書き下ろしSS

狼への転生、魔王の副官 16 黒狼卿が望んだ未来

黒狼卿は永遠に

※ぜひ16巻の「エピローグ」後にお読みください

 事情を知った私は、さっきからパーカー・パスティエ教授に謝り通しだった。
「申し訳ありません、まさか貴方がパスティエ教授だったなんて思わなくて……」
「仕方ないよ。幻術で作った僕の顔は若すぎるからね。これが没年の顔だから、これ以降の顔はないんだけど」
「なんか本当にすみません!」
「ははは、いいんだ。それよりもせっかくリューンハイトに来たんだから、本もいいけど少し散策をしよう。なんといっても歴史の都だからね」
 パスティエ教授は楽しそうだ。
 私は歴史ある新市街の町並みをきょろきょろ見回す。
「黒狼卿通りに黒狼卿橋、黒狼卿資料館、国立黒狼卿劇場……本当にどっちを向いても黒狼卿だらけですね。アイリア通りとフリーデ通りとオティリエ通りが並んでるし」
「はは、そうだろう? 彼と家族の功績が大きすぎるんだ」
 どこか誇らしげにうなずき、パスティエ教授は私に語りかける。
「アイリアは人間として初めて魔王になった人物だし、フリーデとオティリエがいなければヴァイトの本当の志は後世に伝わらなかっただろう。想いを受け継ぐ人がいなければ、そこで途絶えてしまうんだ」
 楽しげな口調でずっとしゃべりっぱなしのパスティエ教授は、リューンハイトの大通りを歩いていく。魔動車が行き交う賑やかな通りだ。
「そうそう、魔動車の交通法規もヴァイトが考えてくれたんだよ」
「魔動車ってこの百年ぐらいの発明ですよね? 彼の時代にはまだ影も形もありませんよ」
 さすがに私は眉をひそめたが、パスティエ教授は真顔で言う。
「彼はこの乗り物の出現を予言していてね。横断歩道や交通信号なんかは全部彼の発案だよ。おかげで他国と比べて黎明期の事故が非常に少なかったんだ。当時の統計を見ればわかるよ」
 まだ発明されてもいない乗り物がどんな事故を起こすのか、わかるものなの……? さすがにそれは無理がある。
 しかしパスティエ教授はニヤリと笑う。
「彼に興味が出てきただろう? 実は彼には秘密があるんだ」
「秘密、ですか?」
「うん。僕も知ったのはだいぶ後になってからだけどね。びっくりして顎が外れるかと思った。でも顎の骨はいつ」
 要点を知りたい私は食いつく。
「どんな秘密なんでしょうか、先生?」
 顎に手を添えて何かしようとしていた教授が、その場で固まる。
「えと顎……。いや秘密は秘密だから……」
 なんなんだこの人。教えてくれないの? 私はちょっと拗ねてしまう。
「教授なのに教えてくれないのは良くないと思います」
「うーん、教えられることなら何でも教えてあげるけど、ここから先はまだ国家機密だからね。今話した分だけでも、後でメレーネ君に怒られるかもしれないし」
 メレーネって、吸血鬼の女王メレーネ? 全ての吸血鬼の真祖とされる、あのメレーネ?
 その気になれば一国を掌握できるほどの影響力を持ちながらも、権力に何の興味もないから大魔王と変な研究ばかりしているという、あのメレーネ?
「君、失礼な感想が顔からだだ漏れになっているよ。言いたいことはわかるけどね。せめて彼女も学部長ぐらいやって欲しいんだけど……」
 パスティエ教授は頭を掻いて、それからこう言った。
「僕たちは歴史の生き証人だ。全てではないが、歴史に埋もれてしまった真実をいろいろ知っている。だがそれをいつ掘り起こすか、いつも悩んでいるんだよ。この件も今、大魔王陛下と協議中なんだ」
 それを聞いて、私は彼の経歴の疑問点を思い出す。
「教授が魔力学や死霊学ではなく歴史学の研究者になられたのは、後世への影響を考慮されたからですか?」
「まあそうだね。ヴァイトの活躍を見ているうちに、そうなるだろうと思ったんだよ。彼は自分の功績を隠したがったし、隠しておいた方がいい功績も実際にあったから」
 そう言って笑ってみせた教授だったけど、スッと笑みが消える。
「それでも、彼が誤解されたままなのだけは我慢ならなかった」
 軽薄なぐらいに明るい教授の口から、あんなに昏い声が出せるとは思わなかった。いったいどれほどの闇を煮詰めたら、こんなゾッとする声が出せるのだろう。
 でも教授はすぐに、パッと笑顔に戻る。
「まあ僕はヴァイトの実質的な兄だからね。弟の自慢がしたくて仕方がないだけさ」
「は……はい」
 怖かった。この教授には絶対逆らわないようにしよう……。
 パスティエ教授は旧市街へと歩いていく。旧市街に入った瞬間、魔動車の数が急に減った気がする。
「気づいたかい? 旧市街はヴァイトが来る前に作られた部分で、大通りでも荷車がすれ違える程度の幅しかなかったんだ。魔動車だと二車線を確保するのは難しいから、こっちは魔動車はほとんど通れない」
「でも新市街も名前の割には古くて、三百年ほど前に作られたものでしょう? だとしたら……」
 そう言いかけて、私は気づく。
 新市街はヴァイトの時代に魔王軍主導で作られた。そしてヴァイトは魔王の副官だ。
 パスティエ教授が嬉しそうな顔をする。
「新市街の主要な道路は全て、魔動車が対面通行できる幅と強度が確保されている。魔動車なんてなかった時代なのに、なぜだろうね?」
「まさか……そんな!?」
 私は新市街の方を振り返り、唖然とした。
 なんとなく「新市街の方が活気があるなあ」ぐらいにしか思っていなかったのに、歴史の新たな断面を見せつけられた気分だ。
「ま、魔族の通行のためとかでは?」
「巨人族は確かに大きいけど、旧市街の道路幅でも困らないよ。ほら、みんな普通に歩いてるだろう?」
「確かに」
 巨人族の郵便屋さんが大きな鞄を肩に掛けて鼻歌交じりに歩いている。巨人といっても人間の倍ぐらいだから、特に困っている様子はない。
「じゃあ本当に……?」
「結論を下すのは君自身さ。この街にはまだまだ秘密があるんだ。気づいている人はほとんどいない。でも君は見込みがありそうだ。会うのを楽しみにしていたんだよ」
 とても楽しそうにパスティエ教授は言って、私に恭しく一礼してみせた。
「では改めてようこそ、歴史の都リューンハイトへ。及ばずながら僕が案内しよう。きっと心躍る探訪になるよ」
 これが私と先生との長い長い付き合いの始まりだった。

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