書き下ろしSS
片田舎のおっさん、剣聖になる 3 ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~
片田舎のおっさん、整う
「いやあ、沁みるねえ」
「心身が整っていくのを感じますな」
言いながら肩と首をごきごきと鳴らせば、せり上がる湯気が身体に燻る。はぁー、気持ちいい。ヘンブリッツ君の言う通り、心身が整っていくのを感じるね。
とある日の早朝。
俺はバルトレーンの中にある蒸し風呂屋にレベリオ騎士団の副団長、ヘンブリッツ君とともにやってきていた。
別に仕事でも任務でもなんでもない。あえて表現するのであれば娯楽である。朝っぱらからのんびりと過ごすというのも、たまには悪くないものだ。それに男同士、裸の付き合いというのも時には必要だろう。
「しかし……物凄い身体つきだね」
「そうですか? ベリル殿も年齢を感じさせない立派な身体かと思いますが」
今この場に居るのは俺とヘンブリッツ君だけ。自然と彼の身体つきは目に入るところだが、これがまた物凄いのである。
単純な筋肉の量だけで言えばバルデルとか、あとスフェンドヤードバニアのガトガなんかも多分凄い。しかしヘンブリッツ君の筋肉は必要以上に肥大化しておらず、文字通り引き締まった肉体をしていた。
音で表現するならムキムキというよりバッキバキ。この剛腕からあの打撃が繰り出されているのだなと、納得すら感じる。
「ははは、ありがとう。でも年には勝てないからね、どうしても」
俺もそれなりに鍛えてはいるつもりだけど、やっぱり現役バリバリの騎士に比べたらその違いは明らかだ。しかも相手はレベリス王国きっての剣士である。裸の付き合いは必要とは言ったが、こうやって身体を突き合わせるのはちょっと恥ずかしいな。
「胸のそれは古傷ですか?」
「ああ、これかい?」
二言三言雑談を交わしていると、ヘンブリッツ君から古傷への指摘が飛ぶ。
まあ俺も彼も剣士なもんだから、常日頃から生傷は絶えない。しかしながら木剣で稽古をする限りでは、一生残る傷というのもまた付きにくい。
その点で言えば、ヘンブリッツ君は綺麗な身体をしている。レベリオの騎士は傷が付くような仕事ではないのか、それとも傷が付かないくらい彼が強いのか。間違いなく後者ではあるだろうが。
そんなヘンブリッツ君に比べると、色んな意味で俺の肉体は綺麗とは言い難い。加齢とともに勝手に付いてくる贅肉からはどうしても逃れられないし、古い傷というのも大小含めると結構あったりする。
「昔は俺も跳ねっかえりでね。これはヤンチャしてた頃の名残さ」
「ははあ……ベリル殿も若い頃は今以上の勇猛だったんですね」
「勇猛、とはまた違うかな。ただ未熟だっただけだよ」
普通の人ならこういうのを武勇伝の如く語ったりするのだろうか。俺としてはどちらかと言えば若気の至りみたいな感情が強くて、あまり積極的に語ろうという気持ちは起こらない。
この胸の傷だって、昔自分の実力を過信した報いというか、そんな感じのやつである。
俺はこんな田舎の村で一生を終えるんじゃない、もっと大きな仕事をやってのけるんだ。そんな気持ちが逸ったばかりに、分不相応な活躍を夢見ては破れる。このご時世、どこにでも起こり得そうなことだとは思うけれど、実際に剣を志す他の人が、どういう幼少期や青年期を過ごしていたのかは知らないままだ。
「ヘンブリッツ君はそういう武勇伝というか、ないのかい?」
「……ないこともないのですが、ベリル殿の前で語るというのは中々緊張しますな」
「そんなことはないだろう」
これはあの時に出来た傷、こっちはあの時に、みたいに誇れるものがあればいいんだが、生憎と冴えないおじさんにはそんなエピソードはないのである。
俺なんかと違い、ヘンブリッツ君は生粋のエリートである。若くしてレベリオ騎士団の副団長にまで上り詰めたその実力は、決して低いものではない。それは実際に何度も立ち合っている俺が証明出来る。まあ、俺なんかの証明が何の役に立つんだって話だけどさ。
「そうですね……大きく育ち過ぎて狂暴化したボアを、木剣の一撃で仕留めたことくらいは……」
「凄いじゃないか。流石の剛腕だなあ」
ボアってのは中型の動物で、食用としてもよく用いられる。体長は成人した男性と同じくらいなんだけど、大きく育ったってことはもっと大きいんだろう。
それを木剣で一撃で伸すことが出来るというのは、やはり素晴らしい腕だ。俺の膂力じゃどうやったって無理だろうしね。真剣を使ってよいのなら、一撃で仕留める方法はいくつかあるが。
「けど、木剣だったんだね。てっきり真剣で斬ったものかと」
「家畜化されておりましたからね。私が屠殺するわけでもないですし、殺すのは忍びなく」
「立派な心掛けだと思うよ」
家畜化されていたということは、それを生業としている人が居たのだろう。その辺りまで咄嗟に考えが及ぶ当たり、彼は腕も良いが頭も切れる。
アリューシアという最上位がすぐ傍に居ることで周りからは霞んで見えるかもしれないが、彼も十二分に強い人間である。
仮にヘンブリッツ君が騎士団長を務めていても、俺は多分違和感を持てなかったと思う。それくらいには、人間としても剣士としても出来た人物だ。
「きっとベリル殿の武勇伝は、これから増えていくのでしょうな」
「はっはっは! そうであればいいんだけどね」
そしてこんなおじさん相手にもヨイショを忘れない。つくづく隙の無い好青年である。
これで浮ついた話の一つも聞かないんだから、ある意味大したものだ。その点で言うと、アリューシアのそういう話もとんと聞かないが。
「さて、そろそろ上がるかな」
「ですね。さっぱりした後に少し剣でも振りますか」
「お、分かってるじゃないか」
蒸し風呂の中に篭るのもそろそろ頃合いと見たところで、ヘンブリッツ君からのお誘い。
やはり彼は気遣いも出来るし好い男である。蒸し風呂でさっぱりした後は、適度に身体を動かしたくなるものなのだ。
心身もすっかり整ったことだし、気分良く剣を振るとするか。
「私も憧れるばかりというわけにはいきませんからね」
「ははは、君の腕と才能ならすぐに追いつけるさ」
剣にひたむきな青年の視線が刺さる。
随分と馴染まれたものだが、悪い気はしない。そして同時に、一度勝ってしまったからには簡単には負けてやれないぞという気持ちも湧いてくる。
だがきっと、いつかは追いつかれ、追い抜かれるのだろう。
その時が来るのが待ち遠しいような、悔しいような。そんな気持ちを抱きながらの一日の始まりとなった。