。と、私は思った。
「さあ、娘ちゃん。今日も張り切って行くわよ!」
「はい、お母様」
 市井では、私たちはお互いを娘、母と呼ぶことにしている。初めは偽名を使ったが嘘の苦手な私たちがあまりにもぎこちなかったので、シンプルに娘、母と呼ぶようにしたのだ。
 気合いの入った王妃様が鼻息荒く先頭を切って歩いて行く。人の多い大通りだけれど、皆、王妃様を避けて道が開いた。小さなパン屋を目印に、迷うことなく角を曲がり小道に入った王妃様は、そこにできていた行列の最後尾に並ぶ。その後ろに私も並んだ。王妃様の侍従や護衛たちは列には並ばずに、つかず離れずの場所で待っている。
「ああ、運命の女神よ。どうかわたくしに微笑んでちょうだい」
 王妃様はそうつぶやいて両手を組み天を仰いだ。前に並ぶ少年たちがつられて空を見上げる。
 今日は天気も良く気温もちょうどいいので、行列がいつもよりも少しだけ長い。王妃様の前には少年が数人。その前には女の子を連れた親子連れ。ずっと先の先頭はいかつい男性二人組だ。気付けば私の後ろには女子学生たちが並んでいる。私は帽子を深くかぶり直して顔を隠した。
 しばらく待っていると、私たちの順番がまわってきた。王妃様が静かに右手を挙げると、すかさず侍従がその手に何かを載せた。王妃様が手を握るとジャラッと重い音がする。そう、その白魚のような美しい手には、鈍い銀色のコインが三枚握られていた。
「いざ、勝負……!」
 小さな四角い箱の前で、王妃様がしゃがみこんだ。そして、握っていたコインをその箱のハンドル部分に投入する。おもむろにそのハンドルを掴むと、勢いよく回し始めた。
 ガチャガチャガチャ! ガコーン!
 王妃様は慣れた手つきで下方の取り出し口にズボッと手を突っ込み、まん丸い球状の入れ物を取り出した。それを受け取った侍従もまた、慣れた様子でそれを受け取る。
 王妃様に続き、私もまた同じようにコインを投入し、ハンドルを回して球状の入れ物を取り出した。この入れ物はとても硬いのだけれど、侍従に渡すと開けてくれるのだ。ぱかりと入れ物を開いた王妃様が一瞬だけ顔をしかめる。
「あら……これはトラースキックバージョンね」
 王妃様がミミの得意技名を口にした。
「娘ちゃんは何だったの?」
「私は……ああ、残念。また回し蹴りでした」
「いいのよ、いいのよ。かっこいいミミちゃんは何枚あったっていいのです」
 私たちの手のひらには、少し大ぶりのキーホルダーが載っている。その意匠の一つは大きく足を上げて後方を蹴っているミミ。そしてもう一つは、スカートを翻してキックをしているミミ。
 イレネオ様が画家に勝手に描かせて勝手に売り始めた非公式王族グッズ。私たちのものは普通に店頭で販売しているのだが、ミミの必殺技シリーズだけは妙な人気が出てしまい、こうしてランダムに出てくるお楽しみグッズとして販売されているのだ。何でも、技の組み合わせで強さが変わり、それで戦わせるゲームが少年たちの間で流行っているらしい。
 必殺技シリーズの絵柄は全部で五種類。王妃様は四種類を数枚ずつ持っている。しかし……。
「やったー! シークレットだー!」
「すっげー! 初めて見た!」
 王妃様の前に並んでいた少年たちが叫んだ。王妃様の手がぶるぶると震え始める。
「ああ……あの子たちの前に並んでいれば……わたくしがひいていたはずなのに……!」
 そう。王妃様は、最後の一枚、シークレットをまだ持っていないのだ。シークレットは絵柄すら公開されていない、まさに秘匿された一品なのだ。
「お母様、もう一度並びますか?」
「いいえ。シークレットが連続して出ることはありません。次の場所へ行きましょう」
「はい、お母様」
 やはり、やはりまた行くのですね。
 私は再び、ずんずん進んでいく王妃様の後を追った。
「奥様、金子を渡してあの少年たちからシークレットを譲ってもらうという手もありますが」
 私たちを追いかけてきた侍従が王妃様に耳打ちする。きつく眉根を寄せた王妃様が、扇で侍従の額を打った。
「いてっ」
「何てことを言うのです。ああ、あなたは何にも分かっていないわね。期待で高鳴る胸を押さえながら自らハンドルを回し、あのガチャガチャという音に願いを込め、喜怒哀楽の全てを詰め込んだ球体を取り出す。そうやって手に入れるからこそ価値があるのです。先だって絵柄を知ろうとすることだってけして犯してはならない禁忌なのよ。ああ、シークレットを他人に見せることを一級の犯罪にしてしまおうかしら」
 王妃様の早口に、侍従が震えあがる。
 何が王妃様をそこまでさせるのかしら。シークレットという言葉がこれほどまで業が深いものだったとは。私は自分で自分の身をぎゅっと抱きしめた。
「さあ、気を取り直して次に挑むわよ」
 王妃様はそう叫ぶと、ジュエリーショップの店頭にできている行列に並んだ。店のせいか、並んでいる客層は貴族ばかりだ。中には、貴族の使用人らしき人たちも混じっているけれど、やはり王妃様のおっしゃっていた通り、自らの手でガチャガチャ回すのがセオリーなのだろう。扇で顔を隠した令嬢や難しそうな専門書を片手に並んでいることをカモフラージュした令息が圧倒的に多い。
 必殺技シリーズの入った四角い箱は、イミテーションの宝石できれいに装飾されてキラキラ光っている。並んでいる間に、ジュエリーショップの店員が最新の商品カタログを配り始めた。さすがは王都のジュエリーショップの店員である。王妃様と私の顔を見て、ひゅっと息を呑んだが、表情を崩すことなくカタログを渡して去って行った。
 とうとう王妃様の順番になった。侍従がジャラッと音を立ててコインを王妃様に手渡す。
 ガチャガチャガチャ! ガコーン!
 王妃様の取り出した球体を固唾を飲んで見守る私たち。どうか、お願い。シークレットよ、出てください。
 願いむなしく、王妃様の手のひらには、ミミの猛烈ロケットパンチが載っている。
「ふふっ、ミミちゃんのこの爽快な笑み。何度見ても可愛らしいわね」
 そう言って笑う王妃様の強がりがせつない。無論、私がひいたのは、ミミの回し蹴りであった。本日連続二回目。
 そろそろ城へ戻らなければならない時間だ。予定ではもう一回並ぶ予定だったけれど、どこの行列もいつもよりも長かったせいか、思っていたよりも時間がかかってしまったみたい。王妃様が頬に手をあて、誰にも聞こえないようにため息をついた。王妃様はなかなかこうして街歩きをする時間がない。次はいつ行けるだろうか、きっとそんなことを考えているのだろう。
 肩を落として歩く王妃様にかける言葉も見つからず、護衛や侍従がその後ろをぞろぞろと付いて歩く。
 もうすぐ馬車を待たせているところへたどり着く頃だった。
「あっ! さっきのおばさんだ!」
「ねー、シークレットひけた?」
 脇の小路から飛び出してきた少年たちが、王妃様を指さして叫んだ。パン屋の先の行列で私たちの前に並んでいた少年たちだ。
「お、おばさん……」
 王妃様はそうつぶやきつつも、鉄壁の淑女の笑みを返した。
「シークレットはまだよ。人生というものは、早く会いたいと思えば思うほど、いっそうその距離は離れて行ってしまうものなのかもしれないわね」
 いけない、王妃様が子供相手に人生を語り始めてしまったわ。ご乱心よ。私が目配せをすると、侍従や護衛たちがさっと寄り添うように王妃様の背後に立った。
 少年たちはぽかんとしていたけれど、すぐに屈託のない笑みを浮かべて言った。
「何かよくわかんねーけど、早く当たるといいな!」
「ねえ、貴族学校のすぐ向かいにあるガチャガチャ回した? あそこ穴場だぜ」
 少年たちの言葉に、王妃様が瞬いた。必殺技シリーズの箱の場所は全て把握しているつもりだったけれど、いつの間に設置されたのだろう。
「まあ、貴族学校? 知らなかったわ」
「貴族の人たちは馬車で登下校するだろ。だから、あそこにあるのあんまり知られてないんだ」
 少年たちが自慢げに胸を張る。王妃様が落ち込んでいたのを見て、追いかけてきてくれたのかもしれない。優しく元気の良い少年たちに王妃様がほほ笑む。
「貴重な情報をありがとう。行ってみるわ」
「うん! 全種類コンプできるといいな!」
「じゃーな、おばさん!」
 少年たちは手を振って駆けて行った。
 王妃様は一度扇をぎゅっと握りしめた後、馬車に向かってゆっくりと歩き始めた。侍従が戸惑いつつもその後を追う。
「お母様!」
 私は意を決して声を上げた。全員がさっとこちらを振り返る。
「お母様、行きましょう。貴族学校へ」
「娘ちゃん……、でもわたくしには公務が」
「急げばまだ間に合います。すみません、どなたか食べ物を買ってきてくださいませんか。昼食を馬車の中で取りましょう。城に着いたらすぐに着替えれば何とかなるはずです」
「娘ちゃん!」
 護衛の一人がすぐに近くのパン屋に飛び込んだ。もう一人の護衛が貴族学校の方向へ踵を返す。私たちはできる限りの早歩きで、その後を追う。
「ご武運を!」
 ドアを開いて待っていた馬車の御者がそう叫んだ。

 少年たちの言っていた通り、貴族学校の向かいの箱にはたくさんの球体が詰め込まれていた。確かにあまり回されていない様子。侍従が私たちにコインを手渡した。
「はああー。緊張してきたわ。心を鎮めるからちょっと待ってちょうだい」
 王妃様が手で胸を押さえ、大きく息を吐いた。その時だった。私の胸が急にざわめき始めた。この胸騒ぎは……ミミがいつも何かをやらかす前にやって来る焦燥感に似ている。私はハッとしてすぐに顔を上げた。これから起こりうる危機を回避することができるのは、私だけだわ。
 私は王妃様の前へ踏み出した。
「今回は私がお先に失礼します」
 ガチャガチャガチャ! ガコーン!
 私はハンドルを回し、球体の入れ物を取り出す。軽く振ってみると、カタカタと聞き覚えのある音がする。これはまた、回し蹴りのような気がするわ……。
「ようし、行くわよ! 今度こそ!」
 王妃様が慎重に一枚ずつコインを投入する。ハンドルを回すときは勢いよく一気に。
 ガチャガチャガチャ! ガコーン!
 案の定、私が引いたのはミミの回し蹴りバージョン。本日三回中、三回も同じ物を引いてしまった。ある意味、めずらしい。
「あっ……、えっ……」
 王妃様の膝ががくりと折れ、その場に頽れた。すぐに護衛が支えたので地面に倒れることはなかったけれど、王妃様はそのまま立てずにいる。
「ああっ、え。えっ? ええっ? おおお……」
 王妃様の手のひらには、頬に手をあて満面の笑みを浮かべるミミのキーホルダーが載っていた。女の子の笑顔は最大の武器よ、なんて、いかにもミミが言いそうなセリフまで付いている。必殺技シリーズのシークレットが笑顔だったなんて、想像もしていなかった。
「うわあ……ええ……えええーーー?」
 叫び出すわけでも、踊り出すわけでもなく、王妃様は何度も手のひらの上のミミを見つめたまま言葉にならない声を呻いている。人間って本当に嬉しい時にはこんな風になるのね。私はとても冷静な気持ちでその姿を眺めていた。
「ふふ、うふふふふ。やったわ、……やったわー!」
 やっと立ち上がった王妃様が、両手を挙げて叫んだ。たくさんの人たちがこちらに振り返ったけれど、王妃様はそんなことなど気にも留めずに両手を挙げたままぴょんぴょん飛び跳ねている。
 上機嫌で馬車に戻った後、王妃様はキーホルダーを上に掲げたり、裏返してみたりと子供の様にはしゃいでいた。私は護衛が買って来てくれたバゲットサンドを食べながら、再び王妃様の様子を眺めていた。
 今日は王族として、たくさんのことを勉強したわ。親切な少年たちとの出会い、あきらめないことの大切さ。
「うふふ、これはレナートだって持っていないわよ。新婚旅行から帰ってきたらすぐに見せびらかしましょう。あの子の悔しがる姿、楽しみだわ」
 王妃様がキーホルダーを抱きしめながらそう言った。
 シークレットを見せることは犯罪なのでは。
 私は思ったけれど、そんなはしたないことは口にしなかった。

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