書き下ろしSS

却聖女 2

とある二人のお忍び城下 ナンパ編

今日の私は、大規模蚤の市にエーレの荷物持ちとして公式にお忍びが許された。公式任務は荷物持ちなのだが、みんな口には出さずとももう一つの任務を私に課した気がする。
「き、君、一人、かな? よかったら俺とお茶でもいかがでしょうか。あっ、もちろん奢るますから!」
一人の人間が喋ったにしては、口調も形式もてんでばらばらだ。最後に至っては言葉自体が異国人風になっている。
甘い揚げ菓子を楽しみつつ、次に食べる物を探し歩く私の後ろから聞こえてきた声に、私は足を止めなかった。
「連れがいる」
腕を引っ張られ、つんのめるまでは。
午前中は仕事で午後からの参加となった大規模蚤の市、現在の時刻午後二時少し前。本日十七回目のナンパを受け、私の腕を死んだ目で引いたエーレの横に設置される。どう考えても連れへの扱いではない。転がってしまった車輪付きの何かを引き留めた類いの扱いである。
私の腕を掴むエーレの反対の腕を掴んでいるのは青年だった。本日はいつも通り老若男女に声をかけられているエーレであるが、比較的男性比率が多いのは、まあそういうことだろう。
それでも比率がきっぱり割れることもないので、相変わらず性差なく人を惹きつけるのが得意な人である。
エーレの腕を掴んだ男は、揚げ菓子に齧り付くことをやめない私が連れとは思わなかったのだろう。一瞬驚いた素振りを見せたが、すぐにエーレへと視線を戻す。
「あ、よかったらお連れさんも」
「連れがいる」
「えっと、だからお連れの方も」
「連れがいる」
「二人とも奢る、から」
「連れがいる」
何人連れがいるのかな?
エーレは最早それしか口にしていない。いや、揚げ菓子を口にした。男に掴まれていた手を振り払い、自分が持っていた揚げ菓子を食べ始める。
街全体が金と食と高揚で浮かれ上がった中、死んだ目でおいしい揚げたての甘さを堪能するエーレ。その様子はなんだか非現実的なはずなのに、この何年も見てきた上に今日だけで十七回目なので、もうこれ非現実的じゃなくてただの日常である。
そして私は、本命任務荷物持ちと裏本命任務ナンパ対策としてお忍びが許された身だ。エーレが死んだ場合、私が任務を果たさなければならない。たとえどれだけ揚げたてのお菓子がおいしくて、次の一口を早く食べたくとも。
「すみません、お兄さん。知らない人についていったら叱られるので勘弁してください!」
当たり障りのない言葉で断りながら歩き始める。呼び止められる前に歩を進めた私の腕を掴んだままのエーレも同時に動いた上に、若干私を追い越しているので早くここから去りたい気持ちが見て取れた。文字通り前のめりである。
「ならば、わしとは如何かな」
前のめりで進んだが故にか、次のナンパは早かった。最速記録は四回目の「連れが」「じゃあ俺と!」であるので、それには及ばないまでもわりと早いほうだ。
エーレは生還する間もなく死んだ。死んだ目で揚げ菓子を食べ続ける。私も食べたいので食べる。甘い。おいしい。
今度の男はおそらく貴族だ。若干芝居がかった挙動は自信の現れだろうか。しかし、自身があろうがなかろうが、知らない人であることに変わりはない。彼の「ならば」は一体どこにかかっているのだろう。
「庶民では入店できない店に案内してあげようとも」
まるで舞台役者のような挙動で目の前に流れ出てきた中年の男を見ながら、二人で揚げ菓子を頬張る。道のど真ん中で立ち止まった私達は相当邪魔だが、うっとうしそうに見ていく人はほとんどいない。誰もが、「なんだこれ……うわ……美人」みたいな反応で私達を避けていく。ただし。
「なんだこれ……うわ……すっげぇ粉砂糖ついてる」
私が避けられている理由はこっちであるが。
「さて君達、宝石はお好きかな?」
全ての指に嵌まった指輪をきらめかせながら、髭を撫でた男を眺める。正直手を使うたび邪魔になりそうだが、貴族ならば使用人がやってくれるのでそれほど不便はしないのだろう。
そんなことを思いながら、再度揚げ菓子を頬張った私の視界から男が消えた。エーレが振り向いたのだ。
そのまま取り出したハンカチで私の口元を雑に拭う。雑巾掛けの勢いであった。
「いひゃいへふへほ、ありがとうございます」
痛いですけど。礼の後に最初の言葉を一応繰り返した私を置き去りに、エーレは再び男を向き直した。おそらく、さっき断った青年が振り向いた視界の中にいるとみた。私も振り向くべきだろうか。
前門のナンパ、後門のナンパ。ついでに左門のナンパ予備軍と右門のナンパ順番待ち軍。右手の揚げ菓子。左手のエーレ。
「連れがいる」
「幾人おろうとも一向にかまわんぞ」
おいしい揚げ菓子を食べているとは思えない、深い深い溜息が聞こえた。エーレ、年々神官長に似てきますね。
さっきまでならば多少強引に押し切っても問題なかったが、倫理観を期待できない可能性がある貴族が出てきた場合は対処が異なる。つまりは、面倒くささが増す。エーレの溜息はそういうことだ。死んでいる暇すらないエーレはいつも忙しい。
深く深く地面を抉る勢いで吐ききった息を、今度は若干多目に吸い直したらしい。薄い胸が若干大きく膨らむ。
「俺は男でこいつは女で」
「男!?」
周りがざわめいた。誰一人としてその可能性に思い至らなかったわけではないだろうが、ほとんどが思い至らなかったらしい。目の前の男も同様だったようだが、すぐに立ち直った。貴族はわりとそういうのを気にしない人も多い。道楽とはそういうものらしい。
私でも知っているのだからエーレが知らないはずもなく、エーレはそのざわめきを気にせず、否、若干傷ついた無表情をしているので後で落ち込むのだろうが、そのまま言葉を続ける。
「俺達は連れだって歩いている。察しろ」
ぎょっとした男が私を見るので、私は静かに頷いた。
そう、察してほしい。私が、あっちで売っている芋の蜜掛けみたいなのを食べたくてそわそわしていることを。
察してくれたらしい周りの空気が奇妙な温さをまとった隙に、しみじみ頷く私を引っ張ったエーレが人波をぬって移動した。芋とは逆方向に。
「あ、芋! 芋食べたいんですが!」
「だ、ま、れ」
「もが」
エーレが持っていた揚げ菓子の残りを口に突っ込まれ、それを咀嚼している間に温さを纏った人波からの離脱に成功した。
そして、離脱成功した先で流れるようにナンパされたエーレと、芋との邂逅失敗した私の大いなる嘆きもついでに察してほしい。

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