書き下ろしSS

がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件 6

古城の幽霊騒ぎ

「古城の様子を見に行ってほしいの」
 王妃様に呼び出された私とアイーダはその言葉を聞いてぽかんとした。
 侍女も護衛騎士も退出した王妃様の私的な応接室。私たちの目の前のテーブルの上には湯気の上がる紅茶とオレンジのタルトが品よく並んでいる。
 先に返事をしたのはアイーダだった。
「古城とは、王都の西側にある……あの」
「そう、あの古ぅーい城のことよ」
 王妃様はそう言うと、額に手をかざして西の方角に視線を向けた。つられて私とアイーダもそちらを見やる。ここからは当然だけど古城は見えるはずがなく、澄んだ空に白い雲が高くぷかぷか浮いているだけだった。
「数代前の国王夫妻が退位された後にお住まいになっていた城なのです。お二人がお亡くなりになってからしばらくの間は夜会などに使われていたのだけれど、城の老朽化が進んでしまって人の出入りは控えているの。昔ながらの様式で建てられた美しい城だから、そう簡単に取り壊すこともできなくて」
 そう言って悩まし気なため息をついた王妃様は、くるりとこちらに向かって振り返った。嫌な予感がする。
「古城の管理は代々、王妃の仕事なの。そろそろ古城の様子を見に行く時期が来てしまったのよ。それで、申し訳ないのだけれど、ミミちゃんたちにお任せしたいんだけどいいかしら」
「えっ」
「私たちにですか?」
「ええ。わたくし、あの古城にはあまり近寄りたくないのです。なぜかと言うと……」
 王妃様はそう言うと、ゆっくりと扇を広げて口元を隠した。
「あの城、出るのです」
 王妃様の言葉にアイーダがぱちぱちと瞬き、きゅっときつく口を閉じた。
「出るって、何がですか?」
 私が尋ねると、王妃様は口元を隠したまま目線だけできょろきょろと周りを確認した。
「出ると言ったら、そりゃあ……幽霊です」
「ゆうれっ……!」
 叫び出しそうになった私の口をアイーダがさっと手でおさえた。王妃様が扇を閉じ、椅子の背もたれに身を預ける。
「わたくし、そういうの、とっっっても苦手なのよ」
「王妃様は幽霊を実際にご覧になったのですか?」
「いいえ。見たことはないわ。でもね、誰もいないはずの王城に夜な夜な火の玉が揺らめいているとか、女性とも子供ともしれない悲鳴が聞こえるとか。そういった噂が絶えないのです」
 王妃様はそう言うと、両腕をさすって身をすくめた。私とアイーダは思わず顔を見合わせてしまう。
「この噂は他言無用ですよ。実際に管理している王族がそんなことを口にしたら信ぴょう性が増してしまいますからね。ミミちゃんは次期王妃になるのですから、今後はわたくしの代理としてあの城を管理してほしいの」
「ええ……私も幽霊とかそういうのはちょっと苦手かも……」
「あら、じゃあ今から慣れておくといいわ。決まりね。でも、一人じゃ心細いでしょう。だからアイーダちゃんも一緒に行ってあげてちょうだい。元気で明るい二人が行けば幽霊だって引っ込んじゃうわよ、きっと」
 幽霊かあ。会ったことがないからどうしたらいいのか分からないけれど、危険なことがあったら私がアイーダを守らなきゃ。
「分かりました! 王妃様の代理として精一杯務めさせていただきます!」
 私の大声にめずらしくアイーダが青ざめたまま瞬きを繰り返している。
「そう、引き受けてくれるのね。良かったわ。お願いね」
 王妃様はそう言うと、ほっとした様子でタルトにフォークを入れた。


 古城に到着すると、すでにアイーダが正面玄関前で待っていた。
「遅れてごめんなさい、アイーダ」
「ううん。私が早く到着してしまったの。心配で何だかよく眠れなくて」
 アイーダは頬に手をあててうつむいた。確かに顔色は少しだけ悪いように見える。私はそっとアイーダの細い肩に手を置いた。
「大丈夫よ。どんなことがあっても私がアイーダを守るから」
「そうね。ありがとう、ミミ」
 そう言ったアイーダはいつもの優しい笑みを浮かべていた。
 私たちははぐれないように手をつないで古城に踏み入った。
 灯りのともされていない城内は、淡い日光が窓から射しているだけで薄暗かった。石造りの壁は大きなヒビが走っているし、床には天井や壁から落ちてきた欠片が転がっていて歩きにくかった。人の出入りがないせいかあまり埃が立ってはいなくて、息苦しくないのだけは幸いだった。
「汚れてもいいように古いドレスを着てきてよかったわ」
 アイーダがドレスの袖を手首まで引っ張って言った。きっちりと首の上まで襟のある長袖のドレスは肌がほとんど出ないような作りだった。いつもに比べたら地味だけれど、品が良くてアイーダによく似合っていた。
「ああ、見たことのないドレスだと思った。でも、その靴はちょっと」
 私はちらりとアイーダの足元に視線を落とした。彼女はピカピカのハイヒールを履いている。
「まあ、本当だわ。足元まで気が回らなかったわ。でも、私はミミみたいな靴は持っていないの」
「そうよね。アイーダは走ったり蹴ったりしないものね。私は動きやすいワンピースにしたけれど、これほど荒れた城ならいっそのことアンノヴァッツィ家の制服を着て来れば良かった」
 私は空いている方の手でスカートを持ち上げた。私はかかとの低いショートブーツを履いている。
「そうしたら、私もアイーダ姫を守る護衛の一人みたいに見えちゃうわね。あはは」
 ね? と後ろを振り向いたら、さっきまでいたはずの護衛たちが誰もいなくなっていた。
「え? あれ? 皆どこに行ったのかしら」
「そんな、いつのまに……!」
 アイーダが怯えた様子で私にしがみついた。
 周りを窺ってみても、人のいる気配がない。どこかでネズミの走る音が聞こえたけれど、それも遠ざかって消えていってしまった。
「ねえ、ミミ。幽霊が出るって、本当なのかしら」
「……王妃様の話によると、出るのはこの城の主だった王様とお妃様の幽霊らしいわ」
「二人も!?」
 私とアイーダは抱き合って震えた。
 これって城に閉じ込められて出られなくなっちゃうやつじゃないかしら。
 私の心の声が聞こえてしまったのかもしれない。アイーダが両手で顔を覆ってしまった。
「お城の手入れがされていないことに怒って化けて出ているのかしら。きれいに掃除したら出られるかも」
 私がそう言うと、アイーダが指の間からちらりとこちらを見た。
 二人で寄り添って少しずつ前に進む。一歩進むごとにアイーダのヒールの音が廊下に響いた。
 手を触れると壁はひやりと冷たく、あちこちに散らばっている石の欠片がブーツのつま先にこつんとあたって転がってゆく。薄ぼんやりとした灯りを頼りに奥へ奥へと向かった。
「この廊下はどこまで続くのかしら。幽霊が襲ってきたらどうしましょう。ミミのパンチやキックが通用するといいのだけれど」
 困り果てて小さなため息をこぼすアイーダの手をぎゅっと握り返して私は言った。
「私はそんなことしないわよ、アイーダ」
「え?」
「昔の王様とお妃様ってことはレナートのご先祖様ってことでしょう。だったら、仲良くなりたいもの。……幽霊であっても」
 呆けたような顔をして私をじっと見つめていたアイーダが、ハッとした後くすくすと笑い始める。
「やだ、ミミったら。そうね、それがいいわ。私も仲良くなれるかしら」
「なれるわよ! だって、プラチド殿下のご先祖様でもあるんだから」
 レナートのご先祖様が悪い人なわけないもの。だから、きっと私たちは仲良くなれるはずだわ。
 私たちは顔を寄せ合って笑った。
 そうして、再び歩き始めた頃だった。
 廊下に私たちとは違う足音が響き始め、私はアイーダを背にかばって辺りを警戒した。
「アイーダ! ミミちゃん!」
 聞こえてきたのはプラチドの声だった。
「殿下! ここです!」
 すぐさまアイーダが返事をする。その声に気付いたプラチドが息を切らして駆け込んで来た。
「良かったあ、ここにいたんだね。護衛たちが二人を見失ったって言うからあわてて探していたんだ」
 アイーダがプラチドの背中を優しくさすっている。やっと呼吸の整ったプラチドがその手を取り、二人は見つめ合った。その様子がとても自然で、私はちょっとだけ妬けてしまった。
 プラチドもまた、アイーダと同じようにしっかりとクラバットを巻いて首元を隠し、厚地で長袖のジャケットを着ている。最初からついてきてくれるつもりで準備して来てくれたんだわ。
 と、いうことは。
 私がこっそりと目だけで左右を確認していると、プラチドが首を傾げた。
「ミミちゃん。その様子だと兄上にはまだ会えてないんだね」
「えっ、やっぱりレナートも来てくれてるのね」
「うん。一緒に来たんだけど、二手に分かれて探していたから。どこかにいるはず……」
 ガシャーン、ガラガラ。
 プラチドが話している途中で、遠くで壁が崩れる音が響いた。
「レナート!?」
 私はとっさに音がした方向へ走り出した。
「ミミちゃん! 一人じゃ危ないよ!」
「アイーダはヒールでしょう。二人は後からゆっくり追いかけて来て!」
 私はそう叫んで、アイーダとプラチドを置いて必死に走った。

 大きながれきに足を取られつつ、しばらく進むと、急に視界が明るくなった。
 廊下には等間隔で灯りがともされていて、さっきまでひびだらけだった壁はきちんと補修され床もきれいに掃除されている。
 急に変わった目の前の風景に戸惑っていたら、背後に気配がして私はあわてて振り向いた。
「ミミ、こんなところにいたのね」
「アイーダ!?」
 私の叫び声にびっくりしたのか、アイーダがぎゅっと目を瞑って耳を塞ぐ。
 目の前にいるアイーダは動きやすそうなワンピースにショートブーツを履いている。そういえば、この素敵な水玉のワンピースにもブーツにも見覚えがあった。
 アイーダは可愛らしくぷくうと頬を脹らませると眉を吊り上げた。
「もう、玄関前で待ち合わせって言ったでしょう。どうして一人で勝手に中に入ってしまったの」
 そう叱られ、私は息を呑んだ。
「え? 玄関前からずっと一緒にいたじゃない。それで、さっきプラチド殿下が迎えに来て。私はレナートを探してここに」
「え?」
「え?」
 私たちは瞬きを忘れてしばらくの間、見つめ合った。
「私は……玄関前で馬車を降りたら、ちょうどミミが一人で城の中に入って行くのが見えて……。護衛の方たちと一緒に追いかけたのだけど、いつの間にか護衛の方たちとはぐれてしまって困っていたのよ。ミミが私を呼ぶ声が聞こえたから、ここへ向かってきたの」
「わ、私、レレレレレナートを探していたから、ア、アイーダのなまなまなま名前は呼んでないわ。だって、だって、アイーダはプラチド殿下にあ、あ、あ、預けて……」
「落ち着いて、ミミ」
 両の頬にあてた私の手を取ったアイーダが真顔で私を見つめた。
 少しだけ冷静になった私はアイーダを見つめ返した。
 アイーダがじっと私の瞳を覗き込み、静かに口を開く。
「ミミ。私が子供の頃に部屋でこっそり食べていた大好物は?」
「バターが滴るほどたっぷりのクロワッサン」
 私の即答にアイーダが小さく頷く。今度は私がたずねた。
「じゃあ、アイーダ。私の子供の頃からの大好物は?」
「シャキシャキしたきゅうりのサンドイッチ」
「正解!」
「では。続きまして、ミミ。皆に内緒にしている私の特技は?」
「ものすごくよく飛ぶ紙飛行機を折ることができる」
「正解よ」
「アイーダ、私の内緒の特技は?」
「いたずらが見つかった犬の顔真似」
 アイーダの返答に私は深く頷いた。
「本物のアイーダだわ」
「あなたも本物のミミね」
 子供の頃から仲良しだった私たちだからこそわかる、お互いの秘密。これを知っているのなら、間違いない。安心した私たちは手をつないだまま、辺りの様子を窺った。
「ここで立ち止まっていてもしょうがないわね。行きましょう」
 私の声にアイーダが素直に頷く。返事の代わりにきゅっと握り直された温かい手が、私に前へ進む元気を与えてくれる。慎重に辺りを窺いながら、私は口を開いた。
「さっきまではがれきや石ころだらけの乱雑な城だったのに、急にきれいになって歩きやすくなったのよね」
「私もよ。薄暗くて、転びそうなほど大きな石が転がっていたのに、ミミの声が聞こえてきた途端にこんな状態になって。でも、今はこわいというより……不思議という感じね」
「そうね。どうしてか、こわい感じはしないわ。……って、あれ? 人の気配がするわ」
 廊下の奥に見えてきた扉は開かれていて、そこからわいわいと賑やかな声がする。私たちはそちらへ向かっておそるおそる近付いて行った。
「遅かったわね、二人とも」
 扉を覗き込むと、そこには赤ワインの入ったグラスを持った王妃様が立っていた。
 部屋はとても広く、中央に置かれた大きなテーブルの上にはたくさんの料理が並んでいる。食事を楽しんでいるのは、いつも王城で見かけるメイドや兵士たちだった。
 大きく口を開けたままぽかーんとしている私とアイーダの元へ、レナートとプラチドがやって来た。
「二人だけでここまで来たのか? 護衛騎士たちが迎えに行ったのだがすれ違ってしまったのかな」
 レナートがそう言って、私の隣に並ぶ。
「ねえ、これは……いったい……」
 状況が理解できずに混乱する私は、レナートを見上げてしどろもどろにそう尋ねた。
 ワイングラスをくるくると回しながら、王妃様がにやりと笑う。
「どう? びっくりしたかしら。うふふ。私も結婚したばかりの頃、王太后様に同じように騙されたのです。わたくしは一人でしたから、なかなか城の扉を開ける勇気が出なかったわ。覚悟を決めて城に踏み入り、迎えの護衛騎士に出会った瞬間には腰が抜けました」
「あの、では、幽霊は……」
 今度はアイーダが震える声でそう尋ねた。王妃様はしてやったりとばかりに声を上げて笑う。
「いやねえ、いるわけないじゃない。この城は定期的に清掃と整備をし、年に一度こうして城で働く者たちのための慰労会を行っていますが、そんな話は一度も聞いたことありませんよ」
 王妃様はそう言うと、近くのウェイターからグラスを受け取り私たちに持たせた。にっこりと微笑む王妃様は嘘をついている様子は全くない。
 あなたたちもたくさん食べて楽しみなさい、と言って王妃様は陛下の元へ戻って行った。
「どうしたの、ミミちゃん。それはワインじゃなくてオレンジジュースだから安心して飲んでいいよ」
 プラチドが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
 顔を見合わせて口ごもる私とアイーダにレナートが首を傾げる。
「何か気になることでもあるのか? まるで本当に幽霊にでも出会ったかのような顔をして」
「あはは、兄上ったら。こんな明るいうちに出る幽霊なんて聞いたことないよ」
 レナートの真面目な声にプラチドが声を上げて笑ったが、アイーダの青ざめた顔を見てぴたりと動きを止めた。
「殿下、実は———」
 アイーダと私はここまでの出来事を二人にゆっくりと話した。
「えええー! 偽物の僕とアイーダに会っただなんて……」
 さっきまで笑っていたプラチドが今度はアイーダと同じように青ざめる。
「顔も声もアイーダだったし、会話もして手もつないだのよ。プラチド殿下だってそっくりだったわ」
 私がそう言うと、レナートがふと考え込むしぐさをしてから顔を上げた。
「ふむ。とりあえず、不審者が入り込んでいないか城内を確認させよう。ライモンド」
「かしこまりました、殿下」
 いつの間に背後に立っていたライモンドが返事をした。
「うわあ! いつからそこに!?」
「最初からここにいましたが? 殿下、警備の者たちに指示してまいります。皆さんはけして会場から外に出ないように。なるべく一緒にいてください」
 ガブさーん、どこにいるんですかー。ライモンドがそう叫びながら駆けて行った。その後ろ姿を見ていたレナートがこちらに振り返り、にこりと笑う。
「しかし、話を聞く限りでは、そのアイーダ妃とプラチドらしき人物たちはミミを害そうとしていたわけではなさそうだね。もしかして、慰労会の楽しそうな声を聞いて参加したくなったのかもしれないな」
「そうね。……そうかも!」
 私は会場をゆっくりと見渡した。いつも元気に挨拶してくれるメイドたち。一緒に鍛錬したことのある兵士たち。皆、笑い合いながら食事をとっている。明るい笑い声は会場の外まで聞こえていることだろう。
「ああっ!」
 奥の壁に掛けられた絵画が目に入った私は思わず声を上げた。
「どうしたんだ、ミミ」
「あの二人! 私が会ったアイーダとプラチド殿下と同じ服を着ているわ!」
 レナート、プラチド、そしてアイーダが私が指さす方向へ一斉に振り返る。
 私たちの視線の先には、金色の髪をした男性と黒髪の女性が寄り添って品良く微笑んでいる肖像画があった。
「……あれは、この城の主だった元国王夫妻の肖像画だ」
「え、じゃあ、ミミちゃんが出会った僕とアイーダって」
 レナートとプラチドが顔をしかめる。
 元国王夫妻は、美男美女ではあるけれど、アイーダにもプラチドにも全く似ていない。
 私は瞬きを忘れてぽかんと肖像画を見上げた。
「……ふふ。お二人はミミと仲良くなりたくて出ていらしたのかもしれないわね」
 アイーダが落ち着いた口調でそう言った。
———今度会う時は、いたずらが見つかった犬の顔真似を見せてちょうだい。
 私の耳もとで、女性の声と男性の穏やかな笑い声が聞こえたような気がした。

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