書き下ろしSS

高難度迷宮でパーティに置き去りにされたSランク剣士、本当に迷いまくって誰も知らない最深部へ 〜俺の勘だとたぶんこっちが出口だと思う〜 1

明日まで覚えていても何の意味もない! 猿でも直感的に「それはない」とわかる文明講座

「文明が足りてないよ!」
食事中のことだった。
中央の国に存在する最高難度迷宮〈二度と空には出会えない〉……その深部での出来事。
大魔導師ユニスが突如立ち上がり、叫び、それに呆気に取られた剣士ジルは、隣に座る聖女リリリアと「なにこれ」という表情でお互いの顔を見つめ合っていた。
「……文明が足りてないよ!」
「二回言った」「二回言ったぞ」
「一回で反応してくれないからもう一回言う羽目になっちゃったんだろ! ちゃんと僕の一言一句に反応しておくれよ!」
全然足りてないんだよ、とユニスは言う。
たった今、自分が口に運んでいた肉を指差して。
「たとえばこれ!」
「肉だな」「肉だね」
「そう! 魔獣の不味い肉!!」
いけないよ、とユニスは言った。
「僕たちは諦めすぎている! たとえどれだけ不味い肉だったとしても、工夫次第で美味しくなるはずだよ! 人間はそうやって進歩してきたんだから!」
文明を諦めないで、とユニスが歌う。
どうして歌い出したのかはともかくとして、まあ確かにそれもそうだな、とジルは頷いた。
「なんか、前にリリリアも言ってたもんな。向上心のない人間が文明を衰退させていくって」
「不味い生肉を食べてたときにね」
「えっ、僕のこれ二番煎じ……?」
それと君たち生肉をバリボリ食べてたの、とユニスが若干ふたりから距離を取ったのもともかくとして。
「やってみるか。文明発展」
「おー」
「バリボリ食べてたの……?」
どう考えてもこの三人には適性のないチャレンジが始まった。
「すでに『燃やす』って調理工程はほとんど変えられないわけだから……」
「ジルって『肉を焼く』ことを『燃やす』って認識してるの?」
「やっぱり、素材の肉自体を良くするのがいいんじゃないか。魔獣の中でもある程度美味いやつを探してみるとか……」
「チッチッチ。甘いね、ジルくん。それは狩猟で生きる人間の発想だよ」
「いや、現実問題いまの俺たちは狩猟で生きる人間なんだから、順当だろ」
ノー、とリリリアは言った。
「文明っていうのはね、農業から生まれるんだよ。ギャンブル性を持たない食糧確保の欲求、栽培と貯蔵のために発達を促される計画性、計画実行のための集団性、集団を束ねるための指導者の出現、指導者層と労働者層の分離、正統性の幻想、搾取構造の確立……」
「怖い怖い怖い。出てる出てる、思想が」
「僕たちにも上下関係が導入されるの?」
「つまり、文明っていうのは農業から始まるんだよ! 植えよう、付け合わせになる野菜を!」
リリリアは高らかに言った。
今度は、ジルとユニスのふたりが顔を見合わせて、それからゆっくりと彼女の顔に向き直る番。
「野菜の種も」「何もないけど」
「解散。私は寝ます」
有言実行の女は本当に横になり、後にはふたりが残された。
「リリリアの言ってたことはともかくとして、他に何ができるかっていうと、俺も思いつかないぞ」
「うーん……。リリリアの言ってたことはともかくとして、確かに味を直接どうこうするには手札が足りてないかもしれないね」
リリリアが「明日から衛生魔法使うのやめよっかな」とうつ伏せで呟いてジルとユニスが必死にご機嫌を取るという茶番を挟んでから、
「香辛料でもあればよかったんだけど、ないしな。俺が肉を切る技術を向上させるとか、ユニスが火加減を色々試してみるとか、そのくらいか。足りないものは手間で補うしかないのかもな」
実際にはもうちょっと煮るとか茹でるとか臭みを抜くとか手段はあったような気がするが、しかしそういうことには一切思い当たらず、自分の言ったことに「これはよくよく考えると剣術もそうだな、足りないものは少しずつ努力を重ねて補っていかないと……」とジルがしみじみしているところ、
「いや、僕に秘策があるんだよ」
ユニスが、親指と人差し指を顎に当てて、急にキリッとした表情になって言った。
「雰囲気を使うのさ」
「雰囲気?」
ああ、とユニスは頷く。
「僕はね、美味しさっていうのは雰囲気も多分に含まれたものだと思うんだ。たとえば、自分が淹れたコーヒーと、お洒落な喫茶店で落ち着いた白髪のマスターに淹れてもらったコーヒー。同じ味だったとしても、後者の方を美味しく感じるはずだと思わないかい?」
「まあ、確かに……」
「つまりね、文明って雰囲気のことなんだよ」
「なんか今すごい騙された感じがする」
「騙してなんかないよ。僕はいつだって誠実だ。
――――というわけで、やってみようじゃないか! ここをお店だと思って、みんなで楽しく食事するやつを!」
面白そうだね、と言ってリリリアが起き出した。
ユニスとリリリア、ふたりが楽しげに顔を見合わせている光景を、ジルは横から見ながら、こう思っている。
「あのさ、これっていわゆるおままご――」
「じゃあ僕お客さんやるね!」
「じゃあ私は店員さん!」
「いやコントだこれ」
勢いがいいもん、というジルの言葉は無視され、ユニスがからんからーん、と口で言って、扉を開ける仕草をした。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「はい」
「俺の存在は抹消されたな」
「お煙草はお吸いになりますか?」
「もう吸ってます」
「とんだ無礼者が来たな」
ではこちらのお席へどうぞ、とリリリアがユニスを移動する。
お店なのは雰囲気だけなので、当然地べたに座って、ユニスはありもしないメニューを開く。
「うーん……何を食べようかな」
「ご注文がお決まりになりましたら、出せる限りの大声で謝罪してください」
「『すみません』って結果が同じなら何でもいいってわけじゃないんだぞ」
「よし、決めた! 心よりお詫び申し上げまーす!!」
「何もかも違くなっちゃったよ」
リリリアがたたた、とその場で走る仕草を見せて、
「ハア、ハア……。ただ今の記録、二時間四十九秒でした!」
「どこから走ってきたんだよ」
「うわっ! 店員さんの駆け足のせいで周囲に砂嵐が!」
「どういう速度でどういう立地の店にどういう旅路を経て走ってきたんだよ」
失礼しました、とリリリアが雰囲気の机を拭く動作を見せて、
「それでは、ご注文をどうぞ」
「それじゃあ……あーうわ、こっちにもメニューあったんだ」
「二時間四十九秒もあったんだからじっくり確認しておけよ」
「決まってから呼んでもらっていいですか?」
「急に等身大の怒りを見せるなよ恐いよ」
じゃあこの、とユニスは虚空を指差して、
「シェフの気まぐれパスタっていうのを」
「申し訳ございません。ただいまこちら、品切れでして……」
「えーっ!? そうなの!?」
「逆ギレでよければご披露差し上げますが……」
「いい要素が一個もないだろ」
「じゃあ逆ギレでいいです」
「いいのかよ」
「こっちだってねえ!!! 前髪失敗して人に会いたくないのを我慢して仕事してるんですよ!!!」
「清々しいくらい自分の都合だな」
「ご、ごめんなさーい!!」
「店員もうひとり来ちゃうだろ」
それじゃあ、とユニスは気を取り直したようにして、
「こっちのシェフの気まぐれピッツァを」
「申し訳ございません。そちらも切らしておりまして……」
「えーっ、そうなの!? じゃあ、こっちのシェフの気まぐれピラフは?」
「申し訳ございません。そちらも……」
えー、とユニスは唇を尖らせて、
「じゃあなんでもいいや。シェフの気まぐれランチでもシェフの気まぐれベーグルでもシェフの気まぐれグラタンでもシェフの気まぐれサラダでもシェフの気まぐれ焼き魚定食でもシェフの気まぐれシチューでもシェフの気まぐれカニ雑炊でもシェフの気まぐれフルーツパフェでもなんでもいいからこのへんで品切れじゃないやつください」
「シェフの情緒に頼りすぎだろ」
「申し訳ございません。ただいま気まぐれシリーズは全て切らしておりまして……」
「ええっ!? 何ならあるんだよこのお店! もう怒った! シェフを呼んでくれ!」
「食べる前からシェフを呼ぶやつ初めて見た」
「シェフ! 呼ばれてますよ! さっきから独り言がすごいシェフ!!」
「――俺この場にいることになってたんだ!? しかもシェフ役なんだ!?」
流れには逆らえず、すごすごとジルはユニスの前に現れて、
「お待たせしました。シェフです」
「『シェフです』って言いながら出てくるシェフいる?」
「ディテールを気にし始めるの十五段階くらい遅いだろ」
「シェフ。お客様の前ですよ。命が惜しけりゃ言葉遣いに気を付けろ」
「思ったより俺の立場弱いな」
全くもうだよ!と言ってユニスが立ち上がる。
「謝罪してもらおうじゃないか! シェフの気まぐれだかなんだか知らないけど、君の気分ひとつで提供する料理のあるなしなんて決めていいと思ってるのかい!? いや別に君の店だからいいのか! そもそも気まぐれって断ってあるしね! 僕が悪かったよ、ごめん!!!」
「自己解決した上にもうひとり店員呼んじゃったよ」
「ハア、ハア……。ただ今の記録、四十九分三十七秒でした!」
「ほら二人目のが時間差でめちゃくちゃ記録更新しながら到着しちゃったもん」
一旦立ち上がったユニスは座り直して、
「シェフ。それじゃ、ある物の中で一番美味しいものをくれるかな」
「それでは、ステーキはいかがでしょう」
「ステーキ? 何の肉を使っているんだい?」
「魔獣の肉です」
「魔獣の肉? へええ、それは食べたことがないなあ。珍味ってやつかい?」
「はい。珍味でございます」
「店員さーん! このシェフ全然面白いこと言ってくれないんですけど!!」
「この世にひとりくらい真面目な人間がいてもいいだろ」
「申し訳ございません、お客様。シェフの気まぐれユーモアも本日は切らしておりまして……」
「日によってはキレキレのギャグを言うのかよ」
「キレがないのに切らしているとはこれいかに」
「やかましいなこの客も」
「腹ならいくらでも切らせますが……」
「思ったより俺の立場弱いな」
まあいいや、とユニスは言った。
「気まぐれなシェフがおすすめって言うくらいなんだから、さぞかし美味しいんだろうね! さあ店員さん、そのステーキを持ってきてくれ!」
「そう言うと思ってお客様がご来店される前からテーブルに用意しておきました」
「サービス精神が過剰すぎて逆に失礼だろ」
よし、と言ってユニスはこの茶番の前から自分の目の前にあった肉を口に運んで、
「…………冷めて味がより悪化した!!」
「だろうな」
「ハア、ハア……ただ今の記録、三時間五十九分でした!」
「リリリアはこの期に及んでまだやるつもりなのか?」
「ううん。ちゃんとオチだけつけないとと思って」
ほら炙り直せ、とジルがユニスの分の肉を焚火の方に持っていく。
ユニスはいつもそうするように完全にもてなされ待ちの姿勢でジルの行動を観察しながら、心の底から、というようにこう言った。
「雰囲気だけじゃダメだったね」
「雰囲気づくりに失敗してたからな」
「あとジルがローテンションでツッコミに入るとなんかちょっと圧があって怖かったね」
「え」
「わかる。ジルくんちょっと怖い」
「ねー」
「ねー」
えぇ、とただ周りに乗せられるがままに乗っていたつもりのジルは、困ったように、
「三人とも大声出してたら収拾つかないだろ。ていうか、それを言うならリリリアだってなんか入り込んでたし」
「わかる。リリリアって普段ストレスが溜まってたりしないかい?」
「なー」
「なー」
「おっと流れ弾……まあ私はほら、全国大会一位だから」
「何の?」
ユニスが首を傾げて聞けば、ふふふ、とだけリリリアは答えた。絶対適当なこと言ったんだろうな、とジルは思いながら「ほら、あったまったぞ」とユニスの前に肉を置き直す。
それを食べながら、ユニスは、
「残念ながら、僕らの文明パワーじゃ魔獣の肉を美味しくすることは叶わなかった……でも、僕はそれより大事なものを見つけたよ」
「へー」「ほーん」
「……『何を見つけたの、ユニスくん』って訊いて?」
「何を見つけたの」「ユニスくん」
それはね、ともったいぶるように、嚙み切れない肉をごくん、と飲み込んで、
「こうやってみんなでワイワイやる楽しさ、心の交流、会話が生み出す喜びの感情……そういうものが本当の文明ってことなんじゃないか、ってね。そんな真理を、僕は見つけたよ」
どやややや、という顔をしていた。
ので、ふたりは。
「だってさ」
「だってねー」
「……え。いま僕、いいこと言ったよね。感動しなかった?」
「圧があって怖いからわからん」
「ストレスが溜まってるからわかんないや」
「おっと因果応報」
それからは。
先に食べ終えてしまったジルとリリリアが、たまに「んふっ」と思い出し笑いをしながら肉を口に運ぶユニスをじーっと見つめ、「美味いか?」「美味しい?」「美味しいわけないだろ」と和やかな会話をして。 ユニスが食べ終えたあとも、彼の熾した火の周りで、ぼんやりとした時間を共有しながら。
ところで、と。

「寝床にも文明を発展させる余地があると思わないかい?」
「いやもう今日は……」
「明日にしよ、明日」

こんなことばかりしていましたよ、という話。

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