書き下ろしSS
忘却聖女Ⅴ(完)
喧嘩相談
「結婚することになった」
「お、めでとうございます!」
マリから久しぶりに会いたいとの知らせが来たのはつい先日。嬉しさのあまり即日連絡をつけて予定を調整し、今日に会いに来たら喜んで呆れてくれた。
マリ曰く、早すぎるけど嬉しいとのことだ。私も会えて嬉しい上に、おめでたい報告をしてくれて更に幸せである。
「所長も喜んでいるでしょうね」
「あの爺さん、最近体調が心配でって言われて十年以上経ってるんだけど」
「確かに」
「しかも、後五十年くらい生きるつもりで予定立ててるよ。どうなってんだよ」
「嬉しいですねぇ」
「……まあ、ね」
マリは呆れた溜息を吐いたけれど、その口元はほんのり微笑んでいる。マリもヴェルも所長が大好きだから、いつまでだって元気で側にいてほしいのだ。
「それでさ、マリヴェルに聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいことですか?」
マリは、照れくさそうに笑っていた顔つきを神妙なものへと変えた。
「マリヴェルってさ、昔と全然変わんないけど、結婚してもう長いよね」
「そうですね」
どうしてだか長いのだ。いつの間にか結婚していたあの日から、なんだかんだと今に至っている。
「……あの、さ」
「はい」
言いにくそうに口ごもったマリは、やがて意を決して口を開いた。
「喧嘩した時って、どうやって仲直りしてる?」
「喧嘩したんですか?」
「毎日してる」
「毎日」
それは気合いが入っている。
「毎日なんだかんだと喧嘩してるんだけど、なんていうかいつもなあなあで終わってて。仲直りとか、改めてちゃんとしたことがないっていうか……なんか、そういうのってある日突然不満が爆発するとか書いてある記事読んで、それで」
「成程」
そういえば、先日の新聞にそういった記事があったように思う。
かつて新聞を読んであげていた子が、自らの力で読んだ上でその内容について相談しに来てくれた事実に、なんだか胸がぽかぽかする。
人の子の成長は早いもので、人の成長はとどまるところを知らない。こんなに嬉しいことはない。
「マリヴェルはあの無表情の神官様と長く結婚生活続けてるし、なんか仲直りの仕方とかコツとかあるのかなって」
「…………」
「マリヴェル? ……なんか、人に言えない方法で仲直りしてる?」
私が答えられないでいると、だんだんとマリが不安そうになってきた。子どもを不安がらせるなど言語道断だ。
「人に言えない仲直り方法はちょっと思いつきませんが、まず、私はエーレと喧嘩をしたことがありましたっけ」
「知らないよっ……え? ほんとに喧嘩したことないの? 一度も?」
改めて思い返しているが、これといった喧嘩が思いつかない。
マリは、はぁーと感嘆のような息を吐き、背もたれに体重を預けた。
「マリヴェルが偉いから喧嘩にならないの?」
「どうなんでしょう……意見を違えることは多々ありますが、エーレが引いてくれるか、気がつけば押し切られているかのどちらかが多いように思います」
「駄目じゃん。マリヴェルが怒らないからかと思ったのに」
「私も怒りましたよ」
「マリヴェルって怒るんだ。どんなときに怒るの?」
「エーレが、自分が死んでも私が嘆かないと思っていた時ですね」
「重い」
「ちなみに私は、土食べたり石食べたり草食べたり、四階から飛び降りたり暗殺者に向けて走り出したり、髪売ったり首取れそうになったり血を吐いたら怒られます」
「軽い重い馬鹿! ――馬鹿!」
念入りに罵倒された。
「こんな私ですので仲直りはよく分かりませんが、あなたと仲良くいたいですと伝えればいいのではないでしょうか」
「……そんなんでいいのかな」
「そもそも、その提案を弾くような相手ならば、前提として仲良く出来ないと思われます」
「あー……確かに」
何の助言にもならないと思うが、仲が悪くなりたいわけではないと言葉や態度で伝えられていたら、仲直りにこだわらずとも大丈夫ではないかなと、私は思っている。
大丈夫ではなかった場合、私ではなく所長達に相談したほうがいいと思われる。何せ私なのだ。明らかに相談相手として不適格である。
「ちなみに相手はヴェルの嫁さんの兄貴なんだけど」
「そうだったんですか」
「前に大喧嘩した時、二人が家に匿ってくれた。そんでもって、ヴェルの嫁さんが箒でぶん殴りながら追い払ってた」
「ヴェルのお嫁さんにはお会いしたことがありませんが、元気な方なんですね」
「火事の時、あたしとヴェルを担いで走ってた子だよ」
「ちょっと詳しくお聞きしても大丈夫ですかね」
「ちなみにあたしが結婚する奴は、あたしより腕力がない」
「あ、エーレみたいですね」
「マリヴェル、後ろから神官様来てるけど大丈夫?」
「うーん。大丈夫じゃない気がじりじりしています」
いや、じゅうじゅうしている。
けれどこれは喧嘩ではない。
たぶん。