書き下ろしSS

あり伯爵様と契約結婚したら、義娘(六歳)の契約母になってしまいました。 2 ~金色姫と雪の草原~

エルヴィラの悩みごと

『一緒に行こう、エルヴィラ。僕達の友人の戦いを見届けに』

 そう言ってくれたのは、エルヴィラのよく知る異国の王子様。
 黒髪に青い瞳、色白で、鼻が高く優しい顔立ちをした、年上の――男の人だ。

****

「――エリーちゃん?」

「きゃあああああーっ!?」
「きゃあああーーっ!!?」

 ルビエール辺境伯邸に響き渡る愛らしい悲鳴を上げたのは、エルヴィラ=ルビエール。
 ふわふわの金髪に大きく水色の瞳がチャーミングな、愛らしい六歳の辺境伯の孫娘である。

 その悲鳴に驚いて、同じく愛らしい悲鳴を上げたのは、リーディア=リキュール。
 サラサラの銀髪に吊り目がちな紫色の瞳がキュートな、こちらも愛らしい六歳の伯爵令嬢である。
 彼女はエルヴィラの再従妹で、視察旅行と称して、このルビエール辺境伯領に二ヶ月ほど滞在しているのだ。

 そんな二人の大絶叫に、部屋の端で待機していた侍女サーシャは、顔面蒼白で駆け寄ってくる。

「お嬢様方、いかがなさいましたか!?」
「な、なんでもないのよ!」
「エリーちゃん、なんでもないの?」
「ないのよ!」
「エルヴィラ様、本当ですか?」
「本当なのよ!!」

 高貴なる辺境伯の孫娘エルヴィラは、ふわふわの金髪を揺らしながら必死に言い張っているが、その碧い瞳はきょどきょどと、動揺も露わにせわしなく動いている。
 ピンクブロンドの髪が自慢の若き侍女サーシャが、目を泳がせながら言い訳をするエルヴィラをうろんな目で見つめていると、エルヴィラは観念したように肩を落とした。

「ちょっとね。考えごとをしていて……エリーは最近、変なのよ」

 それとなく顔をそらすエルヴィラに、再従妹リーディアは首をかしげた。

「おかしいの?」
「うん。……ディエゴのことばっかり考えちゃうのよ」

 エルヴィラはなんとかそれを口にしたものの、だんだん心臓がどきどきしてきて、なんだか顔が熱くなってしまう。
 妙に恥ずかしくて、頬に両手を当てながら上目遣いで銀色天使を見ると、天使は不思議そうに首をかしげていた。

「ディエゴばっかり?」
「そうなのよ」
「リーはここに来てから、毎日エリーちゃんのことばっかり考えてるよ?」
「!?」
「でも全然おかしくないの」

 ハッとして目を見開くエルヴィラに、リーディアは頷く。

 なるほど、いつも誰かのことを考えてしまったとしても、それは全然おかしくないのかもしれない。
 天使が言うのだから、間違いない!

 背後でピンク髪の侍女が「それは違うんです、お嬢様……!!」と慌てているが、エルヴィラの視界はもちもちほっぺの可愛い天使でいっぱいなので、それに気がつくことはない。

「あのね、それでね。ディエゴに何かしてあげたいのよ」
「そうなの?」
「そうなのよ。何か、いい案はあるかしら」
「あるよ」
「あるの!?」
「うん。リーに任せて欲しいの!」

 頼りになる再従妹天使の笑顔に、エルヴィラは心の底からの笑顔で頷いた。


****

「俺は子守りに呼ばれたのか?」

 ルビエール辺境伯邸の子ども部屋の中心に居るのは、真っ赤な衣裳が眩しい、タラバンテ族の外交官、タシオ=テオス=タラバンテだ。黒髪に緋色の瞳をした美丈夫は、呆れたようなそぶりで肩をすくめる。
 その周りを取り囲むのは、エルヴィラにリーディア、それから彼女達の母であるマリアとナタリーだ。
 タシオの冷めた反応に、エルヴィラは不安を隠さずにリーディアを見ると、銀色天使は自身に満ち溢れた笑顔を見せた。

「ディエゴが何をしたら喜ぶのか、タシオおじちゃんなら知ってるはずなの!」
「お兄ちゃんな」
「タシオお兄ちゃんが、一番知ってるはずなの!」

 キラッキラの紫色の瞳を向けられ、タシオはその純真無垢な光にうっと怯む。
 その光景に笑いをこらえながら、マリアは可愛い義娘の質問を補足した。

「贈りものをしたらどうかと思うのよ。タラバンテ族に、恋人同士で贈り合うものがあったじゃない? でも、なんだったのか思い出せなくて」
「頬にキスの一つでもすればいいだろうに」
「なんてことを言うの!」
「まだ早すぎます」

 絶対零度の声音に、その場の全員が、びくりと固まった。
 声の主は当然ながら、エルヴィラの母ナタリーである。顔に笑顔が張り付いているけれども、笑っていない。背中に修羅を背負っている。
 あわわわ、と青ざめるエルヴィラとリーディアを横目に、タシオは咳ばらいをした。

「ええと、束守(つかまも)りのことだと思うが……まああれなら、ディエゴも喜ぶだろうよ」

 タラバンテ族の男達は正装時、腰に短剣を佩いている。短剣といっても、本物のではなく、いわゆる飾り刀だ。その短剣の束に着ける飾りを『束守り』と呼ぶらしい。
 基本的には生家の女性陣が編んだものを身に着けることとされているが、生家の外の女性――恋人や婚約者、妻が紐で編んだものは、特別な守りの力があると言われている。
 なので、女性が男性に束守りを贈ると言うのは、それ相応の意味を持つのだという。

「紐の色にも意味を持たせる者もいるな。相手の好きな色を入れたり、自分の瞳の色を入れたり」
「そうなの? ディエゴ君の好きな色って何かしら。エルヴィラちゃん、知ってる?」
「……知らない」

 マリアの言葉に、エルヴィラは肩を落とす。

 エルヴィラはディエゴの好きな色を知らない。それどころか、どんな食べ物が好きで、何が趣味で、どうしていつもエルヴィラのところに来てくれるのかも知らない。
 エルヴィラはディエゴと、彼自身のことについて話しをしたことがほとんどないことに気が付いた。

「エリーちゃん。リーはディエゴの好きな色、知ってるよ」
「えっ」
「エリーちゃんの瞳の色だって。とってもきれいな水色。だからいつも、ディエゴはエリーちゃんと会うとき、水色の衣装を着てるんだって言ってたもん」
「!?」

 真っ赤な顔で固まったエルヴィラに、銀色天使はニコニコ満面の笑みを浮かべている。
 その背後で、タシオは「紐の色は決まったな」と笑い、マリアは「うちの娘、天使(キューピット)力が高すぎる……」と呟いていた。


****

 それから五日後の昼下がりのこと。
 エルヴィラはディエゴを、ルビエール辺境伯邸の子ども部屋に呼び出していた。

「こんにちは、エルヴィラ。呼んでくれるなんて珍しいね。何かあったのかい?」

 ニコニコ笑っているディエゴを見て、エルヴィラは動けなかった。

 ディエゴは柔和にほほ笑んでくれているし、後ろには母ナタリーが控えていて、背中に隠してはいるものの、自分の手にはラッピングを施した束守りがある。
 ためらう要素は何もないはずだ。
 なのに、なんだか恥ずかしくて動くことができない。

「エルヴィラ?」
「……あ、あげるのよ!」

 顔を覗き込まれて、心臓が爆発しそうになったエルヴィラは、勢いよく手元の袋をディエゴに押し付け、母ナタリーの後ろに隠れる。

 ディエゴは目を丸くした後、「僕にくれるの? あけていい?」と言いながら、袋の中身を手に取り、そして言葉もない様子で固まった。ディエゴが長く言葉を発しないので、エルヴィラがそろそろとナタリーの陰から顔をだすと、ディエゴは宝物を手にしたかのように、束守りに魅入られている。

「これ、エルヴィラが作ったの?」
「……そ、そうなのよ。あんまり、上手にできなくて」
「上手だよ! とても綺麗にできてる。いや、でも、それだけじゃなくて……えっと、なんて言ったらいいんだろう……」

 ディエゴはエルヴィラの近くで膝をつき、彼女を目線を合わせてきた。

「僕のために、作ってくれたの?」

 期待に満ちたその声音に、エルヴィラがつい素直に頷くと、ディエゴは思わずといった様子で、「すごい」と呟いた。

「うわあ、すごい。すごい……すごく嬉しいよ。エルヴィラ、ありがとう」

 エルヴィラは、ディエゴから目が離せなかった。

 十歳のディエゴは六歳のエルヴィラに対して、初対面のときを除き、年上の男の人らしくふるまってきた。
 でも、今日の彼は、なんだかいつもと違う気がする。
 顔は上気しているし、なんだか動揺しているような、彼がいつもエルヴィラのために被っている仮面が、はがれたような。

 どうやら、ディエゴはエルヴィラが想像していたよりもずっと喜んでくれているらしい。

 エルヴィラは胸がぽかぽかして、ドキドキして、しかたがなかった。
 作ってよかったとか、大変だったとか、そんなことは頭によぎらなくて、ただ、ディエゴが喜んでくれることが、こんなにも嬉しい。

「ディエゴ」

 振り向いてくれたディエゴに、エルヴィラは近づき、その頬にそっとキスをした。
 それは、エルヴィラがそうしたいと思ってしたことで、後から『頬にキスでもすればいい』という助言をもらったことを思い出して、思わず笑いがこぼれる。

「エルヴィラ!?」
「喜んでくれて、ありがとうなのよ」

 真っ赤になったディエゴに、エルヴィラは心の底からの笑みを浮かべた。
 そのあまりにも大人びた微笑みに、ディエゴは震えながら、「女の子って、すごい……」と呟いた。


****

 エルヴィラはディエゴに贈り物をした後、多少満足したのか、胸のドキドキが少し収まりほっとしていた。
 一方、ディエゴはそれから暫くの間、落ち着かない様子で、エルヴィラのことばかり考えていた。

 そして、外交官タシオはこのとき以降、エルヴィラの母ナタリーから冷たい目で見られるようになったのだという。

TOPへ