書き下ろしSS
皇帝陛下のお世話係~女官暮らしが幸せすぎて後宮から出られません~ 3(完)
幸せの訪れ
嫉妬と悪意が渦巻く後宮で育ち、死にかけたことも一度や二度ではない。それゆえに、自分の人生に心から安らげる日が来るとは思っていなかった。
ふと目を開けるとまだ夜明け前で、寝所の中は暗い。離れたところにある小窓から、月明かりが差し込んでいるのが見えた。
「──
腕の中で眠っていた
正式に妃になり同じ宮に住み始めてもうどれくらいか、誰かがいるのに眠れることも私にとっては驚きの一つだ。
「起こしてしまったか」
「もう起きる頃だったのかもしれませぬ」
「まだ夜明け前だ。もう少し……」
長い黒髪に指を差し入れれば、指と指の間をさらりとそれが流れる。そのまま指を頬に沿わせたとき、異変に気づいた。
「
「?」
眠っていたせいか? いや、それにしてもいつもより熱い気がする。
じっと目を凝らして観察するも、こちらを見つめ返す瞳はまったくいつも通りで特におかしいところはない。
だが、触れると確かに少々熱いように思えた。
「
だが、このまま「そうか」となかったことにするのも
「夜が明けたら、
「
風邪の一つも引いたことがない自分が、と
確かに、池に入ろうが視察で体力を使おうが、これまで
だからこそ気になった。
「よいな? そなたはじっとしていろ」
「わかりました」
再びぎゅっと抱き締めると「大丈夫ですよ」というくぐもった声が胸元で聞こえる。どうか何事もなく、ただの風邪であってくれと思った。
夜が明けてすぐ、護衛に
「
かつて、妹のことを「
「祈祷師でも呼びますか?」
「私があのようなものを信じるとでも?」
「ですよね」
二人して急ぎ足で廊下を進み、寝所の前までやってくる。すると、そこには
こちらに気づいた彼女たちが挨拶をしようとしたのを手で制し、私は一番に
「熱は下がったか? 風邪か?」
「
冷めた目でそう言う
「微熱程度で、しかもお元気で食欲もございます。病ではございません」
きっぱりと否定されたことで幾分か安堵したものの、それでも理由がわからぬままでは落ち着かない。
「忙しくし過ぎただけか……? 病でないならなぜ熱が出る?」
婚礼の後は何かと忙しく、
今思えば、なぜもっと気遣ってやれなかったのだろうと悔やまれた。
しかし
よくわからぬが、とにかく今は
私に気づいた
隣に座り、華奢な背に手を添えれば自然に頭を寄せてきた。
「具合はどうだ? 病ではないと聞いたが、疲れが出たのだろうか?」
「いえ、あの、こちらの書物によれば『よくあること』だそうです」
どういう意味か分からずさらに尋ねようとしたら、その前に
「子ができたようにございます」
「子……?」
「はい。熱があるのはそのせいでは、と」
ちらりと上目遣いに見つめる
「子?」
「ええ、貴方様のお子にございます」
「子、とは……子なのか?」
「子は子でございますね」
柄にもなく混乱し、同じ言葉を繰り返す。
そうか……、と何度も意味のない感想を漏らした後、ようやく現状を正しく理解した私は咄嗟に
「子がおるのか、そなたの腹に」
「ふふっ、だからそう申し上げておるではないですか」
細い背から伝わるぬくもりが、どうしようもなく愛おしく感じられる。まともな一生など望めぬと諦めていたのに、こんなにも大切なものが確かに私の腕の中にあるのかと思ったら言いようのない喜びが込み上げた。
「そなたが私の子を産んでくれるのか……。それはよい」
「よいと思うてくださるのですね」
「あぁ、今、そう思えた」
妃を持たぬと兄に宣言し、誰のことも好きにならぬつもりだった。子など考えたこともなかったが、自分でも不思議なほどに嬉しいと思えた。
「人とは、変わるものだな」
亡き兄上が今の私を見たら、どう思うだろう?
きっと満足げに笑って、共に喜んでくださるはずだ。
「生まれてくる子には、ありったけの幸福を与えてやりたい」
「ふふっ、そのようにできればいいですね」
我が子に会えるのは、冬を越えて春になるらしい。新しい年がやってくるのが楽しみだと思えた。