書き下ろしSS

田舎のおっさん、剣聖になる 〜ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件〜 2

ヘンブリッツの苦悩

ある日の騎士団修練場。
騎士たちが思い思いの訓練に取り組んでいる中、普段ならその中でも一層熱心に鍛錬に励んでいるはずの副団長ヘンブリッツ・ドラウトは、修練場の中央をじっと見据えたままであった。
「もう半歩、足幅を取った方がいい。動き出しが遅くなるから」
「はい!」
その視線の先、最近騎士団の特別指南役という立ち位置に収まった男が、一人の若手騎士に指導を行っている。
その様子を、彼は何かの言葉を発することなく、都合三十分ほどただひたすらに眺める作業を続けていた。
ヘンブリッツは、自他ともに認めるレベリス王国きっての騎士である。レベリオ騎士団の副団長という立派な肩書。そして、それに負けない程度の剣は修めていると自負している。
事実、彼は自慢の剣技とパワーでこれまで他を圧倒してきた。負けた数よりも、勝った数の方が圧倒的に多い。その負けだって、手が出せずに完敗という形まで持ち込まれたことは、ほとんどない。
しかし、そんな彼の高くはない――されど決して低くはない――鼻っ柱をへし折った相手。それが、眼前で騎士に稽古を付けている特別指南役、ベリル・ガーデナントであった。
傍から見れば、少しくたびれたおじさんにも見える風体だ。実際ヘンブリッツは、初見時には彼のことを大分下に見積もっていた。
騎士団にすり寄る下賤な者、とまでは言わないが、それに近しい印象を持っていたのも事実。今となっては自身の見る目のなさ、そして第一印象だけで決めつけてしまった己の浅慮を嘆くばかりではあるのだが。
「じゃあ、もう一度やろうか」
「は、はい!」
ベリルが、騎士と再び立ち合いを始めた。
彼は己の鍛錬は日々欠かしていないが、ベリルに手も足も出せず惨敗を喫して以降、こうやって訓練を眺める時間が増えた。
模擬戦をはじめとする立ち合いは、経験の宝庫だ。様々な情報が心身ともに漲ってくる。相手が格上となれば尚更である。
しかし彼は、これまで立ち合いで圧倒された経験がほとんどない。剣の才能もそれなり以上のものが与えられていたヘンブリッツは、苦戦するということ自体がほぼなかった。
そんな中現れた、自身を圧倒する存在。これはただがむしゃらに剣を振るだけでは敵わぬ、見て盗まねば、と感じ入ったのも無理からぬことだろう。 そういった事情も相まって、彼はこうやって目で盗むことを初めて覚えた。これもまた、ヘンブリッツが決して折れぬ心を持ち、また剣に対し実直であるからこそ生まれた選択肢である。
「……速い」
そして外から見て分かる、ベリルの凄まじさ。
無言を貫いていたヘンブリッツは、遂に感嘆という形でその口を割った。
単純に、ベリルより剣速が速い剣士は恐らくいくらでも居る。ただ、その速さは一言で表せるようなものではなかった。
相手の動き出しを見てからの反応速度が尋常ではない。更に反応が早いだけでなく、相手の動作に対して、迎え撃つ正解を導く経験と頭脳が突出している。
実際に立ち会った時は「恐ろしく速い」としか感じなかった。だが、こうやって外から見ればまた見え方が違ってくる。
なるほど目で盗むとはこういうことか、と、一人得心しながら、目力を一層強くする。
指南役の動きを見て改めて感じるのは、自身の無鉄砲さ。才能と肉体能力のみでゴリ押ししていたことに、そしてそれだけで今まで勝てていたことにようやく気付く。
無論、剣の道が簡単だとは思っていない。思っていないが、自分が考えていたものより遥かに深く、遠い。
あの領域に到達するにはいったいどれほどの鍛錬が必要なのか。それを考えた時、少し暗澹とした気持ちも湧き出てくるが、鋼の意思でねじ伏せた。 ここで折れてしまっては、今まで剣に捧げてきた時間、そしてレベリオ騎士団副団長という座の意味がなくなる。落ち込んでばかりはいられない。
「ほい」
「あだっ!?」
気持ちを新たに立ち合いを見ていると、ベリルの木剣が騎士の頭にヒットしていた。
剣の振り終わりを見計らっての反撃。一見簡単そうに見えるが、相手をしている騎士だって若手とはいえレベリオの騎士なのだ。その剣技は決して質の低いものではなかった。
ヘンブリッツが見る限り、騎士が何か明確に手を誤ったわけではない。通常の立ち合いなら何ら問題はないだろう一手。それの隙とも言えない隙を、ベリルが針の穴を通すかのような正確さで撃ち抜いていた。そんな立ち合いであった。
「身体がまだ流れているね。体幹をもっと意識して鍛えるといい」
「わ、分かりました」
自然と、そんな彼から齎されるアドバイスは細かく、そして質の高いものとなる。いや相手の彼も十分鍛えているんですが、なんて突っ込みはしない。ベリルが足りないと言えば足りないのだ。望む高みはその先にあるのだから。
「さて、ヘンブリッツ君もどうだい? 見るばかりじゃ飽きるだろう」
「はっ! 胸を借りるつもりで行きます!」
「ははは、大袈裟だなあ」
立ち合いは、情報の宝庫だ。
そしてそれと同等以上に、見ることでも情報が得られる。
しかし、片方だけでは実りにならない。見て、やって、感じて、初めて経験として糧になる。
見て悩むのも大いに結構だが、苦悩をもとに身体を動かしてなんぼ。そう結論付けたヘンブリッツは、呼ばれた声に気勢よく返事を飛ばす。
「では、参ります!」
「よしこい」
木剣を構え、いざ吶喊。
きっとこの初撃も、難なく躱されるのだろう。そんな確信めいた予感が過る。
だが、それでいい。まだこの人の高みに、自身は遠く及ばない。ならば一手でも多く、一秒でも長く。この立ち合いを続け、学びを持ち帰らねば。
ヘンブリッツの苦悩は、続く。
しかしそれは、決して居心地の悪いものではなく。
新たな道標を得た一介の剣士は、今日もその先の光を見て、直走る。

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