書き下ろしSS

田舎のおっさん、剣聖になる 4 ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~

レベリオ騎士団長の想い

「――はっ!」
「ぐおっ!?」
 アリューシアの呼気とともに放たれた突きが、ヘンブリッツの右肩を正確に射貫く。
 ヘンブリッツからすれば、今まさにこちらから攻撃を仕掛けんと動き出した刹那。肩の初動を木剣で潰され、想定していなかった圧力に思わず数歩、後ろへたたらを踏む。
「一本、ですね」
 そしてアリューシアは、そんな分かりやすい隙を見逃してくれるほど甘くも弱くもない。
 ヘンブリッツが下がった分、間髪入れずに間合いを詰め、がら空きの首元へ一閃。寸止めではあったものの、そのまま入っていれば甚大なダメージが及ぼされたであろうことは、打った彼女も打たれた彼も十二分に理解するところであった。
「……参りました」
 己の首元へ超速度で迫ってきた木剣に、思わず視線を奪われる。次いで絞り出されたのは、降参を意味する言葉。
「はい。手合わせありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。まだまだ精進が足らぬと思い知らされました」
 一瞬、されどその瞬間に何重にも張り巡らされた思考の攻防を終え、二人は一息ついた。
 ヘンブリッツは決して弱くない。その腕前、特に剛腕で鳴らした攻撃力は特筆に値する。無論その他の技術も決して低いものではなく、それはレベリオ騎士団副団長という座に就いていることから見ても明らか。
 しかしながら、そのヘンブリッツを悠々と超えるある種神がかり的な実力を持つ者。それが彼の模擬戦相手であり、レベリオ騎士団団長であり、アリューシア・シトラスという女傑であった。
「貴方も強くなっていますよ。以前より視野が広がりましたね」
「そう、ですかね……。そうであれば嬉しいことですが」
 息こそ切らしてはいないが、びっしりと汗を張り付かせたヘンブリッツとは対照的に、涼しい顔で腹心の成長を褒めるアリューシア。告げられた言葉に一応の肯定を返しつつ、本人としては中々自覚出来るところまで来ていない、というのが本音であった。
 現役の団長と副団長の手合わせというビッグイベントに対し、目撃者はゼロ。まだ日も昇って間もなくという早朝、騎士団を纏めるトップ二人の打ち合いは驚くほど静かに行われた。
「成長しているのであれば、それは団長と、ベリル殿のお陰でしょうね」
「ふふ、これからも期待していますよ」
 まだこの場に現れていない特別指南役の名が出たことで、アリューシアの表情が俄かに和らぐ。
 ヘンブリッツは以前、ベリルの凄さというものを身に染みて知った。今まで頂だと思っていたところが、ただの三合目だったことに気付かされた。そして、親愛なる騎士団長が思いの外豊かな表情と感情を持っていると知ったのも、ベリルが来てからだった。
「……団長は」
「? なんでしょう?」
 考えがふと脳裏を過り、自然と声が出る。
 これは今聞くべきなのか。不躾ではないのか。そんな思考が一瞬掠めるものの、結局彼はそのまま口に出すことにした。どうせ聞いているのは自分一人だ、自身が口を割らなければ外部に知られることもないと思い直して。
「ベリル殿のことを、好いているのでしょうか」
「……ふむ」
 好いている。その言葉の真意を、よもやアリューシアが読み違えることはなく。
 彼ら二人はもの知らぬ赤子でも、世間を知らぬ幼子でも、色を知らぬ少年少女でもない。頼れる腹心から齎された疑問を、彼女はしばし心の中で反芻した。
「好いているのは事実でしょう。恋慕も憧憬も含めて」
 そして出された結論。その言葉を口にする時、アリューシアの表情、声色ともに変化はなかった。当然のように事実を告げているまで。少なくともヘンブリッツにはそう見えた。
「ですが、一番の想いは悔しさです」
「悔しさ?」
 想定外の単語が出てきたことで、ヘンブリッツの眉が少し動く。同時に、それまで鋼を保っていたアリューシアの声が微かに揺れた。
「あの剣を誰も知らない。あの強さに誰も気付いていない。あの優しさに誰も触れていない。そんなことは許されぬと。あってはならぬことだと。悔恨の念に駆られるのです」
「……」
 告げられる彼女の想いに、返す言葉はすぐに見つからなかった。
 確かにあの剣は凄まじいと思う。あの強さは計り知れぬ。それでいて、あの慈しみを持った佇まいは見事と言う他ない。
 だがヘンブリッツは、結果としてそのベリルを知ることが出来た。そこに充実感はあれど、悔しさを感じるまでには至らない。その思いの頂には思考も感情も到達し得ない。
 なので安易に「分かります」などとは答えることが出来なかった。それは積み重ねてきた彼女の思いを侮辱すらし得る。それ故に齎された沈黙。
「ふふ、重い女でしょう?」
「……いえ、そうは思いません」
 沈黙を破った声にやや悩んだ後、彼は否定の言葉を返した。
 確かに自分には、そこまでの思いは持てない。憧れこそするし目標にもするが、そこまでだ。ヘンブリッツ・ドラウトという個人が完成されてから出会ったという時期の差も大きいだろう。
 だが、剣の道を志した丁度その時。あるいはもっと昔、幼少期の頃にベリルの剣と出会っていたら。捉え方は違っていたかもしれないし、アリューシアと同じ思いを抱いていたかもしれない。それくらいには、ベリルの剣は強く、眩しく、しなやかであった。
 その思いの程度はともかくとして、思いの方向性には賛同出来る。故の否定の言葉。
「ベリル殿の剣には、そう思わせるだけの光がある。それは私にも分かります」
「……ええ、そうですね」
 先程の言葉に対して肯定はあまりに失礼。しかして否定のみを返せども、その後の言葉に詰まる。そこで導き出された答えは、ベリルの剣技にのみ肯定を添えるというもの。この辺りの返しの巧さ一つとっても、ヘンブリッツという個人が如何に完成されているかが分かる。
「さて、戻りましょうか。執務の準備をしなくては」
「はい、お供いたします」
 話はこれで終わりと言わんばかりに、アリューシアはやや露骨に話題を切った。その言葉に、ヘンブリッツは今度は肯定を返す。
 今ここでこれ以上、根掘り葉掘り聞くものでもなかろう。何より、彼女の思いは自分の問いかけが生んだ答えであって、本来ならばその産声を持たずに心の奥底で深く沈んでいたはずのもの。
 それを掘り起こしてしまった僅かばかりの後悔と、彼女の思いを聞けたという少しの充実感。そして、彼女の機嫌を損ねずに済んだという幾ばくかの安堵。
 澄んだ空気と心地よい静寂が支配する騎士団庁舎の修練場を、彼は少しながら複雑な感情を秘めながら後にした。

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