書き下ろしSS
逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件 7
絆というものは
「いえいえ、殿下は座っていてください」
「いや、でも」
「いいから、お前は座ってろよ」
「しかし」
「私の仕事ですから、お気になさらずに」
「だが、たまには」
「だから、いいっつーの! お前がやると余計に時間も手間もかかるって言ってんだよ」
「そんなことはない。私だってやろうと思えばきちんと……」
「ああ! ほら、もう殿下。よそ見をするからですよ。お貸しください。やっぱり私がやります」
「……すまない」
「しょんぼりするくらいなら初めから手を出すなよ」
「……」
「今度じっくり付き合ってやるからよ。ここはライモンドに任せようぜ」
「いやだ。最後までやる」
「おいっ!」
「ああっ! 殿下!」
ガブリエーレとライモンドが同時に声を上げた。
向かいのソファに座るアイーダがおだやかな微笑を浮かべ、その隣でプラチドが笑いをこらえきれずに肩を大きく揺らしている。
二人は公務で訪れた街で購入したラズベリーのパイをお土産に持って来てくれたのだ。そして今、レナートとライモンドのどちらがそのパイを切るのかで揉め、ガブリエーレが仲裁に入ったのだが、それはどちらかというと参戦と言った方がよいものだった。
「私が切り分けますわ。皆様はおかけになってお待ちください」
見かねたアイーダが声をかけると、三人はハッとして顔を見合わせ、おとなしく所定の場所へ戻ってゆく。レナートは私の隣にちょこんと座り、ライモンドは苦笑いしながら紅茶を入れる。呆れ顔のガブリエーレは私たちの背後を手持ち無沙汰な様子でうろうろとしていた。
サク、サク、と手際よくアイーダがパイにナイフを入れる音が聞こえる。
「三人は昔から仲がいい……っていうか、相性がいいよね」
笑いの収まったプラチドがしみじみと言った。レナートとライモンドが顔を見合わせ、ガブリエーレがぎょっとして振り返る。
「俺はレナートの護衛騎士だ。仲がいいとか悪いとかじゃねえ。レナートの身を守るのが俺の仕事……って、何だお前らその顔は!!」
「いや、だってねえ……」
私がにやにやしながらそうこたえると、プラチドも私と同じ表情をしていた。
「ガブリエーレは兄上だけじゃなく僕に対しても、お兄ちゃん、だよねえ」
「なっ……!」
「ぶはっ」
テーブルに全員分の紅茶を乗せていたライモンドが思わず噴き出す。カップを置き終わっていてよかった。
「そうですね。ガブさんはたまに私の面倒も見てくれますからね。皆のお兄ちゃんですね」
ライモンドの言葉にガブリエーレが憮然として顔をしかめる。
「ライモンド、お前っ。つーか、お前ぇが一番年上だろうがっ」
「年齢で言えばそうですけど、私はぽっと出のただの側近ですからねえ。皆さんが幼少期から寝食を共にして過ごした時間にはどんなにがんばってもかないません」
少しだけうつむいて、ライモンドがさみし気に眼鏡を上げる。
「ライモンド……それは、違う。いや、違わなくはないが、確かに俺は乳兄弟でこいつらと一緒に育ったけど、お前はお前で」
「いいんですよ、ガブさん。さあ、私たちも一緒にいただきましょう」
アイーダの切り分けたパイがテーブルに並ぶ。ライモンドの執務机にもパイの載った皿が二つ置かれていた。
ガブリエーレは大きく口を開いたものの、そのままきゅっと空気を噛みしめるように口を閉じた。そして、眉をひそめたまま予備の椅子を持ち上げると、ライモンドの机のそばに置きどさりと腰かけた。乱暴な手つきでパイにフォークを刺して持ち上げ、ガブッとかじりついた。
静かに席についたライモンドもまた、黙ったまま紅茶に口をつけている。
「ミミとアイーダ妃も幼馴染だろう。会っていたのは年に一度と言っていたが、寝食を共にしたと言ってもいいほどに仲が良いように見える」
パイを頬張る私を見つめていたレナートが目を細めた。
はたと目が合った私とアイーダは、一瞬だけきょとんとしたものの、同時に笑った。
「ええ! 私とアイーダは仲良しよ!」
ごくりとパイを飲み込んだ私がそうこたえると、アイーダも大きく頷いてくれた。
「私がムーロ王国に滞在していたのは毎年夏休みの間だけでしたが、一瞬たりとも飽きることのない充実した毎日を送っていました。たくさんの喜び、楽しみ、たくさんの感情や経験をミミとは共有いたしました。それはきっと、私の人生のうちの言葉にはあらわすことのできない大切な一時となることでしょう」
「アイーダぁ……! 私もそうよ! アイーダに出会うことができてよかった!」
「うふふ。私もよ、ミミ」
嬉しくて胸がいっぱいになった私は両手を振り上げて立ち上がった。
「私とアイーダは見た目だけじゃく、心も繋がっているの。まるで双子のように! 以心伝心、意気投合、心機一転」
「最後のは違うだろ」
とっくにパイを食べ終えたガブリエーレが、机に頬杖をついたままそうツッコんだ。腰に佩いた大きな剣を器用に避けるようにして、長い足を組んでいる。王族を前にしてこの態度。
「それに、何が双子だよ。アイーダ妃とお前は全然似てねーだろーが」
「そんなことないわ。似てるって評判よ、後ろ姿が」
私の返事を聞いたライモンドが大仰な仕草で手で額を押さえた。
「かわいそうになってきました。もうやめてあげてください、ガブさん」
「お前の方がひどくねーか?」
顔を上げたガブリエーレが足を組み替える。
レナートに促されてソファに座りなおした私は、最後に残っていたパイを口に詰め込んだ。その無作法にアイーダが少しだけ眉をひそめ、レナートがそっと自分の分のパイを私の皿に分けてくれる。
空気の良いムーロ王国をぜんそくの治療のために訪れていたアイーダ。体調が良くなった後も、継続して毎年来てくれるようになった。私とアイーダは朝から晩までずっと一緒に過ごし、夏休みが終わった後も頻繁に手紙のやり取りをしていた。お互いがそこに吐いた弱音も悩み事も二人だけの秘密だ。大人になった今となっては他愛ない心配事も、あの時の私たちには一事が万事だった。そんなアイーダとこれまでも、そして、これからも一緒にいることができるなんて感謝でいっぱいだ。
「何かあった時は真っ先にアイーダを助けるわ。どんなに、モグ、離れていたって、アイーダのピンチには必ず駆けつけるわよ。モグモグ。安心して私を頼ってね、アイーダ」
遠慮なくレナートのパイに手を付ける私をじろりと睨んだ後、呆れ笑いしたアイーダが頷く。
「ありがとう、ミミ。でも、あなたはまずレナート殿下を優先しなければいけないわ」
「もちろんそうだけど、このメンバーならまずアイーダが一番先よ。だって、レナートにはガブリエーレがいるもの」
私はそう言って、ガブリエーレに振り返った。待ってましたとばかりにガブリエーレがどんと大きな音を立てて胸を叩く。
「任せろ。もしレナートとマリーアが崖から落ちそうになっていたとしたら、俺は真っ先にレナートを助けるぜ。そして、マリーアは蹴落とす」
「蹴落とす必要はなくない!?」
「お前ぇは自力で上がってこれるだろうがよ」
私が投げたフォークをガブリエーレが難なく左手で受け止めた。おおお、という感嘆の声の後、執務室は笑い声で包まれた。
お土産のパイを堪能し、アイーダとプラチドは仲良く寄り添って帰って行った。ガブリエーレは護衛交替の時間が迫ってきていたので、引継ぎで席を外している。
私とレナートにお替りの紅茶を淹れ、ライモンドはその他のティーカップや皿を片付けていた。カチャカチャと陶器の当たる心地よい音が聞こえる。
黙って紅茶を飲んでいたレナートが、ライモンドが全ての食器をワゴンに下げたのを確認してそっと口を開いた。
「ライモンド」
「はい」
布巾でテーブルを拭いていたライモンドが顔を上げる。
「ぽっと出、なんて言うな。私にとってお前は代わりのきかない、大切な存在なのだから」
レナートの声はとても小さなつぶやきのようだったけれど、低く落ち着いていて、心の奥底にまでよく響いた。
横顔のままのライモンドが口の端をわずかに上げる。
「ええ、存じております。時間の長さで生まれるものではありませんからね、絆というものは」
レナートが微笑んだ気配がした。
結局、残りのパイもすべて平らげてウトウトしていた私はとても温かい気持ちでクッションに顔をうずめた。







