書き下ろしSS

役令嬢の矜持 4 ~四花の憂う先行きに、朱瞳が齎す最善を。~

オルミラージュ侯爵夫人の天敵

 ―――大公国内を旅行中。

「う〜……」
 身支度を終えたエイデスが、ベッドで呻くウェルミィに目を向けると、起きてはいるがまだ眠そうである。
 慣れない長旅に疲れているのだろう。
 大公国内の旅程は、泊まるところもきちんと用意されていた。
 旅宿であることは少なく、大抵は小領主や貴族の屋敷である。
「おはよう」
「ん〜……おはよ……」
 ウェルミィが、目尻を手で押さえながら体を起こすと、手を貸そうとした側付き侍女のヘーゼルがピタリと動きを止める。
 そして吹き出すのを堪えるように、頬がピクピクと動いた。

 ―――気持ちは分からないでもないがな。

 起き上がったウェルミィの寝癖が、常にない爆発具合を見せていたのだ。
 鳥の巣かと思うほど絡まっている部分もあれば、蜘蛛の足のように浮き上がっている部分もある。
 正直に言えば、かなり滑稽な仕上がりだった。
「……どうしたの?」
 エイデスとヘーゼルの様子に気づいたのだろう、ウェルミィがキョトンとして首を傾げると、侍女長のヌーアが部屋に置かれた姿見をそっと彼女の前に引っ張ってくる。
「にゃ、にゃにコレ!?」
「おそらくは、湿気のせいだろうな」
 エイデスも笑いを堪えながら、彼女の驚愕に答えた。
「大公国は、ライオネルよりもだいぶ湿度が高い。日が高い時間のじっとりとした不快感もその湿度が原因だが……髪も同じだな」
 ウェルミィの髪はプラチナブロンド。
 透き通るように美しい髪だが、同時にそれは色が薄く細い、という意味でもある。
 昔は湿度計にも使われていた程、湿気の影響を受けやすいとされる髪だ。
「いつもより、随分派手な髪型だ。似合ってるぞ」
「嬉しくないわよ!! こんなに絡まってたら、直すのに痛い上に時間が……」
 とウェルミィが愚痴り始めたところで、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「どうした?」
「申し訳ありません。王太子妃殿下がお越しになられたのですが……」
「何でこんなタイミングでお義姉様まで来るのよ!? 今はダメよ!」
 爆発した寝癖を見られるのが嫌なのだろう、が。
「通してやれ」
「ちょっとエイデス!?」
「イオーラはいつも、こんな非常識な時間には訪ねてこないだろう? 急な用事かもしれん」
 言いながら、エイデスはイオーラが訪ねてくる理由の目星がついていた。
 彼女は3日ほど前から、しきりに天候や地図を気にしていたのだ。
「おはようございます……あら?」
 身支度を完璧に整えたイオーラが入って来ると、ウェルミィは掛け布を頭から被って顔だけを出す格好になっている。
 いわゆる子どもの『お化けごっこ』の姿だ。
「レ、レディの寝起きに会いに来るなんて、失礼だと思わないの、お義姉様?」
「寝起きだから会いに来たのよ。案の定ね」
 ニッコリと笑みを深めたイオーラが、自分の侍女であるオレイアが差し出した霧吹きを手に取る。
 そして、目をキラキラと輝かせながら、それを掲げた。
「貴女の髪質だと、寝癖が凄いことになっているのでしょう? とっても良いものを持ってきたのよ」
「……良いもの?」
「ええ。この霧吹きの中身は髪に艶を与える、清涼効果のある液体なの。香油代わりに作ったのだけれど、整髪料としても使えるのよ!」
 いつになく高揚しているイオーラが、饒舌に言葉を重ねる。
「髪は水分を含み過ぎると型崩れしてしまうけれど、これは最適な状態に髪を保ってくれるから、乾燥にも湿気にも強いの。香油と違って重くないし、寝癖が綺麗に直るし、寝る前に塗れば寝癖も出来ない優れものなのよ♪」
「……お義姉様?」
「なぁに?」
 掛け布を頭から被ったウェルミィが、ニコニコしているイオーラを珍しく睨みつけた。

「……もしかして、それを試す為に私の頭がこうなるまで黙ってたわね?」

 そう問われて、ピシッとイオーラが固まる。
 沈黙が訪れるのと同時に、エイデスは目を細めた。

 ―――相変わらず、嘘をつくのが下手だな。

 そんな反応をしてしまっては、肯定しているも同然である。
「……え〜っと……」
「タイミング良過ぎるもの。おかしいじゃない? だってそれ、昨日の夜言ってくれても、その前に言ってくれても良かったわよね?」
「え……っと……?」
「お義姉様なら、この国の気候は勿論ご存じなのよね。他にいくらでも話すタイミングがあったのに、何で今日なのかしら?」
「その……」
 イオーラが視線を彷徨わせる。
 彼女は善良だが、同時に魔術研究に関しては周りが見えずに没頭してしまうタイプでもある為、新しく作ったのだろう整髪の魔薬を、自分以外でも試したくてうずうずしていたのかもしれない。
『ウェルミィの髪なら絶好の素材』と思ってしまったら『彼女にそんな仕掛けをしたら即座に気づく』という部分がすっぽりと抜け落ちたのだ。
「図・星・な・の・ね?」
「で、でもその、整髪料は、本当に効果があるのよ……?」
「お義姉様が作ったものの効果なんて疑ってないわよ。私が、恥ずかしい思いをするって分かってて黙ってたのよね、って言ってるの!」
 ウェルミィ相手に、その手の話題逸らしは効かないと分かっているだろうに、イオーラは無駄な抵抗を試みている。
 眺めていても余計に妻の機嫌が悪くなっていくだけなので、エイデスは助け舟を出すことにした。
「許してやれ、ウェルミィ。イオーラがそういうことをしたのは、お前だからだろう」
「どういう意味よ!」
「それだけ、お前に気を許しているという意味だ。イオーラが『ついうっかり』を見せるのは、ウェルミィに関することくらいだからな」
 逆もまた然りなのだが。
 この義姉妹に『相手のことでついうっかり』頬をはたかれた経験のある者など、世界中を見回しても自分一人しかいないに違いない。
「そ、そんな言葉で誤魔化されないわよ!」
 ウェルミィはそう言いつつも、頬がにやけている辺り、全く嬉しさを誤魔化せていない。
 イオーラも雰囲気が変わったことに気づいたのだろう、少しホッとした顔をしながら、ウェルミィに問いかける。
「黙っていてごめんなさい……ど、どうしたら許してくれるかしら?」
 ちょっと上目遣いに、両手で霧吹きを持って首を傾げるイオーラに、ウェルミィはむむむ、と二秒程度唸った後に、あっさり陥落した。
「……今日の髪のセットは、お義姉様がして」
「そんなのお安い御用よ」
「朝ごはんも一緒に食べて」
「ええ、まだ朝食は摂っていないわ」
「一緒の馬車が良い」
「レオにお願いしておくわね」
「……なら許すわ!」
 ふん、とお化けスタイルのまま満足そうに鼻を鳴らしたウェルミィに、エイデスは苦笑した。
 この義姉妹は本当に仲が良い、と思いながら。

TOPへ