書き下ろしSS

田舎のおっさん、剣聖になる 5 ~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~

ミュイのなつやすみ

「……暇だ……」
 ぼそり、と。一人の少女が狭い部屋に寝っ転がって呟いた。
 ミュイ・フレイア。彼女はここ数十分ほど、家の床に仰向けに倒れて天井を眺める虚無の時間を過ごし続けている。
 そう。暇なのである。
 魔術師学院は夏季休暇に入った。つまり毎日の授業がない。自然と家に居る時間が多くなるが、一方で同居人であり家主のベリルには騎士団の指南役という大任がある。忙殺されているとまでは言わないものの、それでもミュイよりはいくらか忙しない毎日を過ごす日々。そしてそのベリルは今、指南のために家を空けている。
 夏休みと称して突如降って湧いた休暇に、ミュイは暇を持て余していた。
 今まで彼女は碌に休んだ経験がない。幼少時は姉の帰りを待ちながらのゴミ漁りを日課にしていたし、少し成長してからは割の悪い日雇いの仕事をこなしていた。姉が居なくなってからは毎日盗みに精を出した。
 その生活が一変したことは、結果として良いことではあるのだろう。日々の糧食に悩むことはなくなり、学を身に付けるための学校にも通えるようになった。それはそれは素晴らしいことだ。
 逆を言えばミュイは、暇を持て余せる程度には生活に余裕を持てるようになったとも言う。今までは今日をどう生きるかで必死だったから。
「……んー……」
 ごろん、と。やることがないまま寝返りを打つ。視界が上から横になっただけで、特に暇潰しにもならなかった。
 別に、やることが全くないわけではない。まだまだ未熟ながら料理もするし、洗濯もする。家の掃除だってする。けれどそれらは、とうに全部やり終えてしまった。
 やろうと思えば盗みだって出来るだろう。人混みに紛れて通行人の持ち金を少しばかりちょろまかすくらい、ミュイにとっては今でも朝飯前だ。
 しかし彼女は、それをしようとは思わなかった。別に善人になったつもりもないけれど、何となく迷惑をかけてしまう人の顔を思い出してはやめるのだ。
 何より、盗みを働く必要がない。必要に迫られでもしない限り、積極的にやろうと思えなくなったのが今のミュイであった。万が一必要に迫られれば、彼女は躊躇なくやるだろうという注釈は付くが。
「……あいつらは何やってんのかな……」
 ここで言うあいつらとは、魔術師学院で同じ剣魔法科を学ぶ他の四人を指す。
 他の四人はミュイと違って普段は学院の寮で過ごしている。流石に長期休暇となると実家に帰る者も居るだろうが、ずっと寮に留まる学生も居なくはない。
 この休暇をどう過ごすか。そういう話を以前皆としたような、しなかったような。曖昧な記憶を引っ張り出そうとして、彼女は割とすぐに諦めた。思い出せないということはつまり、そういうことだ。
「……あ、そうだ」
 むくり、と。彼女は何かを閃いて立ち上がった。
 暇なら学院に行けばいいのである。魔術師学院は確かに講義を中止しているが、立ち入り自体を禁じられてはいない。そうすると長期休暇中も寮で過ごす学生が動けなくなる。
 別にミュイ自身は勉強が嫌いなわけではなかった。知識の選り好みこそ多少するが、基本的には勉学に対して前向きである。
「よいしょ……っと」
 思い立った彼女は、畳んであった学院の制服を引っ張り出す。流石に私服で学院に入れば変な誤解を生みかねない。それくらいの配慮は出来るようになっていた。
 首都バルトレーンでは、魔術師学院の制服を身に付けているだけで、外面的に一定の身分が保証される。余計な面倒に巻き込まれないためにも、制服を着て行くというのは正しい判断であった。
 学院に知り合いの誰かが居ればそれはそれでいい。暇潰しにはなる。別に居なければ、夏季休暇中も開放されている図書室なり校庭なりで勉強するか身体を動かすかでもいい。何にせよ暇は潰せる。そう目論んで、彼女はいそいそと着替え始めた。
「……馬車使おう」
 いざ外に出る段になって、交通手段を考える。別に歩いていけない距離ではないし、暇を潰すという観点から見れば歩く方がその理には適う。しかし、この暑い中でだらだらと歩き続けるのは少し憚られた。これがもう少し過ごしやすい季節であれば、彼女はのんびり歩いて学院を目指したかもしれない。
 幸い、馬車賃くらいのお金は手元にある。ベリルは彼女にあまり大金を持たせないが、それでも最低限以上の金銭は渡している。
 学院に行くついで、馬車賃に加えて行きか帰りにちょっと買い食いも出来る程度の金額をポケットに仕舞いこんで、彼女は家を発った。
「あっ! ミュイさんではありませんか!! ミュイさんも身体を動かしに来たんですか!?」
「うげっ」
 そして魔術師学院に辿り着いた彼女が目にしたのは、このクソ暑い中元気に校庭を走り回っている学友。シンディ・ラビュートであった。
 ――結果として彼女の、暇を潰すという目的は達成された。その代わり、今後休みの日に学院に行くとしても、校庭だけは絶対に覗かないと決めた。

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