書き下ろしSS
社畜剣聖、配信者になる 〜ブラックギルド会社員、うっかり会社用回線でS級モンスターを相手に無双するところを全国配信してしまう〜 2
リリの小さな冒険
「ぐー、ぐー」
ある日の朝。元社畜配信者、田中誠は自室のベッドの上で寝息を立てていた。
今日は特に配信や打ち合わせの予定がない完全にオフの日であった。そうした日は社畜の時の睡眠時間を取り戻すかのように、彼は惰眠を貪っていた。
もうあの時のようにいくら寝ていても怒る上司はいない。しかし彼がそうしている事で暇になっている存在がいた。
「りり……」
田中が飼っている黒い粘体生物、リリ。
見た目こそ完全にモンスターであるリリだが、早寝早起きで規則正しい生活を送っていた。いつも通り早くに目覚めたリリは田中の布団から出ると枕元に向かい、飼い主の顔近くにやって来る。
「たなか、あさ」
リリは短い足で田中の頬をぺちぺちと叩く。しかし田中は気持ちよさそうに眠っており起きる気配はない。
「むうー」
起きない主人を見て、リリは不満げに体をぷくっと膨らます。
リリの精神年齢は人間の五歳程度。まだまだ甘えたい盛りであり、自分だけ起きているのは寂しい。
体から触手を生やして振り回せば田中を起こすことは可能だろう。しかしリリはそれをしなかった。幼いながらもリリには疲れている田中を慮る優しさがあった。
「たなか、おやすみ」
田中を寝かせてあげることにしたリリはそう言って彼の頭にぽんぽんと手を乗せると、一人ベッドから降りる。
そして短い足を器用に動かして家の玄関扉に行くと、なんと扉の郵便受けから外に出てしまう。
スライムと似た体を持つリリの体は変幻自在であり、僅かな隙間でも抜けることができる。田中の知らないところでリリは時折こうして外に出て散歩していたのだ。
「るんるん」
アパートの外を上機嫌に歩くリリ。田中のポケットの中で過ごすのも好きだが、こうして一人で歩くのも好きであった。
さて今日はどこに行こうか、そう思っていると……
「きゃあ!?」
突然上方から声がする。
そちらにつぶらな瞳を向けてみると、そこには箒を持って掃除している中年の女性の姿があった。彼女は田中の住んでいるアパートの管理人、つまり大家であり日課の朝掃除をしているところであった。
大家は突然足元に現れたリリを発見し驚いた後、しゃがみこんで顔を近づける。そして、ポケットからなにかを取り出してその先端をリリに向ける。
傍から見れば突然現れたモンスターを駆除しようとしているように見える。しかし、
「なんだリリちゃんだったのね。おはよう、今日も元気そうね。おやつ食べる?」
「りりっ!」
リリは嬉しそうにそう言うと、大家の差し出した『かりんとう』を美味しそうにぽりぽりと食べだす。ちょうどお腹が空いていたので一瞬でそれは跡形もなく消えてしまう。
「いい食べっぷりだね。もう一個食べるかい?」
「りり、たべる!」
大家はポケットの中の袋からかりんとうを取り出すと、再びリリにそれを食べさせる。
このアパートの大家である彼女は、田中からリリの説明を受けている。そしてその上でリリがここに住むことを許可している。
リリが時折散歩していることも知っており、出会うたびに様々なおやつをあげていた。
「元気なのはいいけど、アパートの外に出たら危ないから出ちゃダメだよ」
「もぐ、もぐ……ごくっ。うん!」
「ふふ、いい子だね」
大家は最後に一回リリをなでると、掃除に戻る。
アパートの敷地外に出てはいけないという約束は、最初にリリの散歩に遭遇した時に交わしている。本当はもっと遠くまで散歩に行きたいリリだが、その約束を守っているので他の人に見つかることなく平和に過ごせているのだ。
「てくてく、てくてく」
楽しく散歩を続けるリリ。アパートの敷地はそこそこ広いものの、特に珍しいものはない。
しかし生まれたばかりのリリにとって目に入る全ての物が新鮮で刺激的である。虫や植物、落ちているゴミにも興味津々であり、観察したり食べたりしながら散歩を続ける。
「……り?」
しばらくそうしていたリリは、なにやら甲高い鳴き声のようなものを聞き、立ち止まる。
そして音のした方向に向かってみると、そこでは二頭の野良猫が「ふしゃー!」と毛を逆立たせながら威嚇し合っていた。どうやら喧嘩をしているみたいだ。
それに気づいたリリは地面を蹴り素早く移動すると、体から二本の触手を伸ばして今にも飛びかかり合いそうな二匹の猫の体をつかみ持ち上げる。
「「にゃあ!?」」
突然のことに驚く猫たち。リリはすっかり怯えた様子の猫を自分のもとに近づけるといつもより怒った口調で叱る。
「けんか、だめ」
そう言われた二匹の猫は勢いよく首を縦にぶんぶんと振る。野生動物である二匹はリリが自分より圧倒的強者であることを直感で理解したのだ。
「いいこいいこ」
喧嘩をやめた二匹を褒めると、猫たちは腹を見せて服従した後、去っていく。もうこの敷地内で喧嘩をすることはないだろう。
去っていく姿を満足そうに見たリリは、すっかり登った太陽に気がつき田中の部屋に戻りだす。
「そろそろ、おきるかな?」
アパートの階段を登り、再び郵便受けから中に入る。
するとそれとほぼ同時に田中が「ふあ……」と言いながら体を起こしていた。それを見たリリはたたっと駆け出し、田中の懐に飛び込む。
「りりっ!」
「おっと、おはようリリ」
田中はリリを受け止めると、両手で持ち上げる。
「悪いな、また寝すぎたみたいだ。暇してたんじゃないか?」
「ううん、だいじょぶ」
「そっか、リリは偉いな。さっそくご飯にするか」
「りりっ!」
元気よく返事をするリリ。
こうしていつものように二人の穏やかな日常は始まるのだった。