ベル3巻&コミックス1巻同時発売記念SS

静寂の部屋

 最近の王都は騒がしい。外に一歩も出ていない私にも分かるほどだ。
 それも当たり前だろう。何せ聖女選定の儀が近いのである。
 実際はここに当代聖女がいるわけだが、何故かエーレ以外全ての人間から忘却された聖女であるので、次なる聖女が探されるのは当然の結果だ。
 聖女選定の儀が始まる。それは国を挙げた切実なお祭り騒ぎが開始される合図だ。
 願いだ、会議だ、祈りだ、祭りだ、お遊びだ。切なる欲も邪なる祈りも、全てが交ぜ混ぜとこね上げられた、狂乱とも呼べる高ぶりが一瞬で通り過ぎる。時代の節目とはそういうものだ。
 本来ならば既に通り過ぎたはずの時代であろうと、人の世において人の記憶に残っていないのであれば、それは存在しないと同義なのである。

 エーレ宅に収納されている私は、毎日特にすることがなくて暇だ。エーレからは療養を固く厚く、ついでに熱く言い渡されているのでこれはサボりではない。サボりだった場合、毎日エーレの鉄拳が降ることになるが、私の頭はその件では平穏を保っているので大丈夫である。
 その件以外の理由でならべっこべこだが。
 今日も今日とて、うっかり滑らせた口が過去の藪蛇を解き放ってしまった。せっかく新たなやらかしをしていないのに、過去のやらかしにより降る鉄拳の数は在庫知らず。
 そろそろエーレの拳が心配だ。私の頭はもうどうしようもないので、端から心配する必要がなかった。
「いたたた……」
 帰ってきたばかりのエーレから早速降った鉄拳を受けた頭をさすりつつ、受け取った荷物をテーブルの上に並べていく。この紙袋の塊が、今日の夕食である。
 エーレが手を洗いにいっている間に、紙袋を空けて中身を出していく。
 腐敗せず黴びも生えておらず、捨てられていたわけではない上になんと調理という人が行う文明的な技術が施された食べ物を、ここ最近の私は毎日食べている。
 エーレが帰ってきた途端、一人でいたときはほとんど静まりかえっていた部屋の中が、がさがさ音を立てる紙袋とがさがさ紙袋を開けている私で一気に騒がしくなった。
「あ、アデウス牛がある! やった!」
 紙袋に印字された店名を見て、開ける前から分かった中身に喜びの声を上げる。ここの名産紫毛アデウス牛はとても美味しいのだ。タレ漬けも塩焼きも炒め焼きも串焼きも、とにかく全てが美味しい。
 知らない店の袋もあるので、こちらは何が入っているか開けるまで分からず楽しみだ。
 王都は店が多く入れ替わりが激しいので把握し切れていない上に、今は聖女選定の儀に合わせたお祭り騒ぎで、屋台も含め一斉に店が増えている。それにここ最近は、店で物を買うという者だけに許された行為から遠ざかっていた物だ。知らない店も流行り物もわんさかある。
 スープにサラダにパンに、揚げ物混ぜ物焼き物煮物。調理方法くらいしか見当がつかない物も多い。さくさくしていそうなこれは食後のおやつだろうか。いやだが、なんだか香辛料の香りがする。さくさくしていそうなのにわりと重量感があるので、中に何か入っているとみた。この香辛料は肉の臭み消しに最適と料理長が言っていたので、おそらく肉だ。
 そしてこっちのかりかりしていそうなこれこそがおやつだろうか。甘い香りがするような気がするが、さっきの香辛料の残り香が思ったより強くて今一確信が持てない。とりあえず美味しいのは分かる。
 目も舌も記憶も肥えているエーレが選んでいるのだ。美味しくないわけがない。エーレはしようがない場合を除き、迂闊なお店は選ばない。
 鼻歌を流しながら机に並べていると、お茶を持ったエーレが戻ってきた。

「ほら、茶」
「あ、どうも。……あれ? 茶葉切れてませんでしたっけ?」
 だからお湯だけ沸かしておいたのだが、渡された液体には色も香りもある。
「買ってきた」
「成程。それまたどうもありがとうございます」
 上着を脱いただけのエーレは私の向かいに座り、深い息を吐いた。エーレは着替えていない。何せこの後また神殿までとんぼ返りだ。
 普段から猛烈に忙しいエーレだが、聖女選定の儀が始まることにより忙しさは三倍増しになっているだろう。そこに私の世話という厄介事まで背負い込んでいるのだ。幼子が野良犬にこっそり餌をやる類いの世話で私は充分すぎるほど有り難いのだが、一日に一度は必ず食事を共にしている。
 はっきり言って、寝る間も惜しいはずの人がかけていい手間ではない。
 ただでさえ線が細いというのに、更に細くなっているように感じる。元より繊細に引かれた線のような外見が、これ以上だとインクが切れかけのペンみたいに途切れ途切れの線になるのではなかろうかと、ぐったりしているエーレを見て思う。
「エーレ、どうせ後数日のことですし、食料を運搬してもらわなくても大丈夫ですよ? ここ、飲んでもお腹痛くならない水ありますから」
 飲んでも結局体力を消耗してしまう水しかなければ問題だが、綺麗な水がある場所でなら三日や四日食べなくても死にはしないので特に問題はない。ただでさえ忙しいのに、私に食料を与えるという理由で更に忙しくする必要はないと思うのだ。
 だからそう言ったのに、エーレは心底馬鹿な存在を見る瞳を私に向けた。
「お前心底馬鹿だよな」
「何故!?」
 今の私はあまり人目につかないほうがいいので外出はしていないが、人目を忍べる夜になれば庭にくらいは出ていいはずだ。庭には草と土がある。たぶん虫もいる。水とそれらがあれば、数日程度どうとでもなる。腐っていないし他の物に奪われる危険性もないのだから、完璧ともいえよう。一歩も外に出ることが罷り成らなくても、水があるのならどうとでもなる。
 私は胸を張って力説した。
「馬鹿野郎」
「いったぁ!」
 駄目だった。
 土を食料に数えると怒られるので、そこは言わずに草と虫だけが伝えたが、結局エーレ審査に通ることはなかった。
 疲れているはずなのにわざわざ立ち上がり、机を回ってきてまで引っぱたかれた頭を抑えて悶える。
「妥当な提案じゃないですか!?」
 当代聖女の身柄はお腹が痛くならない水と雨風凌げる安全な寝床に収納され、エーレは余計な仕事が減るのだ。妥当であり現実的かつ効率的な提案だというのに、どっかりと座り直したエーレは疲れが隠しきれないのっそりとした動作で、私に視線を向けた。
「神官にとって何より重要な仕事は、聖女の捕獲だ」
「保護ではなく」
 私が知っている神官の仕事とはちょっと齟齬があるような気がするのだが、気のせいだろう。
「当代においてのみ、神官の仕事は聖女の捕獲及び捕縛だ。つまり、お前から目を離さないことが最も重要視されている。しかし当代聖女が忘却されるという前代未聞の事態により動ける神官は俺だけだ。その為、日に一度の訪問となっている現状は神官として深く恥じ入ろう」
 エーレの目がだんだん据わってきた気がするが、これまた気のせいだろう。
「それはさておくとして」
 向かいに座る私にまで聞こえてくるほど深く息を吸いきったエーレが、吸い込んだ息の量を音に変えた。
「何度言っても食材以外を食料扱いする馬鹿から目を離すわけがないだろう!」
「やっぱり気のせいじゃなかったぁー!」
 最後まで気のせいである可能性を潰えさせたくなかった希望により庇わなかった私の耳は、案の定即死した。ついでに尽きかけていた体力を怒声に費やしたエーレも死んだ。
 両者相打ちである。正確にはエーレは自滅とも言えるが、攻撃はしていないまでも原因を作ったのは私なので相打ちと言っていいだろう。
 机に沈み込んだ私達は、見事屍と化した。
 王都の夜は今日も騒がしい。しかしこの部屋を満たした静寂はまだ少し続いた。
 五分くらい。

Book List

TOPへ