書き下ろしSS
暗黒竜のちびっこ後継者はのんびりいきたい ~闇魔法のおかげで仲間と楽しいスローライフをおくってます~
暗黒竜、闇魔法で塩を作る
暗黒竜を継承して、少し経ったころ。
僕はお付きの魔狼族・ヴォルグと、眷属のスライム・ネルネルを連れて、はるばる海へとやってきた。
「すごい……! 本当に海があった!」
目の前に広がるのは、どこまでも見渡せる大海原だ。
青と白のコントラストが、はるか彼方の水平線まで続いていて、ときおり魚が跳ねる。
大きな波が白い砂浜に寄せては返し、ざざーんざざーんと心地よい音を響かせる。
前世で住んでいた場所は内陸部だったし、旅行なんか一度もできなかった。だから、僕はこのとき初めて海を見た。
「ちょっとだけ入ってみようかな。それっ!」
早速靴を脱いで砂浜へと踏み入った。
白い砂は粒が細かくて、踏むとふんわり柔らかい。
足跡がいくつも刻まれるけど……そのすべてを、波が押し寄せて綺麗さっぱり消してしまった。波は僕の足をさっと撫でて、また海へと帰っていく。
ひんやり冷たい波の感触と、太陽のまぶしさと、足元を歩くカニたち。
なんということのないそれらすべてが、僕にとっては衝撃的だった。
「海、たのしい……!」
「それはようございました」
大はしゃぎする僕を見守りながら、ヴォルグはにこやかに言う。
「坊ちゃまにそこまでお喜びいただけるとは。お連れした甲斐がありましたな」
「ありがとね、ヴォルグ。道案内がなかったら迷ってたところだよ!」
暗黒竜の神殿からこの海岸までは小一時間程度だった。
だけど海まで続く道は完全な獣道で、急な斜面も多かった。
僕だけでは絶対に辿り着けなかったことだろう。
ネルネルもほうっと感慨深げに息を吐く。
「こんなに大きい湖、ぼくも初めて見たよ」
「違うよ、ネルネル。これは湖じゃなくて海っていうんだよ」
「海? 湖とどう違うの?」
「そうだねえ。大きさも違うし……あっ、ちょっと舐めてみれば分かるかもよ」
「ええー。それじゃちょっとだけ……しょっぱい! なにこれ!?」
少しだけ海水に体を浸したあと、ネルネルは飛び上がって驚いた。
「あはは、ビックリさせてごめんね。でも、これが海なんだよ」
「分かった、しっかり覚えておくよ……もう二度と食べないようにね」
ネルネルは真剣な様子でうなずいて、噛みしめるように言う。
「石とか木でも食べちゃうネルネルがそこまで言うほど……? 僕もちょっと舐めてみようかな」
「ええー……美味しくないからやめときなよぉ」
ネルネルからやんわりと止められた。珍しい。
それでも僕は人差し指を海面に漬けて、ちょっとだけ舐めてみる。
すると頭が痺れるくらいの塩気が口いっぱいに広がった。喉も一気に渇いてしまう。
だけど僕はにんまり笑顔を浮かべるのだ。
「よかった。こっちの世界の海も、ちゃんと塩辛いんだね」
「なにがよかったの……?」
ネルネルは完全に引き気味だった。
どうやらさっきの一口で、完全に海への苦手意識が形成されてしまったらしい。
そんななか、ヴォルグが小首をかしげながら問うてくる。
「ところで坊ちゃま。なぜ急に海へ行きたいなどとおっしゃったのですか? 泳ぐのでしたら、川や湖が神殿の近くにございましょうに」
「今日の目的は別だよ。泳ぐのも魅力的だけどね」
「ここで泳ぐの……? レイン、それ本気で言ってる?」
「むしろ泳がない手はないよ。青い海に、白い砂浜……おまけに貸し切りなんだもん!」
僕はあたりを見回す。
広大な砂浜には、僕ら以外に海鳥一匹たりとも存在しない。
いるのはカニとか、足が多めの不気味な虫くらいだ。
大海原も、船が通る様子もなくて静かなものだ。
「誰もいなくて当然です。ここは暗黒竜神殿にほど近く、魔物も船も寄りつきません」
「おまけにすっごい崖にはさまれてるもんねえ。ふつうは来られないよ」
「ほんと理想の穴場ビーチだよ。夏になったらみんなで泳ぎに来ようね!」
「ええー……ぼくはお留守番でいいかも」
「わたくしも濡れるのはちょっと……」
基本イエスマンのふたりだが、さっと顔を背けてしまった。
(……夏までに、一緒に海水浴ができる友達を作らなきゃな)
そんなことを決意しつつ、僕はぐっと拳を握る。
海水浴計画はまた今度だ。今日はもっと大事な野望がある。
「今日の目的はね、ずばり塩を作ることなんだ!」
「塩……といいますと、あのしょっぱい粉ですかな」
ヴォルグが怪訝そうに顔をしかめる。
「大昔、レヴニル様への供物の中にありました。たしか海水を煮詰めて作るとかなんとか」
「うげーっ、そんなのなんでほしいのさ」
「ちゃんと用量を守って使えば美味しい料理が作れるんだよ」
先日、僕はひょんなことから大きな魔物を倒して大量の肉をゲットした。
何も掛けずに焼いても美味しかったけど……塩があればもっと美味しくなる。
ほかにもスープの味を調えたり、保存食を作ったりにも使える。
これからいろんな料理を作っていくにあたって、是が非でも手に入れておきたい代物だ。
「そういうわけでネルネル。ちょっとお願いがあるんだけど」
「嫌な予感……なあに?」
「ここの海水を可能な限り飲み込んで、神殿まで運んでもらえない?」
「ええー!? またあのしょっぱいのを飲まなきゃなの!? しかもたくさん!?」
ネルネルは大声を上げて飛び上がり、そっぽを向いてぼやく。
「別に死ぬわけじゃないけど、とにかく美味しくないんだよねえ……」
「頼むよ! まだ残ってるお肉の美味しいところを優先して焼いてあげるから!」
「もう、仕方ないなあ……たくさん食べさせてくれなきゃ怒るからね」
「もちろんだよ! ありがとう、ネルネル! きみは最高の親友だよ!」
「ネルネルも坊ちゃまには激甘ですなあ」
こうして僕は大量の海水を手に入れた。
海水を蓄えて巨大化したネルネルを暗黒竜神殿まで運べば、塩作りは次の段階へと移行する。
「さてと……影よ、出でよ!」
そう唱えると、影が地面から浮き上がって大きな手のような形を成す。
先代暗黒竜・レヴニルから、僕はいくつもの闇魔法を受け継いでいた。
そのうちのひとつ、自身の影を自在に操る影操魔法だ。
僕はその影をにょーんと引き延ばし、二股に分けてそれぞれ形を整える。
そうして出来上がったのは、片手鍋と黒い布だ。
あらかじめ作っておいた小型の竈に鍋をセットして、その上に布をかける。
「よーし、ネルネル。この鍋に海水を入れてくれる?」
「はいはーい。よいしょーっと」
巨大なネルネルがぴゅーっと海水を吐き出す。
影の布で細かなゴミが濾されて、綺麗な海水だけが鍋を満たした。
その出来映えを確認して、僕は感嘆する。
「ほんと闇魔法って便利だなあ。怖がる人がいるなんて信じられないよ!」
「誰もこのような使い方は想定しておりませんので……」
ヴォルグが遠い目をしてぽつりとツッコミを入れた。
それを聞き流して僕は後方へと呼びかける。
「それじゃ次は火ネズミくん、出番だよ!」
「チュチュー!」
すると可愛い鳴き声とともに、控えていた火ネズミくんが飛んできた。
先日、大きな魔物に襲われていたところを助けた子だ。
「チューッ!」
火ネズミくんが炎の息を吐くと、竈の薪がパチパチと音を立てて燃えはじめる。
次第に鍋がぐつぐつ煮えてきた。
あとは火が消えないように見張りつつ、鍋をかき混ぜるだけだ。
「これでよし。このまま煮詰めていけば塩ができるはずだよ」
「うーむ、なかなか気長な作業になりますなあ」
「まあ、たしかにねえ……」
考えないようにはしていたが、時間がかかるのは確実だろう。
ネルネルの中にはまだ、この大鍋十杯分くらいの海水が蓄えられているからだ。
「全部塩にするまで、何日かかるかなあ」
「チュチュイ!?」
火ネズミくんが『えっ!? 俺ってそんなに働かされるんすか!?』という顔で振り返った。
ヴォルグやネルネルは、諦観からか遠い目をしている。
(むう……なにかいい手はないかなあ)
影操魔法以外にも、僕はいくつかの魔法が使えた。
それらをどうにか駆使して塩作りをショートカットできないだろうか。
活路を探るべく、僕は情報を集めようとする。
「こっちの海水って、塩分濃度はどれくらいなんだろ」
「はて、塩分濃度とは?」
「その液体の中に、どれだけ塩が含まれているかって数値だよ。地球の海はたしか三パーセントだったかな」
場所によって増減するはずだけど、だいたいそのくらいだったはず。
「うーん、物は試しだ。《鑑定》!」
鑑定魔法を使えば、海水のステータスが文字と数字となって浮かび上がる。
含まれる成分だったり、塩分濃度だったり。
それによると、こっちの世界の海水も、塩分濃度は地球と同じ三パーセントくらいらしい。
そんな数字をじーっと見つめるうちに、僕の中で好奇心がムクムクと湧き上がった。
(この数字を弄ったらどうなるんだろう?)
僕が習得済みの魔法のなかに、能力向上魔法というものが存在する。
対象物の特定パラメーターを増幅する魔法だ。
試しにその魔法を目の前の海水に使うことにする。
弄るパラメーターはもちろん決まっていた。
「塩分濃度よ、限界まで上がれ!」
するとみるみるうちに塩分濃度が上がっていく。
海水の見た目には、まだなんの変化もないけれど――。
(塩ってどのくらい水に溶けるんだろ。まあさすがに五十パーセントとかはいかな……あっさり越えたな?)
次第に海水の中にはなにかキラキラ光るものが見えはじめる。
それにともなって水分が減っていき……とうとう後には真っ白な結晶だけが残された。
表示される塩分濃度は百パーセント。
恐る恐るその結晶を摘まんでみると、小粒で非常にサラサラしていた。
舐めてみると恐ろしくしょっぱい。間違いなく、塩だ。
僕はガッツポーズとともに快哉を叫ぶ。
「やった! 簡単に塩ができた!」
「なるほど、魔法で水分を飛ばしたのですね。さすがは坊ちゃま」
「それじゃあ火ネズミくんのお手伝いはもういらないね。おつかれさま」
「チュー!」
火ネズミくんはあからさまホッとしたようにひと声鳴いた。
こうして僕は塩という超重要アイテムを手に入れたのだった。
◇
それから僕は料理に取り組んだ。
とはいえ肉を焼いて、水で野菜を煮ただけだ。料理というにはシンプルすぎる。
だけど今日は文字通りひと味違っていた。塩を使ったからだ。
すっかり日が暮れたころ、ようやく料理ができあがった。
こんがり焼いた串焼き肉をネルネルへと差し出す。蓄えてくれていた海水はすべて魔法で塩へと変えたので、すっかりもとのクッションサイズだ。
「はいどうぞ、ネルネル。お肉だよ」
「おいしそー! いただきまーす!」
ネルネルはそのまま肉に飛びついて、あっという間に消化してしまう。
そうしてビクンと震えて大きな声で叫んだ。
「っ、いつもよりおいしい……! なんで!?」
「ふふふ、それはね。塩を振ったからだよ!」
塩の役目は味付けだけじゃない。
余分な水分を出させたり、旨味を引き出したりする。
そんなふうに説明すると、ネルネルは感心したようにぷるぷる震えた。
「へえー。海ってすごいんだねえ。見直しちゃった」
「でしょ? 海水浴にも行く?」
「……それは考えとく」
そんな話をしてから、僕も串へとかぶりつく。
こんがりジューシーな脂が口いっぱいに広がって、それをほのかな塩気が引き立てる。
塩がなかったときに比べ、格段に美味しいお肉に変化していた。
「おいしい! やっぱりお肉には塩だよねえ」
「ううむ……わたくしは塩抜きの方が、肉の味が強くて好みですが」
ヴォルグが一口食べたあと、申し訳なさそうにかぶりを振る。
そこへ僕はさっとスープを盛った器を差し出した。
「じゃあこっちのスープはどう? ちょっとだけ塩を足したんだ」
「ふむふむ、どれどれ……ほう! これは美味い! 野菜の甘みが引き立ちますな!」
「ぼくもぼくもー!」
ヴォルグやネルネル、ほかの魔狼族たちも料理に飛びつく。
顔なじみの魔物たちもやってきて、みんな幸せそうな顔で肉を頬張り、スープを啜る。
おかげで暗黒竜神殿の前は、ちょっとしたお祭り状態だ。
僕はそんな光景を眺めながら、ゆっくりとスープを味わった。
仲間たちと美味しいご飯を食べる。
それに勝る幸せは、きっとこの世にないだろう。
「さーて。明日は何をしようかなあ」
沈みゆく夕陽を眺めながら、僕はほうっと吐息をこぼした。







